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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第十二話:「酷肖(二)」

「ふぅ。」
隼人は大きく息をついて、腕組みを崩し、膝の上においた右手を弄び始めた。
「当の道三は、どう思っているのやら。しかし、道三の元に集うものは皆、ただ、道三に力があるがゆえに寄り添う者たち。車輪は回し続けねばならぬ。車輪が止まれば…軸が危うい。」
隼人は、独り言であるべき言葉を与三と余語の前ではっきりと言った。
森与三の先祖は土岐家に仕えていたが、斎藤家がその力を凌駕したのを見るや、時の流れで今、この斎藤家にいる。余語も、事情は知らぬが元は尾張の人間という。強い庇護を求めて美濃へやって来た同じ穴のムジナだった。

「与三、そなたの部屋へ案内してやれ。夜は長い、仲良う話でもするがよい。」
隼人は、与三に与えた狭い部屋に更に余語盛種とその家来を押し込めて泊めさせた。
「最悪だ…。」
とお互いが思ったが、長井家の屋敷のことであればどうしようもなく床を並べて横になった。
「ふ、お前さんがどれだけお偉い客人かと思えば、儂の部屋を分けて泊めてやれとな。」
与三が皮肉めいた笑いをする。
余語は「もうよせ。世話になるぞ。」と低い声で返した。、
余語は、与三の部屋を見回す。ただただ書物が山積みにされ、その横には場違いなほどに高級な茶道具箱があった。織田瓜紋のついたものである。
「何だそれは。」余語が指さした。
「織田家より分捕った茶道具一式を隼人殿より拝領したのだ。」
「茶碗があるのなら拝見してよろしいか。」
「ダメだ。」
与三は床に転がる。足元の衝立の向こうでは、武藤ら家来と、余語の家来が並んで寝て、さらに、森家と余語家の長持が並び、もっともっと窮屈な思いをしている。部屋が気持ち悪いほどに静まり返った。与三と余語はまったく口をきかず、背を向けて横になっていた。武藤が衝立の横から顔を出して、そっと様子を伺う。余語と眼があった。余語のよき男ぶりに武藤がポッと顔を赤らめる。
 余語は、にわかに布団から起きあがり立ちあがって、両の刀を差して武藤に言った。
「こんな宵の口からむさい部屋で寝るなど馬鹿らしい。女はどこで手に入るのだ。」
武藤は「あの…」と、衝立から顔を出したまま目をパチクリさせて二の句を継げない。やがて、余語の家来も衝立から顔を出して「おでかけなさるのですか、との…」とささやいた。
与三は背を向けて布団に横になったままで答えた。
「やめておけ、初日から城下をうろついていては怪しまれる。隼人殿は、まだお前さんを警戒しているが故に、この相部屋であろうよ。」
その言葉に余語はムッとした顔をした。
「だが、そなたに歓迎されぬ部屋に泊まっていても気分が悪い。」
「だが、そなたの部屋はここだ。ここに居れ。出てゆくな。」
与三は余語にそう話しかけても余語の顔は見ない。ただ、背中を向け、虚空を見つめていた。
余語がまた床の上に腰を下ろす。そうすると、与三が話しかける言葉を思いついて口を開いた。
「先ほど、隼人殿に信長の話をしていたが…そなたは信長のことをよく知っておるのか…。」
余語は、先ほど腰に差したばかりの刀を抜いて、また枕元に置いた。
「信長…。あれが気になるのか。ああ、そうか、森殿は先日、信長の首を獲り損ねたからな。」
与三の目は、まばたきひとつしない。
「あやつ…今度来たら、決して逃しはせぬ。」
「何と。では、拙者の申すように、尾張と合戦できたほうがよいではないか。」
余語は横たわる与三に近づき、枕元に腕を置いて身を乗り出して与三の顔を覗きこんだ。
「それとこれとは別だ。今、斎藤家が尾張に手を出すのは無理だ、そなたは斎藤家の事情を知ら
なさすぎる。この家は…」
 与三は言いかけて口をつぐんだ。誰もが知る美濃の複雑な国内事情と斎藤家の地盤の緩さをくり返して語っても芸がない。与三は言葉を切り替えた。
「余語どの、ここでうまくやって行きたければ、人前でそのように生意気な口をきかぬことだな。」
「おい、おい森殿。それは自分より目立って欲しくないと、あらかじめ拙者に釘をさしておるのか。」
余語のその言葉に、与三は背中を返し、余語をギリリと睨んだ。
「やれ。斎藤家の家老達のことなら、昼に挨拶に行っただけでも、初対面の拙者に向かって森殿の悪口してきおったわ。ひどい嫌われようではないか。頭が良いのは結構だが、もっと人とうまくつき合う方法が判らぬようではその才能も生かしようが無いではないか。」
余語は自分の床にゴロリと寝ころんだ。組んだ腕の上に頭を乗せる。そしてニタリと笑って言った。
「拙者ならばもっとうまくやれる。」
与三は面白いことは一つもない。
「どうぞ、ご自由に。忠告ついでだが、金で買える女は病気持ちが多い。この部屋にいる間はやめてくれ。」
余語は、「はい、はい。」と頷いた。
「森殿、そういうそなた、嫁ごは村に置いてきたのか。」
与三は
「余計な詮索もするな。」
「はい、はい。」
与三と余語は、同じ部屋で並んで大の字になって眠った。やがて部屋が再び静けさを取り戻した時に、余語は与三の問いかけを思い出してつぶやく。
「信長…」
与三は暗闇の中、首だけ余語のほうを向ける。
「…あいつは、わっぱの頃より一流の者たちを召抱え、寸暇を惜しんで兵法に励んでおる。自ら川にも入るし、弓を握り、鉄砲も撃つ。どれをとっても、並みの腕じゃない。自分の力量を試したくて試したくてウズウズしておるのよ。世情など関係なく、また、思いがけず美濃に入っても来よう。」
「余語どのも信長に会ったことがあるのか。」
「ああ。」
「そうか。」
「信長との合戦は面白かったか。」
「かもな。」

