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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第二十七話:「同胞(はらから)」

 森与三は斎藤道三の娘・帰蝶を尾張に送り届け稲葉山城に戻っていた。
道三の小姓よりねぎらいの言葉を伝えられ、帷子も賜ったが、お返しに「今から隼人の元へ戻りたい。」と願い出ると小姓にちょっと嫌な顔をされた。
「お屋形(道三)様は、森どのに引き続き尾張との交渉に当たってほしいとお思いです。ここにそのまま留まる事に何かご不満がおありか。」小姓はそう聞き返してきた。
「不満など滅相もない。拙者とて大事な仕事に携わらせていただけて有り難かった。しかし、今、拙者のお仕えする隼人様は可児へ兵を出しておられるご様子。一刻も早く戦場に馳せ参じたいのでございます。稲葉山に居ては気が気ではござらぬ。」
道三の小姓は頷いた。
「お気持ちは判りました。」

その後、再び同じ小姓から道三の伝言を受けた。
「お屋形様からは、森どのが隼人様のお手伝いにおいでになってもよいとのお言葉です。しかし、烏峰城を落とせばすみやかにここ稲葉山に戻ってこられますように。やはり尾張との和睦交渉については、今後も蓮台村を通じて世話になると思います。道三様は殊のほか森どのを頼りになさって、特別にお屋敷を用意しております。」
与三は「え?」という顔をして、思わず眉間にしわを寄せた。自分は元の鞘に納まって隼人の元に戻りたいと思っているのに、これではまるでそもそも道三の元にいたものを一時的に隼人様の元へ加勢に行くような話…逆ではないか。
 小姓とて先日はそれを認識をしていた風だったのに、今になって言葉をすり替えてきた。更には
「これはお願いなのですが、西可児で何か動きがございましたら、ひとつ森どのから私へ状況をお伝えくださいませんか。この先も、きっと私がお屋形様との間に立って森どののお世話をすることになるでしょうから。」
と無邪気な表情で言う。
「それはよいが…拙者が稲葉山へ戻るか戻らぬかは、私がお仕えする隼人様にお決めいただくこと。」
「はい。それはもちろん隼人様にお断りの上で稲葉山にお戻りください。」
 小姓は何か心にひっかかる言い方をする。与三が稲葉山に戻らなくてはならない状況にうまく誘導しているようにも感じられたが、与三は自分がそこまで必要とされる理由もよく判らない。それにこの小姓の機嫌を損ねては口八丁手八丁なる小細工で道三へ何がどう伝えられるか分からないと心配して、曖昧に返事するだけであった。
 与三は、西村次郎と小次郎の二名を連れて隼人の所へ行ってしまえば、もう道三の為に稲葉山に戻るつもりはないし、途中、この小姓に状況報告するつもりもない。
隼人の元へ行ってしまえば、それで終わることだ。


