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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第九話:「信長」

  信長が稲葉山城下に率いていたのはたった十余りの騎馬武者ということであった。
放火して、あっと言う間に逃げ出す。そんな、いつものような早業は今日はもう通用しない。時を移さず、斎藤道三の兵が追っているのだから。
「やれ、あれは、本物の”うつけ”じゃ。胴と首とを切り離して尾張に返してやる。」
斎藤道三は、馬上で大きな身体を揺すり、信長の何十倍にも上回る軍団を率いて城下町に信長を追う。 道三だけでなく長井隼人も走った。森与三も走った。信長は間もなく、自分を追う大多数の兵があることに気づくであろう。しかし、それに気づいた時にはもう遅いのだ。信長は自分が本物の合戦に取り込まれてしまうことに、どんなに驚き、どんなに慌てふためくことだろう。その顔が見たい。与三は心がはやる。
 城下町を駆け抜けてゆけば、やがて、松明をふりまわす十三騎の馬がスルスルと美しい動きで城下の町を縫うように進んで行くのが見えてきた。なんという馬の早さだろう。どうやら、先頭を切って行く者が織田信長のように思えた。しかし、彼らを視界に捉えたと言っても、与三からは先を行く彼らの姿がいまだ豆粒ほどの大きさにしか見えていない。
「あきれた男だ。親父の復讐のつもりか。」
マムシの斎藤道三は完全に信長に呆れ口調だ。
 斎藤軍が迫ってきたことを知ると、信長の兵はますます駒を速め、引き潮の様にサァッと一斉に同方向へ勢いづいて軽やかに走り去って行く。そして斎藤軍を瞬く間に引き離した。彼らは、本当に、とんでもなく速い。飛ぶような速さなのだ。しかも、逃げゆく彼らにはまるで動揺した雰囲気もなく、いや、まるで敵が追ってくるのを待ってそれを誘っているかのような__そんな動きなのだ。信長は、慌てふためくどころか、追ってくる我らの事を笑っているのではなかろうかという気分になる。
 与三は、完全に信長に照準を定めていた。この際、もどかしい味方も追い抜いて単騎で馬を速めようと思ったくらいに気持ちがはやっている。
信長は迷わず先頭を切って走る、敵の陣地に入りこんだというのに、その先に何があるのかもまるで気にもとめずに、ためらいもなく走る。

「これは何か含みがある。だとすれば、裏を書いて本当にあやつの首を取れるかも知れない。」
与三は信長の動きを見切ってそう思うと、急に胸の鼓動が激しくなった。信長の首を高々と掲げる自分を思ってほくそ笑んだ。思えば、先日の合戦での運の拙さは、今日のこの日の喜びのためだったのだ。
「よし!儂がその首を獲るまで捕まるなよ、信長!!!」
与三は後方を駆ける隼人に並ぼうと手綱を絞って馬を止めた。


 信長は難所である戸田の砦に向かっているようである。斎藤道三は即座に兵に指示をした。
「馬鹿め、やみくもに走って行きつく先も知らぬな。このまま信長を戸田に追いこめ。」
長井隼人もそれに続こうとするが、与三が隼人の横にピッタリと馬を寄せて制した。
「あなたは直進してはいけませぬ。」
「何?」
「それでは、信長の罠にかかってしまいます。」
「罠とな?」
「はい。味方は遊び心で信長を追っていますが、ここは気を引き締めてかかるべきです。信長の動きには迷いがない。我々を、わざと追わせています。この先で本当の戦をしかける気でしょう。道三殿は、今、戸田に信長を追い込もうとなさっているが、信長は逆に戸田にわれわれを誘いこもうとしているのです。あそこになら伏兵を隠せるはず。もう、何度も美濃に入っている信長が戸田の難所を調べていないはずがございませぬ。我らは回りこんでその伏兵を横合いからつきましょう。」
はや、与三は馬の足を早めようとするが、隼人が引き止める。
「違ったらどうするのじゃ。」
「違ったにせよ、このまま味方の前軍に続いて行っても、我らが後ろになって敵と刃を交えることすらできません。それに…。」
「それに?」
「私が信長なら、今日は必ず戸田に兵を隠します。」
隼人は"私が信長なら"、などという与三の発言をひどく小賢しいものと不快に感じた。ただでさえ、昨日の城下町での御師の予言というのを耳にして不愉快に思った隼人である。しかし、与三の発言は実に明解で迷いがなく、そうかもしれないと思わせるものがあった。その推理に賭けて隼人は兵を旋回させた。馬で道をそれて駆け抜けると、ほどなくして、戸田で織田信長が大軍を擁していると、それを見つけた町の者が駆け寄って隼人に報せた。与三は会心の笑みを放ち、長鑓を両手で大きく頭上に掲げて、馬を急かせ、皆より前に踊り出た。
「参るぞ!!!」
長井軍は、織田軍の横腹ともいえる急所に一気に突っ込んだ。思わぬ所からの兵の出現に、蜘蛛の子を散らすがごとくに、織田の備えが崩れていく。
「ぬるい!手ぬるいぞ信長!!!はははははは!!!!」
与三は、敵を鑓で打ちすえ、なぎ払いながら、大笑いして敵の中に食い込んで行った。うまく行けば、今日の勝利そのものも自分の策略のお蔭だ。更に織田信長の首を討ち取れば、その名は周囲の国へも轟くだろう。そうすれば、斉藤家はよい地位を与えざるを得ない。やがて、御師のお告げ通りになるのかも知れない。なんて愉快なんだ!