 天文17(1548)年、尾張の織田信秀は小豆坂にて駿河の今川勢を迎え撃ち、大敗を喫する。
国外との戦いでは敗戦の連続、このままでは尾張国内も崩壊してしまう。
その時、織田信秀のとった道は、息子・信長を使うことだった。
長井隼人も、森与三も、余語盛種も予想だにしなかった事態が美濃に起こる。
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第十三話:「蝶番(一)」

 乾いた朝だ。しばらくご無沙汰だった長井伝九郎が、森与三に会いたさに、またこっそりと与三の部屋の縁側に近づいてゆく。すると、朝っぱらから何やら部屋の中で与三が声を荒げている。まだ完全に開け放たれていない戸板の隙間から声が響く。家来に叱る風でもない。彼はまた、あの虫の好かぬ余語と言いあっているのだ。伝九郎は、外から戸板にはりつき密かに耳を傾けた。
「なぜ、人の本を断りも無く勝手に並べるか。」与三が怒る。
「不作法に積み上げていたものを重ねて順に並べ直したのが何故悪いのだ。」余語が言い返す。
「人の物を勝手に触るその根性が判らぬ。」
「だらしのないのは嫌なのだ。」
「ああ、もう、お前に本は読ませぬ。五郎、これはすべて長持に入れてしまえ。」
 伝九郎は下唇を噛んだ。
 伝九郎は余語盛種の存在がいまいましくてならない。突然にやってきたこの男が、自分と与三のあ間に割って入ったように感じるのだ。戸板越しに話を聞けば聞くほど余語の与三への厚かましい言葉やふてぶてしい態度が癇に障る。
腹立たしい。ああ、嫌だ。
「おい、昨日、韓信をことさら評価しておったが、あれは蕭何が偉かったから世に出たのだぞ。」と、まただ、また何やら余語が与三につっかかっている。
「またその話か。いい加減に…おい、待てよ、儂より先に厠へ行く気か。」
「韓信の才気を見抜いて大将軍にしたのは蕭何さまさま。それでなくては韓信はうだつの上がらぬ男のまま。」
「おい、蕭何が偉いのはいいが、儂より先に厠に立つな。」
伝九郎は眉根を寄せた。
どうして与三は、余語のことを虫の好かぬ奴と思っていながら、こんなにもしつこく余語に構うのだろう。与三と余語の会話は、聞けば聞くほど、親しいもの同士の馴れ合いのように思えてならない。伝九郎はこの二人の関係に底知れぬ不安を覚えた。