 しかし、別の問題ができてしまった。
連れて帰るつもりの小次郎が「帰らぬ。」と言い始めて、兄の次郎を困らせたのだった。

 次郎はどうにか弟の決心を変えて一緒に隼人の元へ帰ろうと言葉を尽くすが、しかし、小次郎はこのまま稲葉山に留まると言う。
終いには次郎は小次郎の懐につかみかかった。
「なぜだ。隼人様の元に一番戻りたがっていたのはそなたなのだぞ。隼人様に顔向けできぬと腹まで切ろうとしたくせに今になって何故そのような事をいう。」
「道三様は私を信頼して今はおそば近くに置いてくださる。一旦隼人さまの元を離れ、こうして道三様のご恩をこうむった以上、今日は右、明日は左へとふらつくような事、私にはできませぬ。」
「小次郎、言うこときかぬか。」
「だから兄上だけおいでになればよいではないですか。」
「何を言うか!そなただけを稲葉山に置いていけるか!!」
小次郎に殴りかかろうとする次郎の肩を引いて与三は「よされぬか。」と言った。
「小次郎殿のお気持ちは固い。別に敵同士になる訳ではございません。我らだけで隼人様の元へ戻りましょう。」
「森どのは口出しなさるな。これは我ら兄弟の問題だ。」次郎は声を荒げた。一方、小次郎は飽き飽きしたかのように言い返す。
「だから、何を言われようが私は稲葉山を離れぬ。兄上は元通りに隼人様にお仕えくだされ。」
「お前はこの兄の気持ちを何もわかっておらぬな!」
「はいはい。判っておらぬということでよろしいから、離してくだされ。」
もはや次郎の目からは涙がポロポロと流れていた。与三とて小次郎の心変わりには首を傾けた。
「小次郎殿…道三様に何か弱みを握られておいでなのか。」
与三は小さな声で小次郎に尋ねた。
小次郎はそれをあざ笑うかのように笑って、立ち上がって部屋を出ようとしていた。
「待たぬか小次郎!」次郎は背後から小次郎の身体を抱きとめる。小次郎は「離せよ!しつこい!もう、うんざりだ!」とついに怒りを露わに叫んで嫌悪感を示したまま兄の腕を自分の身体から引きはがしにかかった。
「私はいつもそなたの事を第一に考えて生きてきたのに。よくも兄をそのように邪険に扱えるな!」
次郎も怒りのままに声を荒げた。
「そんなこと私は一言も頼んでない!それは兄上が勝手に自分の思い通りに私を振り回しただけだ。もう嫌なんだよ!」
 与三には兄弟もいないので、これが兄弟というものにつきものの取るに足らない些細な喧嘩なのか、本当に危うい状況なのか、その感覚が飲みこめない。
ただ、もうあまりに見苦しいと感じて、背後から次郎の腕を取って彼の動きを制した。次郎はまるで小動物のように歯をギリギリと鳴らして弟を威嚇する。
小次郎は、立ちあがったまま次郎の姿に一瞥を加えると、あとは、何も言わずに部屋を去った。最後にドンと大きな音を立てて戸板を閉めた。
 
 今度は次郎の怒りの矛先が与三に向かって、次郎は与三の胸元につかみかかった。与三は何とかなだめようとする。
「弟をそうお叱りになられるな。小次郎殿なりに何か悟ったことがあるのでしょう。」
「小次郎には私がおらぬとダメなのだ!森どのだって、訳の分からぬことばかりを言う武藤をしょっちゅう叱りつけて従わせておるではないか!。」
次郎は首を絞める勢いで与三の襟元にすがったまま、大粒の涙を流して取り乱し続ける。
「次郎殿…そのように不必要な事まで口にしてヒトを不愉快にさせるその癖は直されたほうがよい…。」
与三は次郎の意外な馬鹿力にどうにも息が苦しくなって、だからと言って自分の腕力で張り倒して構わぬ相手ではないので、そのまま仰向けに倒れこんだ。
次郎はしばらく与三の隣で膝を抱えて泣いていた。
「父上と母上が亡くなって隼人様お預けになってから、小次郎のことはずっと私が面倒見てきたのだ。私は自分のしたい事も我慢して、すべて弟に譲ってきた。それなのにあのような反抗的な態度をとるなんて…。」
「次郎どの。」
与三は起きあがりざま、次郎の膝に手を伸ばした。次郎の興奮は涙によっていささかおさまったようではあったが、小次郎の反逆を決して認めようとはしなかった。
「森どの。…いきなり、おかしいとは思わぬか。あいつのほうが私よりもずっと隼人様に執着していたのに。今更なぜ戻りたくないなどと言うのだ…。」
与三は少し考えてから返事した。
「小次郎どのは…道三様の元にいるのが楽しいと感じたのかも知れません…。」
与三は考えがまとまらずにそう言った。
美濃最大の権力者・斎藤道三の傍に控えておれば、日々さまざまな武将達が平伏する姿を毎日道三と同じ目線で見ることができ、道三とその周囲の一握りの部分の人間にしか知り得ぬ最重要機密も知ることができる。まだ分別のつけにくい少年の優越感をさまざまに満足させる場所に違いない。小次郎が道三に脅されている訳ではないとすれば、与三にはそれしか答えが浮かばない。
「次郎どの。明日、もう一度、拙者が小次郎どのに訪ねてみましょう。それでも駄目な時は、二人だけで戻りましょう。」
次郎は顔をゆがませて再び目から涙を流した。
「そもそも森どのが我らに関わらねば、こういう事にはならなかったのだ…。」
次郎の恨みがましい目に、与三は首を振ってため息をついた。
「それを申せば、隼人殿が織田家の使者をお討ちになりたいと言わねば拙者とてこういう事にはならなかったのです…。しかし、更に隼人殿からすれば、道三様が織田家の和睦を言いださねばこういう事にはならなかったとおっしゃるだろう。災いというものは誰にだって不慮に降りかかってくるもの。それを人のせいばかりにして受け入れられない奴は見苦しいことこの上ない。」
その言葉に、更に次郎は反抗するかのようにグズり始めた。
「…私は父母も私が小さい頃に亡くなってしまったせいで、養父であった隼人様の元でも、子供のころからガマンの繰り返しで、今まで何もかも思い通りにならぬことばかりだ。」
与三は今度は首をかしげた。
「拙者が今、面と向かって次郎殿に”言い訳してはならぬ”と教えて差し上げている最中ではないですか。私の言葉は耳に入っておらぬのでござるか。」
「森どのは偉そうなことを言っておるが、隼人殿に浪人分のままでコキ使われて、心中ではずいぶんと不服に思っておるのではないのか。」
与三はその言葉に一瞬で怒りが沸点に達した。
「だからそれが不必要な事だと申しておるのだ、このガキが!自分の思い通りに生きていけるヤツなどこの世に一人もおらぬわ!」 
 与三は次郎の襟首を掴んで、そのまま次郎を思いっきり板戸に投げ飛ばした。次郎はかつて切腹しようとする弟の刃を素手で握ったせいで、傷はなおっても右手の自由があまり利かなくなっている。それで自分の身をかばうこともできずに、ぶつかった戸板ごと縁を越えて表の砂利石の上にたたき落とされた。次郎はそのまま身体をうち震わせながら悔し涙を流して伏せたままになっていた。
 与三は言葉を追加して投げかけた。「次から次へとクソ面白くもない言葉ばかり返されて誰がそなたと一緒にいたいと思うか!」
大きな物音に、人々が何事かと言って部屋にやってくる。余語の家来も顔を見せたが、与三は全員を追い払った。部屋に取り置きの酒を出してきて、戸板の上に乗った次郎を酒の肴に呑み始めた。
そしてふと亡くなった伝九郎の事が頭をよぎった。次郎のような少年といれば、どうしても伝九郎のことを思い出さずにはおれない。
「隼人の元へ戻れば、伝九郎の最期も知ることができるだろう。」
与三が酒を飲み始めて半刻。急に次郎が戸板の上からムクリと起きあがった。
与三は縁側から声をかけて酒筒ごと酒を次郎に渡した。次郎は目を赤く腫らしたまま、何も何も言わずに酒を受け取り、表に裸足で立ったまま、ひたすらに細い咽をゴクゴクと鳴らして酒を飲み干した。
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第二十八話:「隼人佐」