いざ、信長の首を!!!!!

 けれど、信長はこつぜんと消えて、どこにもいなくなっていた。
将と一目でわかるような目立った姿の男は見当たらない。求める者を見失い、行く先に迷う与三の手綱が緩んで、だんだんと馬の速度が落ちた。
「どこだ…信長はどこだ…。」左右を見まわしたが、それらしき男の姿はない。今は全体が見渡せる場所にいて指揮を取っているはずに違いないのに、どこでそれを眺めているのか…? 
「信長がいるならば、あの上。」
小高い丘に目をやったが、信長の姿はなく、あるのはただ青い空ばかり。もしや、信長、後を誰かに任せて自分は先にさっさと逃げてしまったのだろうか。与三は信長の首しか狙っていなかったものを、乱闘の中に舞い戻るか、このまま信長を探すか、歯をギリギリと鳴らし、馬の進める方向を迷った。
 その時、激しい日の光が与三の両目を襲った。あまりの眩しさに視界を塞がれて、与三は思わず手のひらで目を覆って顔をそむけた。しかし、光を避けようと馬や身体を動かすのに、眩しい光は可成の両目をしつこくついて回る。誰かが鏡やらで故意に目潰ししているとしか思えない。気をとられ、もたついては危険だ。とりあえず、どこかへ逃げよう。
「くそっ!!!」
手綱を思いっきり引いて馬を跳ねさせて光を避けて馬を回した。後ろ目に光の発する方向を見ると、それは先ほどの小高い丘であった。先ほど同じ丘を見た時には、青い空があるだけかと思っていたのに、もう、何もないと思っていたのに、やおら少年が丘の上でスクッと立ちあがってその全身を与三の前に晒した。
 少年は太陽を味方につけて限りなく眩しい白い光を放つ。確かにあの少年が何か細工して与三の目をくらませようとしているに違いない。
何してやがる!こんな馬鹿な戦法があるものか!!!
与三は訳が分からなくなると同時に、瞬時に額や顔が焼けつくようなものを感じた。もう与三の両眼には強烈な光の真白い世界と少年の黒い影しか存在しない。
何なのだこれは。

 与三は馬の手綱を思いっきり引いて馬を止めようとした。馬は急に止まれずに驚き、前の両足を上げて立ち上がらんばかりに後ろにのめった。馬が嘶いた。視界が一気に暗くなり、合戦の音が遠のく。すさまじい動悸が与三を襲って馬から落ちそうになった。
 閃光の後に暗転した世界。与三は何も見えないままに鑓を振りまわした。両目の感覚が戻って見上げると、丘の上には空と同じ青い衣裳に身を固めた少年の姿を今、はっきりと確認した。太陽に照りつけられてシルエットと化した細くてしなやかな少年の姿は、顔すら確認できない黒い影の中にギラギラとした白い両眼だけが目立って光り、とても異様だった。両眼はもはや、完全に与三を獲物としてとらえている。それは、この世の者とは思えない、恐ろしい両眼であった。その眼を持つ生き物が、与三の眼にはどんどんと大きく巨大化しているかのように見えた。