「伝九郎様。」
伝九郎はギクリとした。隼人の屋敷の隅にはりついて与三と余語の会話を盗み聞きしていた伝九郎の顔を隼人の近習が覗きこんでいる。明らかに冷やかな目線が伝九郎を見据える。
「伝九郎様。私めが申し上げるのも何ですが、朝の大事なお時間、こうしていらっしゃる間に、弓のお稽古などでもなさってはいかがでしょうか。」
その言葉に伝九郎はふてくされ、近習の手をはじいてその場を逃げ出した。

 余語盛種は与三とケンカしつつ部屋を出て、戸板を開け放って部屋に朝の光を入れ、腰をかがめるように駆け出し、屋外にある厠に向かった。厠そばに隼人の近習が潜んでいたので驚いた。
「ああ、どうなさった。何かござったのか。」
「いや、何もない。登城途中で腹が痛うなってここで厠を借りたのだ。」
「あ、はぁ…。」
余語が用を足し終わると、続いて森与三が部屋を飛び出してきた。厠に入って用を足しているとことへ、物蔭より「おい。」と、声がした。隼人の近習がぬっと顔を出す。
「うわっ!驚いた。手が濡れたではないか。」
「そのままでよい。本日は隼人様ご登城、道三公に美濃国内の一掃をご進言なさる。お供されよ。」
「む。隼人殿はご決断なさったか。」
与三の顔が明るくなった。隼人が自分の意見を採用したことへの喜びも含まれている。
「ところで、あの余語という男の様子はいかが。役に立ちそうか。怪しい気配はないか。」
近習は自分自身の興味本位なのか、あるいは隼人からの問いかけなのか、余語について尋ねた。
「あは、余語…あいつは駄目じゃ。使えぬな。自分の主張ばかりを通して人の話を聞きいれる事を知らぬ。」
「そのように隼人様にお伝えしてよろしいか。」
「おう。そう申し上げておくれ。」
与三は、甕の中の水で手を洗い、満足そうに部屋へ戻った。

 午後に至り、与三は長井隼人のお供で斎藤道三の館におもむかんとしていた。
「与三、そなたの弁舌で道三の気持ちを美濃国内の事に切り替えさせよ。期待しておるぞ。」
与三はコクリとうなずく。
しかし道三の館に行けば、何やら別件で騒がしい。隼人の姿を目にした者たちが寄ってくる。
「今、ちょうど…いえ、先ずはお部屋へお入りください。」
隼人が奥の部屋に入っているところを与三も従えば、道三の小姓が与三の入室のみを遮った。その小姓は扇を開き、隼人に顔を近づけて、隼人だけにしか聞こえぬ小声で何かを隼人に伝える。
隼人は瞳孔が開かんばかりに目を見開いた。
「それは…私は何も聞かされておらぬぞ。」
いきなり隼人の目が怒っている。
「道三との二人きりの話が長引きそうじゃ。与三、先に帰っておれ。」
「しかし…お出になるのを、お待ち申し上げます。」
「帰りは一人で構わぬ。よいから帰れ。」
何も知らされぬままに、与三は追いだされてしまった。
「何だあれは…。肝心な所で儂を追い出して…。」
与三は訳の分からぬままに道三の館を出てゆくが、厩の腰かけには見慣れぬ男が多数腰をおろしている。与三は門番に誰か来たのか尋ねると「つい先ほど、織田家からの使者が突然にやって来た。」というではないか。
「その使者は今、館におるのか。」
「いえ、何でも今から織田家のお偉い方がお見えになるとかで、今はその打診の者が来ておるだけのようで。」
「は。織田家って、どの織田家だ。」
「織田家…先年、加納口から美濃に攻め込んできたあの大将の織田家ですよ。その宿老の平手なる者が参るとのことです。」
与三は考えた。織田家が重臣を使者に立てて何かを申しに来るとして、その話について隼人は何を聴かされて怒ったのか。
「もしや今さら織田家は和平など都合のよい事を言ってきたのではあるまいか。」
「拙者どもは、そこまでは…知りやしませぬ。ただ、この後で、織田家の重臣が来ると聴かされておるだけで…。」
「そう言って、また道三をだまし討ちにでもする気ではないのか。」
「森どの、もう、ここで滅相なことをおっしゃらないで下され。」 
 与三は隼人に帰れと言われたので素直に長井家の屋敷部屋に戻ろうとして、ふと思い出した。部屋には余語がいるかもしれない。日中まで狭い部屋に顔を突き合わせていることもあるまい。やはり、隼人が道三との話を終えて館から出てきた時にすぐに立ち会えるように、この近所にいよう。与三は迷わず厩に近づいた。館に入れてもらえぬ身分の低い織田家の家来の幾人かが待機しているそのすぐ傍に、与三は座った。そして視界の端に彼らの様子を伺いつつ、自分の思案に戻りつつ、隼人が出てくるのを待った。
「織田信秀はもう駿河の今川との敗北でもはや、どうしようもない状況。やはりこれは和平の話かも知れない。しかし、今さら織田家と斎藤家が手を組む話などになっては…。」
 与三が目を閉じれば、織田信長の姿が浮かぶ。