 長井隼人は烏峰山を睨む陣屋にあって静かに座禅を組んでいたが、その表情や苦悩の末かずいぶんと疲れた表情をしていた。
 その膝の上には開いた書状を置いたままにしている。またしても稲葉山城の道三の傍にいる西村小次郎から届いた書状である。
「森与三は斎藤道三公のご命令を受け、隼人様の動向を内々に報告するよう仰せつかった上で隼人様の元へ馳せ参じる様子。森与三にご油断なさいませぬよう。」

 隼人が坐禅を組むうちに森与三と西村次郎が彼の陣所に馳せ参じてきたと報告があった。
隼人は少々気力を取り戻して「会おう。」と言った。が、「次郎はよい。与三のみここへ呼べ。」と付け足した。開いておいた書状を無造作に畳んで懐にしまった。
 森与三は許しを得て隼人の前に出た。隼人とは実に久しぶりの再会となるが、何から切り出したものか判らない。前回、隼人と別れる時、隼人は織田家との和睦に反対して完全に頭に血が上った状態であった。与三には織田家の使者を殺せと言い、自らは斎藤道三に反発して稲葉山を出て、自分の城へと向かって行ったのだった。そして、隼人は土岐三河守の謀反に接して、今、道三の命で東美濃の平定を仰せつかって兵を出している。
 与三は道三と隼人の微妙な関係を感じ始めてとまどいながらも、しかし自分の居場所はやはり隼人の元だと思っていた。