あれが信長だ______。


与三の全身に電流がかけぬけ、得体の知れない激しい恐怖を覚えた。もはや世界が、白と黒の二色だけなのである。
 少年は高い場より与三を見下すように見つめ、与三に向って口を開いた。何かをしゃべっているようである。しかし、あまりに遠く、また、かしましい戦場のことであるから、何を言っているのかまったく判らない。だが、確実に与三に向って何かを言っていた。
______少なくとも、与三はそう思った。
少年は細い首をねじり、馬にまたがると、まるでそれが自分の身体であるかのような馬さばきで坂を降りてゆく。
「退却!!!」
「退却!!!」
乱闘の中を織田軍の伝令がかけぬけてゆく。斎藤の兵は大軍といえども戦場の狭さに後方は既に兵を退け気味であり、そして織田軍も今、波を引くように去って行く。斎藤の兵はいつも退却時には思い思いに逃げるし、織田信秀の兵もそうであった。しかし、信長の兵は退却する姿すら整っていて胸を打つほど美しい。そして、あの美しい物すべてが与三の敵なのである。胸の奥から、訳の分からない悔しい感情がこみあげてくる。
 ようやく、世界が色彩を帯びたものに戻って行った。しかし与三は、あまりの衝撃に身体を動かせなかった。信長が若いことは知っていたが、まだほんの14,5歳と見え、与三の想像を上回って若かった。なのに、その少年に完全に気後れしてしまった。与三にとって、こんな事は生まれて初めてだった。

 敵が去り、後ろから、伝九郎が馬を歩ませやってきた。
「信長を討ち取れずに惜しい事をしたが、また手柄を立てたな。」
そんな伝九郎には目もくれず、与三はただただ信長が去った跡を一点に見据えて興奮して膠着したまま、ブルブルと小刻みに全身を震わせていた。鑓を持つ手は完全に左右に震えている。伝九郎は見たことのない与三の姿に眉根を寄せた。そして与三の見据える方向を見た。
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第十話:「思い焦がるゝ」


「うわっ!」
与三がうわの空で部屋に入ってきて、足を物にひっかけてつまづいてしまった。ゴロリと、織田瓜紋の入った茶道具箱が転がる。これは隼人からの貰い物だ。よろけたついでのように与三はそのまま茶道具箱と並んで床の上で仰向けになった。

今、信長はどこにいるのだろう。
来る日も来る日も、与三の頭の中で織田信長の操る美しい兵の姿が脳裏を駆け抜けてゆく。そして与三は閉じる両目に力を入れる。
「あいつはウツケだ。」
なぜなら、あの男は世々の人々が味わう苦しみも、嘆きも、まるで見知らぬことのように軽快に笑い、馬を跳ねさせる。年端もいかぬガキのくせに兵を指揮する権限を持ち、生まれた時より城も領土も兵も経済も金も、そしてあの容姿、すべてにおいて恵まれておよそこの世で不自由というものを知らないであろう太陽のような信長。自分にはないものを多く持つ少年に対して、嫉妬ようなものが生じて治まらなかった。

 与三は、信長が美濃に侵入した時、戸田の砦に伏兵を置いていることに気づいて長井隼人にそれを進言した。しかし、この予見が的中したことで称賛の的となったのは、実際に兵を指揮した長井隼人であった。だが、手柄などどうでもよくなってきた。今は物思いにふけり、気づけば空を見あげていた。とにかくもう一度、あの男に会いたい。
織田信長は、どうしているだろう。
儂の名は、あの男の耳に入っただろうか。
入ったなら、どう、思うだろう。いや、儂の存在など、信長にとってはどうでもよいものに違いない。

「はっ!これは恋わずらいか!儂は絶対におかしい!いかん!このままではいかん!!」
与三は顔を洗いに外に出ようと立ち上がって足をだすと、転がっていた織田瓜紋の茶道具箱に再び足をうちすえて転倒した。

信長を「うつけ」。と人はいう。
しかし、あれは信長が自ら流した風評に相違ない。あいつは、本当はものすごく頭がいいに違いない。与三にはそれがはっきりと判る。とにかく、先日の信長の行動と手並みにはまったくの無駄がなく、美しく、まるで電光石火のようであった。完璧さに由来する恐ろしさを思わせられた。あのうつけぶりも、何もかも計算しての行動である。少なくとも、それであの道三は油断した。いや、今なお油断している。

