FC2ブログ

小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第三十話:「かりそめの城主」

 「森殿。」
隼人が預けてくれた兵の中から、思い出したように副使の一人が出てきた。
「可児に着陣の折、まっさきに隼人様がご重臣らを方々遣いをやられたが、まともな話にならずに追い返されました。既に相手は合戦の準備をしてのだ。お若い貴方が普通に口説くのは難しい。念のために合戦の心構えをいたしておきましょう。」
「は?」
 追い返されていたのか。それでも隼人は攻撃の兵を向けなかったのか。与三はそれを知らされておらず驚いた。
「まともな話にならなかった…のか。」しかし与三は顔をあげた。「拙者はまともな話をしに行くのだ、安心めされ。」
与三が自信たっぷりに言い、しかし穏やかに笑うと、副使もとまどいがちに馬の歩みを止めてペコリとした。
「あ、いや。稲葉山のお屋形様もご信頼する森殿に対してこれは失礼でございましたな。姫君を尾張に送り届ける為に稲葉山に呼ばれたとか聴いておりましたが、花嫁行列はいかがでございましたか…。」
 そうこう話をしている内に、土岐三河守の本拠地を叩くべく包囲していた隼人の兵が久々利よりどっと引き返してきた。それは烏峰山の城に籠る三河守に大きく退却路を開けることであった。与三はニッと笑う。
「さぁ、これで三河守を押し出せば必ず出る。」

 家来の武藤が心配して与三の傍に走り寄って来た。小声で与三につぶやく。
「気軽に言われるが本当に大丈夫なのですか…。土岐三河守がどういう奴かもわからぬのに。」
「大丈夫かどうかは天神地祇にしか判らん。しかし自分を試す機会がめぐって来たのだ。合戦ではない別のもので。静かに成りゆきを見守っておれ。」
 道案内に土地の者を雇っていたが、その男が「この先から、ずっと三河守殿の兵士がたまっておりまする。」と曲がり道の先を示した。
与三は、気を引き締め直した。

 長井隼人は可児の陣所より烏峰城を見張りながらも、遠く尾張の織田信秀という別の獲物を狙っている。

 与三の頭に、たった一度だけ遠くから目にしたあの若き織田信長の姿が浮かぶ。
細くてしなやかで美しいあの織田信長の姿が____。
これは予感だ。自分が運命の節目に立った時にこそ、はっきりと感じとれる予感だ。きっと自分の運命も、あの織田家に向いている。あの織田信長と再び逢う日がやってくる。
だから自分は今日、こんな些細な事の為に死ぬことはない。土岐三河守のことなど、きっとこれから歩む輝かしい人生の些細な壁に過ぎないのだ。


 長井隼人の陣中。
 朝も昼もなく、西村次郎はまた木蔭で涙を流していた。
隼人に許しを乞うすべも判らず、今、自分が何の仕事を果たせばよいのかもわからず、誰からも相手にされず、いや、むしろ誰からも無視をされ続けて、ただ、涙を流していた。
木曽川の水は流れ、時は経ち、夕刻に入って長井隼人が一人、夕涼みに陣屋から外にでて、朝と同じ場所に次郎がいるのを見て呆れた果てた顔をした。
「まだ雨は降り止まぬのか。」
隼人は石にどっかりと腰をおろして、怒るともなく笑うともなく、真面目な表情で次郎を手まねきした。次郎はそっと木蔭から姿を現した。
次郎はそれが自分を許すための手まねきであってほしいと願いながらも、罰を与えられるのかも知れないと思ってギクリとした。
隼人は懐から紙を取り出して次郎に差し出し「みっともないから、これで鼻を拭け。」と言った。
許される雰囲気である。次郎は思わず隼人の傍に寄って行き、彼の足元に二つ折に腰をおろして平伏した。
「あの時は与三にたまたま連れて行かれて、そなたらも運が悪かったの。ははは。」
次郎は、鼻紙にと渡されたその反故紙の墨書きが見覚えのある字であったので凍りついた。書状を切れ切れにしたものではあるが、弟・小次郎の字だ。
何なのだ、この書状は__。
くしゃくしゃになっていた反故紙を開く。
次郎は全身を一気に震わせ、隼人の目の前であっても気にも留めずに紙片を広げ、涙も忘れ、目を血走らせて文字を読んだ。
『道三公は本日、家老のうち』
読み終えぬうちに隼人が、手紙の切れ端を手にする次郎の手ごとつかみあげた。そしてそのまま次郎を自分の顔へ引き寄せた。隼人は恐ろしい形相で眉間にしわを寄せて次郎を睨みつけている。
「そなたの弟は何を勘違いしたのか親切心で色々と私に道三の様子を伝えてくれているが、危うい事だ…。止めろと言っても聞く耳を持たぬ。一刻も早く止めねばならぬ。」
 何も知らなかった次郎は驚いて困惑し、とりあえず何か言葉を吐こうとし、しかし何も浮かばずに息が荒くなる。
「判っておる。馬鹿め…。お前はそのままでいてくれてばよいのだ。私の傍に居てくれるだけでよいのだ…。もう何もあれこれと考えるな。」
隼人は次郎にだけ判るくらいに小刻みに首を振った。少し口角があがりながらも、眉間には激しくしわが寄る。
「隼人様…。」
次郎はおののきながらも、か細い声を出した。隼人は次郎の両眼を覗きこむ。
「次郎よ、そなたは自分が正しいと思う事をしたのだ。それを咎めるつもりはない。今考えれば、織田家の使者を討つなどとは私も少々無謀であった。」
次郎は、道三に隼人の陰謀を告げに走ったわが身を思い出してギクリとした。そのまま隼人の腕が次郎に伸びてくると、次郎は怖くなってますます息が荒くなった。
「次郎、なぜお屋形様がそなたを私の手元に戻したか分かるか。私が怒りにまかせてそなたを切るかどうか知りたいのだ。もし切れば…。」
隼人の指先が、次郎の咽元をシュッと横になぞった。次郎の身体がビクリと跳ね上がる。
次郎はどうにも身体が硬直し「お切りになりますか。」と、ガクガクと震えた声で言った。
「切れぬな。何年もの間一緒に過ごしておれば、どうしても情というものが湧いてくる。ましてや、自分が姓や名を与えた子であれば骨肉のように思われる。たとえ…本当は血がつながらぬ仲でもな。」
 彼らの会話はまったく耳に届かぬ場所に立つ見張り台の者たちも、隼人と次郎の様子が変なのでチラチラと彼らのほうを何事かと気にして見ているのであった。
隼人は、次郎の肩をポンと叩いた。
その時、彼らが背を向ける烏峰山の風景から、山頂に翻っていた土岐三河守の軍旗が外され、城兵の群れが大きく動き出し、次第に山を降りていった。
敵軍は退路に沿ってどんどんと姿を消して行く。