 隼人は、今はずいぶんと落ち着いた様子で目を細めるようにして静かに口を開いた。
「帰蝶を尾張の織田家へ送り届けたか。」
与三は隼人が織田信秀をいかに憎んでいるか知っている。そして帰蝶の夫となる織田信長が「どうしようもないうつけ者」という評判も当然耳にしている。
「帰蝶は不幸になるな。」
隼人は右手で口元をいじり、肉親さながらの重くて沈痛な面持ちを示した。
「与三、お屋形(道三)様は、何か特別そなたに申しておったか…。」
「いえ、私はただ、確実に尾張へ送り届けるように申し送りされただけでございます。」
 与三のせいではないが成り行きから帰蝶を和睦の印として尾張へ送り届けた。それは隼人の意に反することである。だから返す言葉も見つからずに、尋ねられた以外は黙っていた。
隼人は「仕方がない。それも帰蝶の持って生まれた運命だろう。」とつぶやく。


  「与三。今日はそなたも共に飯を食え。色々としたい話もある。」
隼人は与三の帰還を黙って許しているようであったので与三は心底ホッとした。あるいは織田家の使者を討とうとしたのは、隼人自身でやりすぎたったと思っているのかも知れない。
 与三は、次郎の弟の小次郎だけは自身の意志で稲葉山に留まったことを説明した。
隼人はその事は先刻承知のようで「別によい。」と言った。
「そのうち、小次郎も余語盛種も私の手元に取り戻すから…。」とつけ加えた。
余語盛種…せっかく再会した隼人の口から憎らしい余語の名が出てきたので、与三は火がついたようにカッとなった。
「余語殿はもう隼人様の元へ戻る気がありませぬが。」
与三は余語本人から聞いた通りの意志を教えたが、隼人は首を振った。しかしそれが何に対するどのような否定かわからなかった。

「与三。私を手伝う気があるか。」
「それは、その為に戻って参ったのですからお手伝い申し上げます。使いより戻った武藤より聞いた話では、隼人様は合戦によらずこの一件を収めようと望んでおいでとか。」
「そうだ。あんな小者と合戦するなど馬鹿らしい事だ。だからと言って、この兵を見せつけても土岐三河守は降参してこぬし、この周辺の者たちは誰も私に挨拶して来ぬ。」
「しかし斎藤正義殿を討ち取った輩だけは許しては示しがつきませぬ。」
与三の言葉に、隼人が「それはそなたの決めることではない」と、手にしていた扇子を怒りでパンと自分の膝に打ち付けると、与三は背筋を伸ばして畏まる。隼人は座ったまま、腕を真っ直ぐに伸ばして開け放たれた板戸の向こうに見える山を指さした。
「あれが土岐三河めが籠っておる烏峰山なるぞ。」
与三は隼人の元に駆けつける道中、すでにこの山の姿を見た。
「拙者が稲葉山で聞いた話では、東美濃周辺の土岐氏すべてが隼人様を狙って蜂起したという事でしたが、実際に陣を構えているのは烏峰城の土岐三河守のみでございますね。しかし三河守はこの軍勢を目の前にして、何の申し開きもせずに籠ったままとは。斎藤正義殿を討てば斎藤軍が報復に出る事は判っておったでしょうに。準備があれだけとは不可解なことです。」
隼人はその言葉に対して、何かを悟ったように静かに言った。
「こうなるとは判っていなかったのだろう。相手もそうするより仕方なく私の軍勢を見て立て籠っておるのだ。だとすればつじつまが合う。」
「え…。」
隼人はため息をついた。
「嘘か真かは知らぬが、この辺の土地の者たちは村人に至るまで皆で噂しておる。”斎藤道三が正義という餌を投げて、これに食いついた土岐三河守を長井隼人が釣りに来た”と……。”最後にその魚を食うのは一体誰なのか”と。」
与三はそれを聞いて思わず言葉に詰まったが、「道三様が…」と応え始めた。
「道三様が…自らご養子になさった斎藤正義をわざと土岐三河守にお討たせになるよう仕向けられた事情が裏にあったということですか…。しかし、土岐三河守は…何も申し開きしてこないのでしたら、その噂は嘘ではないのでしょうか。」
長井隼人は表情も変えずに立ち上がって縁側へ寄って行った。与三もつられて立ち上がった。隼人は不意に与三のほうを向いて肩を叩く。
「私は戦をするともなく、ずっとこの場所で考え事をしておったのよ。ここへ来て悟るところがあった。」
「隼人様…それは何でございましょう。」
隼人はようやく口角をあげて自嘲するように笑った。
「とにかくだ。烏峰山に戦をしかけるのではなく、この近辺の土岐一族すべてを説得して人質をかき集めるようにしたい。三河守が一族に説得されて山を降りてゆくように仕向けたいのだ。」
与三は隼人の顔を見た。
「今からすぐに烏峰山を落とすほうが早いと存じますが…。」
与三の言葉は耳を通らず、隼人は何か開き直ったような清々しさを見せていた。