 ハッと再び与三が我に帰って、両手で自分の頭を押さえつける。おかしい。さきほどから、信長について同じような考えを堂々めぐりさせて、本当に変だ。
「信長よ。儂は、もう一度お前さんに会わねば気持ちがおさまらなくなってしまったようだ。」
だが、どうすればいいのか。与三は、親指を噛んだ。
「信長と会うには、戦だ…戦が必要なのだ。それとも美濃におびきよせる罠を張るか。」

 そうした所へ、家来の武藤五郎右衛門の歌声が聞こえてきたので、与三は一気に現実に引き戻された。武藤は表から部屋に戻ってくるなり目の前でズカズカと、足を地ならししてみせた。
「聴いてくだされ、もう拙者は悔しゅうて、悔しゅうて…。」
「お前の話は後だ。」
 与三は、話の内容も聞かず武藤から身体をそむけ、はや腰を上にあげて部屋を飛び出した。不意のことに武藤が「やや。どうなさいましたか。」と声をかけたがそれも耳に入らず、与三は駆け足に近い速さで斎藤道三の屋敷へ向かった。今なら長井隼人は道三の屋敷を訪問中のはずだ。構わぬ、行ってしまえ。

 稲葉山の麓の道三の屋敷が見えてくる。門のとこるまで走ると、与三は門衛に止められた。
「いかがなされた、森どの。何事がございましたか。」 
屋敷を見張る門衛も、与三の事を知っているものだから、与三にそう声をかけた。与三が立ち止まった瞬間に、顔から汗が吹き出し始めた。
「長井殿は中にいらっしゃるのか。」
腕で汗をぬぐいつつ、門衛に尋ねる。
「はっ。先ほどお帰り遊ばされましたが、何か火急の用でございましょうか。」
与三は、懐から取り出した手ぬぐいで汗をぬぐいながら、何度も首を振った。
「よい。ならば、よい。」
一本道ですれ違う事がなかったとは、隼人は女の屋敷に寄っているのかも知れない。一刻も早く隼人に会いたい気持ちがあったが、さすがに、女の元にまで隼人を追い回す事はためらわれた。

 その時である。道三屋敷の内側から門を開かせ、従者を伴った男が屋敷の門から出てきて与三とはち合わせた。与三と同じくらいの年ごろで、身長も体躯も与三に似通っており、しかも与三と同じくらいに整った顔立ちをしている。敢えて言えば、与三よりも彫りが深くて顔が濃いし、ひどく日に焼けている。眉も髪もどっしりとして濃い。目鼻立ちもしつこいくらいにはっきりしており、一度見れば二度と忘れぬ顔立ちだ。そして、身なりからすると与三と同じ身の程の青年である。
「世話になり申した。」
その男は門衛にも、与三にも丁寧に挨拶をした。
与三は誰かも分からず「そこもとは…。」と返すと、男は笑った。「拙者は余語(よご)盛種と申します。本日は、御用があり、家老方へご挨拶いたしました。」
「さようか、拙者は、森与三と申す。」
どちらも乾いた笑いを投げかけつつ、お互いがお互いを探るように見つめあった。

第十一話:「酷肖(一)」

 与三は余語盛種と名乗る男のことを外見で診断しようとするが、やはり同じ身の程であろうか。
「もう、お帰りか。」与三が言葉を投げかけると、余語は首を振った。
「いや。本日は長井隼人殿のお屋敷でご厄介になるので、そちらへ参るのです。」
与三はそのような話は一切聞かされていないので面食らった。
傍でやり取りを見ていた門番が「よろしゅうございましたな。森どのは長井殿にお仕えなさっているのですぞ。」と横合いから言った。余語は「それはそれは。」と笑う。与三もつられて、ハハ、と愛想笑いをする。そうしているうちに、余語は与三を見て突如に何かを思い出したような顔をして表情を変えた。
「いかがいたした。」
その問いかけに余語は答える。
「先般、家老方がお話なさっていた森殿とは、貴方のことでありましょうかな。」と首をかしげた。
家老連中が与三に関して口を開くとなれば、必ずよからぬ話に違いない。家老の文字を出されただけで苦々しい気持ちになった。ただ、長井隼人も同席していたならば話はどのように展開していたのか判らない。この余語という男はどんな話を聞かされたのだろうか。気にはなるが聞きづらいものがある。他の角度から詮索した。
「本日は何用で参られたのか。」
その与三の質問を余語はさらりとかわした。
「森殿は、尾張の蓮台村の方でござるか。」
「そうだが。」
「やはり。」
長井の屋敷は近いが、二人はそのまま話こんでしまい、そのまま歩いて城下町まで出てしまった。余語は、与三には判り切った稲葉山と蓮台村の位置関係を説明しはじめ、そしてこう、つぶやいた。
「蓮台村は木曽川の向こうの尾張側と言ってもこれだけ稲葉山に近いとなれば、斉藤家にお仕えするのも頷ける。」
「それが何か。」
「しかし、そうは言っても蓮台村はやはり尾張にあって織田家をも脅威に感じざるを得ない。」
「それがどうしたのだ。」