信長、お前さんはどうして再び儂の目の前に現れない。
儂は繰り返し、繰り返し、お前の事を夢に見るのに____。

与三は、足を逆向きに組み直した。また思考にふける。
「和平だとすれば、斎藤道三はその話に乗るだろうか。乗るかも知れない。織田側が美濃の定まらぬ情勢の痛いところを突きまくれば、つい話に乗るかも知れない。…一方で隼人殿の一番の気がかりは織田信秀だ。信秀をやたら警戒し、必ずこれを退治せんと心に誓う隼人には、織田家との和解など思いもよらぬこと。」
急に世界が静けさを取り戻した。与三が何か異様な視線を感じて物思いを止めて顔をあげれば、外で待機している織田家の鑓持ちや馬子の奴らが、固まりになって、じっと与三の様子を伺っていたのだ。こんなところで、一人でじっと動かずにいて、一体この男は何をしているかと思ったのかも知れない。
「ああ、そのほうらは、織田家の者か。」与三は笑顔で語りかけた。
「はぁ。さようにございます。織田信長様にお仕えしております。」
「あ…。」
 織田信長という言葉に与三の動きが止まった。
信長…たしかに今、信長と聞こえた。この名を聞くと、心の奥底より不思議な喜びがこみあげてくる。
「信長殿という名は知らぬな、それは織田家のどなたの事じゃ。」
「どなた…かと尋ねられても、どう言うたものか。」
織田家の彼ら固まりになって、信長をどう説明しようかと相談を始める。与三はなかばあきれ返った。信秀の子だ、御曹司だ、などと、一口で言えばいいものを何を相談する必要があるのか。これでは話が続かない。与三は、ポンと膝を叩いた。
「ああ、思いだした、思いだした。信長殿とは先日、数騎でこの城下に攻め入ってきたあの若武者のことだな。」
与三は笑って見せた。織田家の者たちは警戒してまったく笑わない。
「あの信長殿は、今、どうしておられるか。」
するとまた彼ら、固まりになってどう説明しようかと相談を始める。いちいち面倒くさい。武藤の寄せ集めのような男たちだ。
「毎日、武芸と学問にいそしんでおります。」
どうやら、彼らは信長について無難な話しか教えてくれぬものらしい。いや、信長自身と直接に関わる機会がほとんど無いのかもしれぬ。しかし、どうせ隼人が館から出てくるまで時間はある、彼らの警戒を解いて、ゆっくりと織田信長の話を聞き出そう。

第十四話:「蝶番(二)」

 与三は、美濃の地の事や斎藤家の話をして織田家の馬子ら郎党たちの関心を誘い、この機に彼らの仕える織田信長の話を引き出そうと試みている。与三の話を聞く織田家の者たちは非常に迷惑そうな、かつ、困惑気味の表情をしていた。彼らにとっては、美濃__まさに敵の本拠地にいるのだ。状況次第では、このまま切って捨てられるかも知れない。その緊張の張りつめたるや与三の話相手どころではない。
「拙者の聞くところによれば、尾張の湊はよく栄えておるとか。」
与三の問いかけに織田家の郎党たちは口を閉ざし、荒い呼吸をしながあら上目づかいに与三を見た。やがて「あなた様はどなた様でございますか。」と問いかけた。
「いや拙者はそなたら同様、主人が屋敷から出てくるのを待っておるのよ。せっかくだから尾張の話でも聞いてみたいと思うてな。湊へは行かれたことがあるか。」
「いえ。」
郎党たちは黙りこんだ。ゴクリと生唾を飲みこむ音がする。与三はようやく彼らの緊張を理解したので一度、口をつぐんだ。その後、重苦しい空気の中、全員の長い沈黙が続いた。しかし、この沈黙に耐え切れなくなったのは織田家の郎党で、その一人がボソッと与三に口をきいた。
「あなた様は、尾張にいらしたことがありますか。」
与三はギクリとした。
「あ…ああ、一応は尾張の蓮台村の者だ。しかし那古屋あたりまでは出たことがないから…。」
「蓮台村…羽栗の蓮台なら、うちの姉が嫁いでおりまする。」
「え。それは…。ナニガシの家に嫁がれたのかな。」
「いえ、名前を申しても分からぬでしょう。」
「いや、分かると思う。言われよ。拙者にとっても知り合いかも知れぬ。」
 ここで思わぬ接点と糸口をつかんで、与三はだんだんと気分が昂揚しはじめた。その郎党は眉根を寄せ首をかしげる。
「奇遇でござる。信長様も、つい昨日、拙者に蓮台村の事を聞いてこられた。」
「え…。それは何と。」