 一方、隼人に面会を許してもらえなかった次郎は悲嘆に暮れていた。
「今は隼人様はお忙しいゆえ、今日はそなたとお会いできなかっただけだ。怒ってはおられぬし、小次郎も手元に連れ戻すとおしゃっていたぞ。」と与三は次郎を励まし、身の置き所のない次郎を預かって、次郎とはできる限り、寝食をともに過ごした。

 与三は次郎の心配よりも、まずは伝九郎の死の真相について知りたいのが本当であった。しかし隼人はまったくその話を与三に切り出してはくれない。今の隼人にはいくぶん余裕があったように見えたが、目の前にいる土岐家の連中の扱いに困って、心中それどころでは無いのかも知れない…。

第二十九話:「不分明」

 長井隼人の陣中の一角。
西村次郎が隼人の顔見たさに木蔭でしゃがみこんで待ち伏せていると、案の定、夜明け前の涼しさに隼人が側近たちを連れて外へ出てきた。そして次郎のいる木の前を通りかかって日の出を待っていた。次郎は隼人の元へ飛び出して行きたかったが、とても次郎のような立場ではそれができる状況ではない。
次郎はそっと木蔭から隼人を見つめた。

 隼人はすぐに木蔭から感じる気配が次郎のものと気づく。隼人がゆったりと後ろを振り返ってみれば、木蔭に隠れるようにたたずむ次郎と視線が交わる。その次の瞬間には、次郎の目から滝のように涙があふれた。「外は雨か___。」
隼人は笑うともなしにその一言を吐くと、側近たちは雲ひとつない夜明けの空を見上げながら、意味が判らずに首をかしげる。隼人はご来光に立ち会ってそれを拝み終えると、そのまま歩いて立ち去った。

 一方、森与三は夜明け前よりずっと目覚めてはいたが、自分の寝床の上で困惑していた。東美濃周辺の城持ちの国人らとかけ合いに出かけるために馬を用意させ、やがて自らは表に出て顔を洗い、塩を口に含んで歯を磨きつつも困惑していた。
自分が隼人の使いに出て、あの気位の高い土岐氏の連中が納得するのであろうか。しかも、相手に服従を迫り人質を差し出せというのだ。
与三が得意とする合戦の場であれば、相手をやりこめ、追いつめそして倒す、敵がいかに自分を恨もうが死んでくれればそれで終わり。それでよいのだ。交渉の場にように「相手を怒らせぬように」とか、「後々のことまでを考えて禍根の残らぬように」など、そういう言葉や態度での水際の戦いの事を考えると何とも面倒臭い。
「隼人は面倒臭い事をせずに、三河守を討てばよいのだ…。それで周囲の国人らが腹を立てて隼人を討とうとしても、これだけの兵数と準備があれば退治できるのに…。そして降伏してくるものを人質を条件に受け入れるほうが簡単だ。」と心の中では感じていた。

 何より、道三が討てと命じた三河守を隼人が討とうとしないのは何故だ…。
『実は道三が土岐三河守に命じて斎藤正義を討たせた』という噂は誠と信じて、ただ道三との約束を果たしたにすぎない三河守を謀反人として討つのに気が引けて迷っているのか。これまで、斎藤家と長井家乗っ取りの背信行為もためらわなかった隼人がどういうことなのだ。ここで、時間ばかりを無為に過ごしているとは…なんとも不可解である。