 ずっと緊張状態であった両者の関係がいきなり大きく変化を見せて、長井隼人の陣所が右も左もざわめき始める。
隼人と次郎は見張り台まで寄って行き、烏峰山の城から土岐三河守が兵を引いて行くのを見て驚愕した。彼らだけではない。皆、仰天した様子でまばたきも忘れて烏峰山を見た。
「どういうことだ。与三が上手く三河守を懐柔したにしても撤退が早すぎる…。一体何があったのだ。」
「しかし、隼人様。あれは森どのでは…。」
豆粒ほどの影が先頭切って城へ登ってゆく。隼人の陣所から皆が一斉に一つのその影を「あれは森与三だ。」「森どのだ。」と言って指をさす。
悠然と沈みゆく夕日を背に受け、烏峰山の砦に登る味方の影が鮮やかに映し出されていた。
「与三…。」
 隼人が貸し与えた軍団が、まるで元々より与三が率いるもののように見え、隼人の見つめる遠目にも、ゆったりと馬を歩ませて砦に入る与三の姿がまるで千騎万騎の軍を預かる城持ちの大将のように映えていた。
スポンサーサイト

第三十一話:「鴆毒(一)」

 森与三は長井隼人に付き従って久々に稲葉山城を訪れた。
どうも斎藤道三と隼人の間に気まずい雰囲気を感じないでもないが、隼人の尽力で東美濃も随分と落ち着き、隼人は後事を重臣に託して自分は与三を連れて自分の城の関城へ戻った。

それから時を経ずして、隼人は与三を連れて稲葉山に出向いたのだ。
隼人はすこぶる機嫌が悪いのか、道三と再会する緊張感からか、考え事が頭をめぐっているのか、道中あまり口を開くことがなかった。与三も供の者たちも、黙ってついてゆくしかない。沈黙の中、馬の闊歩だけが聞こえる。
 与三は今回の東美濃の始末について、隼人より色々と口止めされることが多かった。その秘密が何かを知っているがゆえに、今の隼人と道三の関係がことさら心配に感じられた。
たとえば「斎藤道三が、土岐三河守に斎藤正義を暗殺させたこと。その三河守を謀反人として長井隼人に討たせようとしたこと。」
与三が土岐三河守と面会した時に知ったのは、それが、真実であったらしいこと___。
 長井隼人が土岐三河守を生かす道を選んだ時、それを道三にどう釈明するのか、与三は気がかりでならなかった。ただでさえ、尾張との和睦のことで行き違いが生じているものを。
 
 稲葉山城に到着して、皆で道三の屋敷に入ってゆく。嫌な予感がしてならないが、隼人が行くのだから、行かない訳にはいかない。
「私と与三だけであとは屋敷で待っていればよい。」と、隼人だけには心の余裕があるのか、稲葉山城下の自分の屋敷に他の従者を返してしまった。
 隼人は道三に会いに行く廊下で、与三には「控えの間で待っていてくれ。」と言ったが「すまんが話が長くなると思う。」と締めくくった。与三はゴクリと音を立てて唾を飲み込み、頷いた。
 道三と隼人とで話す事は山ほどあるかも知れない。織田信秀との和睦のこと。東美濃のこと。土岐三河守のこと。いまだ道三の手元にある西村小次郎のこと。この短期間に色々なことが一気に起きてしまった。