 しかし、それは長井隼人の登場で断ち切られてしまった。道三の屋敷から一人出てきた長井隼人が、鬼のような形相で門を出ようとしている。あの早足の歩き方は後姿を見ただけでもあきらかに怒りを含んでいるのが分かる。与三を含む厩近辺にたむろしていた織田家の郎党がワッと彼に注目して凝視していた。
 与三は隼人を追って行った。隼人のあまりの早足に驚き、ついつい駆け足になった。隼人の背後について与三は尋ねる。
「何か、不都合がございましたか。」
隼人は何も言わない。いつも冷静な隼人がめずらしくも与三の存在など気にかけていられないほどに怒り心頭に達している。この様子では今は隼人から何も聞き出せそうにない。落ち着くのを待つしかない。隼人の背中を見つめつつ、与三は急いで隼人の事を追ってきたことを心の中で舌打ちした。
「ああ…先ほどの男…蓮台村に嫁いだ姉の名前だけでも聞いておくのだった…。」

 長井家の屋敷に戻っても隼人はそのまま部屋にひっこんでしまった。与三とは一言も口をきかぬままである。
「よほどの事があったのか…。」
与三は気になるが、隼人が教えてくれぬではどうしようもない。部屋に戻った。部屋に戻ると、隼人と与三の二人においてけぼりを食っていた余語盛種がむくれている。そして与三が腰をかけるのも待てず、ギロリとした目つきで詰め寄ってきた。
「道三様の屋敷に行ったのだな。何を話してきたのだ。」
家来が椀に水をくんできて、与三に渡す。与三はゴクリゴクリと飲みほした。 
「プハーッ。」
「おい、森殿、何について話したのだ。」
「それは…悪いが、そなたには言えぬ。」
与三は、本当は知らない。しかし、自分も何も知らされてないという事まで敢えて余語に言う必要もないと思ったのでそう答えた。与三の返答を耳にすると、余語は寂しそうに、そして静かに言葉を絞り出す。
「もったいぶるな。道三様と何かあったのか。」
「言えぬものは言えぬ。」
その返事を聞くと余語はいらだちを隠さずに、大きく舌打ちをして転がった。
「拙者は道三公に仕官しに来たのだ。道三公にこそ役立てることもあるのに、それなのに隼人殿は道三公に拙者を近づけさせぬ。近づけさせぬばかりか、何もさせてくれぬ。」
余語の悔しがるのを見て、与三は先ほどまでのイライラが少しおさまった。
「それは残念であったな。」
与三が小馬鹿にしたような笑い方をすると、余語が伏せたまま横目で与三を睨んだ。
「満足か。」
「フン…別に。」
「…その程度で満足か。そなたは、もっと志の大きい男と思っておった。」
余語が力を込めて言うと与三は動きが止まった。その瞬間に笑っていた口角は下がり、急に口をきけなくなったかのように黙った。
「クソッ!」
余語はそう言い放って与三に背を向けた。

 また、夕食時も、長井隼人は部屋に籠ったきり与三と余語の前に姿を現さなかった。
大丈夫なのか…尾張とは、そんなにまずい話になったのか…底知れぬ不安が与三の心の中でわいてくる。