 城下町では僧侶の格好をした者が辻説法を行っている。
「みなよく聞け、よく考えよ。この稲葉山に住む男は、そもそもは賤しき出の油売りに過ぎない。それをまんまと斎藤家に入り込み、家を乗っ取り、あろうことかこの美濃の守護である土岐氏を追放したのである。まさに人面獣心とはこのことであろう。」
先日の自称『御師』に引き続き、またしても斎藤氏を非難する者が出てきたのだ。城下にはこういった動きを警戒する横目衆がウロウロしているので、怪しい事をすれば必ず捕まって首を落とされるものを、斎藤家の城下で臆せずに堂々と物を言う。さすがに通りの人々は恐がり、立ち止まらずに知らぬ顔をして通り過ぎる。与三も、余語もその僧侶のことはシカトを決め込み、と、いうよりはむしろ自分たちの話に夢中になっていたので、そのまま目を合わせずに通過した。
「余語殿、そこもとは、どちらにお住まいか。」
「拙者も生国は尾張でござる。しかし…。」
背後から僧侶の辻説法の高らかな声が響く。辻説法は、なおも斎藤家を語り続ける。
「斎藤道三が息子というのは、実は土岐頼芸公の子でござる。その母は、かつて頼芸公の寵愛を受けており、腹には頼芸公の子を宿したまま道三の元に納まった。したが道三、生れてきた子には野獣の心で父は己と教え込み、その子を人質にと囲い込む。これは人の道にはあらず。上に立つ者の道にはあらず。」
 余語は与三と会話の途中で顔色を赤く変えて歯をギリギリと言わせた。興奮しているのだ。そして「やはり捨て置けぬな。」と言い放ち、与三とお供の者を置き去りにしたまま、振り向きざまに駆け出したかと思うと、腰の刀を抜いて僧侶を切り捨てようと飛びかかった。しかし与三もその動きを見て反射的に駆け出してそのまま余語を勢いよく背中から突き飛ばした。余語は、刀を落とし、そのまま道に転がった。
「貴様、何をするか!危ないではないか!」
与三は拳を握り余語に言って聞かせた。
「あのな、かような場所であからさまに切り捨ててはその話が事実と云うておるようなものではないか。」
 与三は余語が起き上がれるように手を伸ばしたが、余語はその手をとらず、自ら起き上がって歯をむき出し、目を怒らせた。
「では何か、斎藤家に仕える者が、このままあらぬ噂を放っておけと言うのか。」と、与三を睨み据えた。
「新参者のくせに生意気な。」
「儂は新参者ではないわ。斎藤家とのつき合いはお前よりもずっと深い。」
「深いかどうかわ知らぬが、おぬしの頭は軽いな。嫌だと思えばすぐに斬るのか。」
与三のその言葉に余語は怒りと笑いの両方に満ちた表情をたたえた。お互いの鼻息も荒い。
「ああ、そう言えば、森どのは織田信長に鑓を振り回して我先にかかろうとしておきながら、まんまと取り逃がしたとか。まぁ、そういうことでは家老連中にも覚えがよろしいようで。」
「野郎、喧嘩を売る気か。」
猛犬と猛犬の睨み合いである。お供の者はいつ止めに出て行くべきかと背後で状況を伺っている。この二人がいつ互いの喉元に食いつかんかという勢いに、道行く周囲の人々は先ほどの辻説法以上に引いてしまった。威勢良く辻説法をしていた僧侶もこの隙に逃げ出さんとする。
「お前は逃げるな!そこに直れ!」
与三と余語は僧侶に向かって睨みつけ、同時に同じ言葉を叫んだ。しかし、自分の命が狙われているのに、呼びとめられて逃げない者があろうか。悲鳴をあげん勢いで逃げて行った。
「貴様のせいで間抜けな事になった。」
「たとえ憎き相手でも僧侶なんぞ切れば斎藤家の評判が落ちるわ。」