 与三は夜明けを見計らい、隼人に出立の挨拶をしに行く。
隼人と打ち合せがてら、一緒に朝餉を食べた。その時に知った話ではあるが、隼人は副使とともに与三にひと軍団を貸して供をさせるという。
「与三、あくまでも目的は相手を味方に引き込むことだ。頭に来て相手を討ってはならぬぞ。」
半ば冗談めかして笑いながら隼人がいう。
与三も、心の中では色々な考え事がめぐりながらも、隼人に笑い返した。
「しかし…なぜ、土岐三河守をお討ちにならないのですか。他の土岐一族が集まったとしても必ず勝てるでしょうに。」
 与三は思い切って胸にひっかかるこの疑問を尋ねてみた。隼人は白湯を飲みながら、わからぬのか、という感じで言った。
「力の加減とは難しいものだ…。美濃もあまり東につきつめれば信濃の入口を脅かして思ってもいない別の敵を新たに作り出すことになる。今はそれはしないほうがよい。…きっちり白黒つけず、どちらかわからぬままにしておいたほうがよいという事もある。」
隼人は白湯を飲みほして、湯呑をゴトリと膳の上に置いた。そしてその湯呑と膳を見つめながら、噴き出すように笑った。
「私は、やはり尾張が気になるのだ。織田信秀とは、このままで終わるはずがない。だから、今は稲葉山から離れたこの場所に余計な敵を作り出したくはない。」
「え…隼人殿は、美濃と尾張の和睦が壊れるとお思いなのですか。」
「そなたはいずれ壊れる時が来ないとでも思っておるのか。ならば読みが浅いぞ。」
「しかし、この先、道三様の姫君と織田信長の間にお子ができれば、事情も今より変わってまいりましょう。」
「果たして織田信秀がお屋形様と共通の孫を望むかどうか見ものだな。信秀はきっと信長に命じて帰蝶との間には子を作らせぬようにいたすと思うが。」
「…。」
隼人の話を聞きながら、与三は何か言い知れぬ不安に襲われつつあった…。斎藤家の言う「和睦」というものはこれほどに儚く脆いものなのか…。
「実子の結婚を伴った和睦」のことを、隼人は軽く「人質交換の上の休戦状態」としてしか見ていない。
いずれ壊すつもりの和睦なら最初からしたくなかった…それが、和睦を反対した隼人の誠意なのかも知れない。
 そして今、隼人は、このまま東美濃にかかりきりにされて稲葉山中央の事情から遠ざけられるのを恐れているのだ。いや、実際に既に道三は、隼人を遠ざけるためにこうして東美濃に行かせているのだ。そのうえ、噂どおりに道三が自分の養子の斎藤大納言正義を片付けるために土岐三河守を利用したのであれば、ただ道三に従った土岐三河守を謀反人に仕立て、その事情を知らせぬまま隼人に討たせようとするとは、道三とは肉親の長井隼人にとっても何とややこしくて油断のならぬ男なのだろう。
『なんだか、道三と隼人の関係が危ういな…。』
与三は食事を終えて箸を置いた。
「隼人殿。拙者の行く先は、やはり烏峰山がよろしいかと。何よりも土岐三河守に話をしたほうが早いと存じます。あなた様が早く稲葉山に戻られたいのであればの話ですが。」
それを聞いて隼人はムッとした表情になった。そして無意識に膝の上に置いた手首をポキポキと鳴らし始めた。与三はためらわずに身を乗り出して一気に話した。
「隼人殿は、ただ、三河守の本拠地・久々利城への退路を開いておいてくだされば、私が説得して烏峰山から奴を押し出します。また、この近辺より人質を取るのではなく、東美濃の情勢に詳しい家臣を募るといってこの土地の者を関城に連れて帰ればそれで自然と人質の用をなすかと。彼らがおごり高ぶった者であるならば自分たちが膝を屈したと思わせずに、斎藤家との同盟でもあるかのように良い気分にしておけばよいこと。それで彼らの面目は保てましょう。隼人殿がその気になればこれだけの大軍を動かせるとは心中ではわかっておれば、そこをわざわざ反抗してはきません。」
そこまで言ってフゥ、と深く息をついて、与三はまた居住まいを正した。隼人が与三の顔を睨みすえる。
「与三。一番大事なのは私の面目だ。」
「もちろん、それを一番に考えておりますとも。土岐三河守が降伏したとも、我々と同盟したとも…きっちりと白黒つけず、どちらかわからぬままにすれば誰一人とて面目を潰さずにすむでしょう。拙者にお任せください。」
そろそろ出立すべき時間だ、と与三は隼人に挨拶してその場を立った。
「与三。」
背後から隼人が寂しい声でポツリとつぶやいた。
「あの噂…お屋形様の命で三河守が正義を討ったのかどうか…三河守本人に聞いてみるのもよいかも知れぬな…。」
与三は「道三様に直接お確かめにならないのですか。」とやんわりと隼人に聞きかえしたが、隼人はうつ向き加減で黙って首を横に振った。
 

プロフィール

うきき

Author:うきき
森一族の小説を書こうとしています。

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