 与三と余語が飯を食い終え、余語は引き続き部屋で黙って酒を飲む。与三の存在も手伝って、どうしようもなくイライラとしている様子だった。そして夜中になり二人が寝静まった頃、夜中の屋敷内に突然にドォン!という轟音が響いた。
たちまち長井家屋敷がざわめく。
真っ暗な部屋の中で、与三は驚いてはね起きる。武藤らも部屋の明かりを灯す暇などない。与三は月明かり欲しさにそのまま部屋の戸板を開けようとする。が、その時足元にいた余語の存在を忘れ、横になって眠っている彼の身体に思いっきりつまづいて転んだ。この騒ぎの中、余語は酔って寝入ったせいか、熟睡していた。
「ああ、もうこいつは。起きろ。」と、与三は余語の尻を蹴り飛ばす。余語の家来が「何をなさるか。」と怒り声で与三に抗議する。余語が目を覚まして「何だ。」と怒った。
「刀を持って、ついてこい。」
与三が言っているうちに、武藤は明かりを灯した。与三はその行燈を片手に持って、余語と武藤を伴い薄暗い中を裸足のまま歩いてゆく。
 隼人の部屋のほうから轟音が響いた。間もなく、それは隼人が暴れて戸板を倒してしまったせいだと判った。隣の部屋で宿直していた小姓達が隼人を抱きかかえて制止しようとしている。
「は…めずらしいな、あの隼人が暴れておるのか。」
もはや余語は冷めきった声で言い放った。
隼人は怒りのあまりに心臓が痛むのか、胸を押さえつけて苦しみ、小姓達が抱えるようにして隼人を介抱した。
「馬だ、馬。馬の用意をせよ。」
「殿、真夜中にございますぞ。」
冷静な隼人らしくなく、酔っ払いのごとくに叫び散らす。与三が視野に入ると、与三に向かって言った。
「関城へ戻るぞ。今すぐにだ。」
小姓達の腕を払い、隼人は自分の足で立ち上がった。
「今日、一体、何があったのですか。」
与三が問いかけた。横にいた余語が、いぶかしげに与三の顔を覗きこむ。
「帰蝶を織田家にやるなど、とんでもない話が出た。なぜこちらが敗北者のように譲歩せねばならぬのだ。」
「は…帰蝶…で、ございますか。」
「あの様子では家老も皆、織田家に買収されておるに違いない。もう、儂は知らぬ。関城に帰るぞ。」
長井隼人は尾張ではなくむしろ道三や家老達に怒っているようで、本気で居城の関城に帰る意志であった。詳細は分からない。しかし今、斎藤家が決裂しては最悪な事になってしまう。与三は、まずは隼人を落ち着かせようとした。余語は何もせずにつっ立ってそれを眺めていた。

第十五話:「蝶番(三)」

「殿、白湯でござりまする。」近習が白湯を運んできたが、長井隼人はそれには構わず、馬を用意しろといまだ興奮気味である。
「酒が入っていらっしゃるのか。」と与三が近習に尋ねると「少し。」と、うなづく。こんな騒動のせいで隣の屋敷に住む伝九郎までもが家来を連れて隼人の元に馳せ参じてきた。