 その道へ長井隼人が馬に乗ってやってきた。のんびりと馬を歩ませていたものの、二人が言い争う姿を見つけて馬を速めた。「何だ、お前たちは。」

「斎藤家を悪く言う僧侶がここで説法を!!!」
「この男がいきなり僧侶を皆の前で切りつけようと!」

「ええい!同時にまくし立てられても分からぬわ!」隼人は喝を入れた。
与三は、声の調子を落して、隼人に辻説法の話を聞かせた。僧侶が言っていた、ありのままを話した。
「そやつは義龍(道三の嫡男)のことを、土岐頼芸の子と言ったのか。」
「はい。」
隼人は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「このような人の居る場所で僧侶を切るものではない。もう、逃げたのであれば放っておけ。」
与三は隼人の言葉にホッとした。余語盛種は目を怒らせたまま、黙って地面を睨んでいた。
「与三。今宵はそなたも一緒に飯を食うがいい。二人とも仲良うせい。」
与三も、余語も、隼人に連れられて無言で帰途につく。

歩いているうちに、余語と少し距離が開いたので、与三は横に並んで歩く隼人のお付きの者にこっそりと「あやつは何者か。尾張訛りがあるが。」と尋ねた。
「…それは隼人様にお伺いください。」
「いけ好かぬ奴だ。」
「仲良くなさってくださいませ。」

 さて、屋敷に戻って隼人の屋敷で膳が整えられた。与三が屋敷へお邪魔して廊下を渡っていると、どこからか見張っていたかのように伝九郎がトントンと駆け寄って来て、ピタリと寄り添う。
「与三、与三。今日のお召しは何かよいことではないのか。ならば私も立ち合いたいぞ。」
「いや、今日は違う。」
そうして立ち止まって語り合う廊下の後ろから、余語盛種がやってくる。与三と距離を空けずに満面笑みの伝九郎を見て二人の関係を何をか勝手に深読みしたのか明らかに含みのある表情をした。
「お先にご免。」
そう言って、余語が通りすぎると、与三は彼の後姿を目で追った。
「あの男…以前も叔父上の屋敷を出入りしていた。久々に見るな。」伝九郎がボソリと言った。

 隼人は、離れに与三と余語の二人を招いて夕餉を食べた。その時にこそ、与三はこの男の正体を知れると思っていた。十代なかばの給仕の女が酒を注ぎに部屋に入って来て、またとない好青年が二人も並んでいるのを見て驚き、頬を赤らめた。隼人は自らの杯には小姓に酒を注がせていたが、与三らに酒を注ぐ女の尻に目線を遣りつつこれをからかった。
「ふふ、よい面構えの男が二人も並んでいて驚いたか。」
 与三と余語の二人は隼人が箸をつけて食べる通りに食べた。正式な座では、それが礼儀とされる。
隼人はゆっくりと物を噛みしめて半ば、目を閉じるようにして食べる。
「儂はな、毎日このように食物にありつけて、ありがたいと思いながら食うておる。一日に一椀の飯も食えぬ者もいるのだからな。与三、蓮台の米の出来はどうだ。」
「お陰さまでよく実ったようでございます。」
「そうか。それはよかった。」
隼人は与三に慈しむような目を向けた。そして余語にも「酒を飲め」と、自ら片手で酌をしてやった。
「与三、この余語という男はなかなかの切れ者。この若さでたいそう書を読み、物を書く。合戦においても采配が巧みで、また自らも腕が立つ。そなたも彼から色々と教わるがよい。」
与三はその言葉に驚いて飯をのどにつまらせそうになった。心に何かが突き刺さる。しかし、隼人のそれは社交辞令のようなものかと思い直して「はい。」と答えた。
「滅相もございません。森どのには到底及びませぬ。」余語は、はにかみ、謙遜した。
「まぁ、それもそうだな。与三はいつでも周囲に優って読みが深い。よく切れる男だ。」
隼人の言葉に、今度は余語が信じられないという顔つきで目を見開く。
隼人はふたたび、目をつぶって芋を食った。