 与三はまず、隼人がここまで憤慨している理由を知りたい。
「今宵は、月明かりもさほど明るくはございませぬ。こんな夜中では関城にお帰り遊ばされるのはちと無理でございます。一体、何があったのでしょうか。よろしければお聞かせください。」と、隼人を促す。
隼人は「ならば聞かせるが明朝は必ず儂とともに関城について来い。」
「わかりました。」
隼人と向かい合わせて与三、伝九郎と余語が並んで座った。まだまだ隼人は胸が痛むようで、手で押さえていた。隼人の口が開くのを待って静まり返る部屋。隼人がつばを飲み下す音が聞こえる。
「織田信秀が道三に和睦を言ってきたのだ。」
その一言で、与三と余語は、深いため息をついた。
「その話を進めるために織田家の宿老が美濃入りを希望しておる。何と虫がよすぎる話ではないか。」
隼人がそれきり口を閉ざすと、与三は疑問を切りだした。
「先ほどお話されていた”帰蝶”とは何でございましょう。今の一件と関係ございますか。」
「…儂はそんな事を言ったか。」
「おっしゃいました。」
隼人は白湯を口に含んだ。顔が暗い。伝九郎が焦った様子で身体を前に乗り出した。
「叔父上、まさか…帰蝶殿を織田家とどうにかなさろうとおっしゃるのですか。」
伝九郎のその驚きぶりと焦りよう、どうやら帰蝶とは道三の姫の名前のようだ。
「まだ、他言するな。奴ら、帰蝶を信長の嫁にもらいうけたいなどとぬかしおった。なぜ優位の我らが和平をしてやる上に質まで差し出さねばならぬのだ。」
「はぁあああ…信長って…あのウツケのことでございますか。信長の嫁に帰蝶殿が…。」
伝九郎の仰天の言葉に、隼人は怒りの拳で床を叩いた。ドンッと床が鳴る。皆、驚いて首をすくめる。隼人は歯茎をむき出しにして怒り、答え始めた。
「家老どもは、皆、その話を進めるべきと口をそろえて道三に進言しおる。いつもなら反対しそうな奴らまでもが手のひらを返しおって話がおかしい。家老どもは皆、織田から袖の下でもつかまされているに違いない。」
与三は少し考えてから尋ねた。
「袖の下とは面妖な。家老の方々がいつ、どうやって織田とそのようなやり取りができるとおっしゃるのですか。」
与三の問いに、隼人はケロリと答えた。
「フン…そんなこと、造作もない。どのようでも変装などし、いかようにも城下に出入りできるわ。」
「それが可能ならば織田家は他の家老の誰を差し置いても先に、隼人殿の元へ土産を持って来るはずでしょう。それが無いということは、他の家老にも何も無いのでは。」
とたんに隼人が怒鳴った。
「その場に居なかったくせに判かったような事を言うな。」
与三は再び首をすくめる。隼人が人前でこれほど怒っているのを見たことがない。
「くそっ!信秀めが!和平などと言いおって、あやつはどうあってもこの美濃を獲る気なのだ。今、叩きのめしておかねば必ずや後々の遺恨となる。何としてでも織田信秀を殺さねば。」
「道三様は何と…。」
と、与三が訪ねたとたんに隼人が目をひきつらせ、額に青筋を立てた。ああ…どうやら、道三の事もひっくるめて隼人にとっては面白くない方向に話が進んでいるらしい。
しかし、そういうことがあったとはいえ、怒り心頭に達して関城へ帰城したがるとは、その辺はどうも隼人らしくない。和平が反対なら、断固反対と、もっと道三と話し合うべきではないか。まだ、和平とは決まっていないのだから。
「もう下がってひと休みしろ。明日は関城だ。」
与三と、伝九郎、余語の三人は隼人の部屋を出た。
不安を隠せぬ伝九郎が「与三。」と声をかけるが、与三も余語も、自分の世界に入りこんで伝九郎の声が聞こえない。伝九郎が廊下で足を止める中、二人は沈黙の中ズカズカと歩いて部屋へ戻った。

 自部屋に入る前も、入った後も、与三は物思いにふけっていたが、余語はさっそく与三を責め立てる。
「おい。森どの。なぜ、隼人殿が関城へ帰るのを止めぬのだ。まずいではないか。」
「…どうせ、道三が折れて連れ戻そうとするのを見越してのことではないのか。それはよいとして…和平とは…。」
与三は、壁に向かって坐禅を組んだ。今、何が起こっているのか、そしてどうなるのか、落ち着いて考えたい。そこへ余語が口を挟む。
「斎藤家は織田大和守と裏取引している立場上、信秀と和平はできぬ。それに…森どのも…。」
余語は言いかけて床の上に寝ころび、クククと笑った。
「何がおかしい。」
「いや、そなたの故郷の蓮台村は敵対しあう国同士の境にあって値打ちがあったもの。平和になられては、そなたも今までと同様には道三殿や隼人殿に重宝がられぬだろう。」
余語のくだらない台詞を無視して、与三は、深く呼吸した。

 美濃と尾張、いや、斎藤道三と織田信秀とで和平など成り立つのか。信秀は先年の大敗北の屈辱を忘れてはいないだろう。それなのに、恥を忍んで和平に出るとは…やはり何か裏があるのか。しかし、隼人殿のあの様子、まず、道三は和平の話に乗ったとみてよい。そして、帰蝶という娘を…


帰蝶…与三が一度も見たことのない斎藤道三の娘。
この帰蝶が美濃と尾張との和平のかけはしとなるために、信長に嫁ぐなどあり得るのだろうか。


和平…そうなれば、与三はもう、信長の首を獲りたいとは言えなくなる。
そんなの、嫌だ。あいつの首は儂が獲りたいのだ。

そう。
きっと儂は、信長の首を獲りたいがゆえに、
これほどまでに信長が気になるのだ。
帰蝶という女に、嫉妬さえ感じている。
 

プロフィール

うきき

Author:うきき
森一族の小説を書こうとしています。

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