「尾張の様子はどうだ。」
隼人は余語にそう尋ねた。
「大和守の元に、平手秀政なる信秀の配下が和睦を求めてまいりました。しかし、これは大和守が跳ねのけました。」
フッと、隼人は鼻から息を抜いておかしげに笑った。その事は、隼人の読み通りだったらしい。
大和守…与三は二人の内輪の会話の意味を探った。彼の言う大和守は織田大和守だ。同じ尾張の織田一族であり、織田信秀はこの大和守の下につく奉行の一人の身である。しかしながら両者は徐々に仲が悪くなっていた。先の信秀の美濃攻めでの大敗も一因となっていよう。
どうやら、それにつけこんだ長井隼人が織田大和守に話をもちかけて、織田信秀を叩き潰さんと裏で画策し、手引きしている事は与三も薄々感じていた。隼人は、斎藤道三の家老はそれほど信用しておらず、肝心な事は自らだけの判断で秘密裏に事を運んでいた。時には、道三にすら内緒で。
「一方、駿河の今川も、織田信秀に兵を向ける支度をしております。」
「織田信秀は、今川の元にいた松平の子供を略奪して、松平家は戦いに尻ごみしたというが、松平も今川とともに兵を出してくるか。」
「あの松平家の人質は竹千代とか言いまして、今、あれは信長のよい遊び仲間になっておりまする。」
隼人の問いに対する余語の言葉は今の話の流れには余計なつけ足しであり、不適切であった。しかし、この場の三人とも織田信長が気になっていたのか、話はそのまま信長に流れていった。隼人は汁を飲みつつ答える。
「信長、あやつ、聞くに湯帷子を着て徒党を組んで人にぶらさがって歩くというので、いよいよのうつけと思いきや、兵法の心得はあったぞ。あれは自分の学んだ物が通用するのか、美濃に試しに来ておるのではないかの。」
やがて食べつくされた膳が下げられた。そのうちに、会話は元の本題へと戻っていった。
「駿河の奴らの出方を待って、漁夫の利を狙って尾張を横取りするという手もある。」
隼人は考え込む。
「そうです隼人様。尾張は国内の情勢も覚束ない有様。ましてや今、信秀の心配は確実に駿河に及んでいるはず。これがよい機会となりましょう。尾張を狙うのは今を置いてほかにございませぬ。」
「そうだ。織田信秀だけは叩いておかねばならぬ。あやつは他の者よりも美濃にたいする執着が激しい…。」
織田家と戦う。それは与三の望むものであり、隼人に進言したくてたまらない事でもあった。合戦によって再び織田信長に会う機会もあろう。しかし、今は、余語というこの男に同心するのは死んでも嫌だという気持ちが強かった。
 与三は口から「今は、なりませぬ。」と押し出した。隼人と余語が冷たい視線を与三に向ける。
「土岐氏と結ぶ勢力が美濃にある限りは、美濃も尾張と同じく情勢が覚束ないのでございます。」
「判っておる。」
余語が横合いから口を出す。「しかし、隼人様。時節というものは大事。尾張に攻め込むに、これほどの条件が整うことは再びはありませぬ。」
「それも判っておる。」
「今はこの美濃を固めるという初心を貫くことこそが大事!尾張は美濃に手出しできないことが判っている今は、そのための機会でございます!」
「尾張を攪乱させる機会をみすみす逃すなど、あってはならない事!!斎藤家が勢いを増せば、国内で斎藤家に楯つく勢いなどは自然と失せてしまうもの!」
与三も余語も、意識せぬうちに、どんどんと隼人ににじり寄ってゆく。隼人は、うんざりな顔をして両手を広げた。
「だからお前らに同時にまくし立てられても分からぬと言っておるだろうが!」
隼人は、腕を組んで、しばらく沈黙した。隼人の息づかいは興奮と怒りに満ちている。二人は黙り込んで彼の次の言葉を待った。
 

プロフィール

うきき

Author:うきき
森一族の小説を書こうとしています。

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