 隼人が道三の元へ行ってしまうと、入れ違いに道三の家老連中がドカドカと屋敷の廊下を歩いてやって来た。与三を大いに嫌う奴らだ、今回の東美濃の話を聞いてますます不愉快になって何か言ってくるに違いない。
ところが、家老連中は与三の姿を認めると扇子で与三の肩をポンと叩き「そなたのように口ほどのことをやれるようならばまだマシだがの。どうして口だけの小生意気な余語めが、老臣と席を並べて座るのか。遠慮を知らぬので困る。」と、大声を張りあげて通り過ぎてゆく。与三は呆然としながら彼らの後姿を見送った。
「な、なんだあれは…。」
しかし自分に喧嘩を吹っかけてこられなかったのは幸いだ。ホゥとため息をついてふり返れば、余語盛種が、家老らを鬼のような形相で睨みすえてワナワナと震えて立っている。
 家老の姿が消えた次の瞬間には突然に余語が「うぁあああああああ!」とその場で吠え立てて、与三はますます仰天してしまった。
「どうしたのだ。気でも狂うたか。」
 与三が声をかけた瞬間、余語はキッと与三を睨みつけて、彼もまた廊下を歩いて出て行った。
「なんだありゃ。相当きとるな。」


 そこへ、大喧嘩する斎藤道三と長井隼人の声が響いてきた。
「まずい。」
与三は、隼人から離れた控えの間で待っておられずに、彼らが対面する客間に足を向けた。屋敷内の他の者たちも閉め切った部屋に続く渡り廊下に近づいて野次馬半分でオロオロとしている。部屋の外で待機している小姓が皆を話の届かぬ遠くに追い払おうとするが、大多数の強みでそのまま皆で部屋に耳を傾けた。
「お屋形様のご勘気はいつもの事なれど、今まで隼人様のことだけはお叱りになられたことなどなかったのに。」
と、女中までもが囁き合う。
小姓は皆が自分の言う事をきかぬので腹を立てて「皆、場を去りなされ。」と、口をパクパクとさせ、さもなくば、と立ちあがったが、それと同時に道三と隼人が対面する部屋の中にいる側近が「誰ぞ!誰ぞ!」と叫び始めたので、その小姓が部屋を開けると、部屋の中では道三の刀持ちをしていた西村小次郎から道三がその刀をもぎとらんとしていた所であった。小次郎は、おののいて、必死で刀を抱きこみ刀を今の主人に渡さなかった。
一方、隼人は逃げることもせず、表情すら変えず、不動のまま道三の前に座していた。
 部屋の外にいた小姓達がその光景に驚いて部屋に飛び込んで行ったので、与三や居合わせた重臣達もすみやかに部屋に駆けこんでいき、与三は隼人をかばうようにして道三との間に立ちふさがった。
 先ほど屋敷を去ったはずの家老や余語もその騒ぎをどう知ったのか、屋敷へ戻ってきていた。
その光景を屋敷中の者たちに見られたことを知って面食らったのは道三だった。怒り心頭に達して全身が真っ赤になっていたが、瞬時に冷静さを取り戻したようで、「大事無い。皆退け。」と命じた。

 隼人は目の前に立つ与三に言う。
「話は終わっておらぬ。与三、外に出ていろ。」
道三が刀を手にしたのは隼人を切ろうとしたからに違いないのに、隼人は血相一つ変えずにいる。
それどころか隼人は西村小次郎に微笑みかけ「大丈夫だ。そなたも刀を持って部屋から出てくれ。」と命じた。

 全員が人払いされてしまい、皆は小次郎に「どうしてあのようなことに。お二人は何の話をしておられたのだ。」と尋ねたが、小次郎は決して軽々しく口を開くような真似はしなかった。
 与三は控えの間で大人しくじっと待ってもおれずに、屋敷の外に出て、大きく胸を開いて深呼吸していた。そこに余語が寄って来た。
「隼人殿が何を申したのか知らぬが間が悪い。道三殿も家老連中も美濃三人衆が挙動不審なせいで相当頭に血が上っているのだ。」
与三は、身体を動かしつつ余語に目線を合わせはしなかったが、それを聞いてボツリと返事した。
「この美濃は思った以上に敵だらけだな。土岐氏のために道三殿に反発するのか、道三殿に反発するがために土岐氏に味方するのか、これをひとつひとつ見極めて対処せねば、美濃統一には果てがない。」
余語はそれに答えて「それは守護職である土岐氏…」と言いかけたが、道三の屋敷の敷地内である。話題を変えた。
 「それはそうと、家老連中が申しておったが東美濃の土岐氏の鎮圧に森どのの功が大きかったとか何とか…。そなた、どうやって土岐三河を降伏させたのだ。」
「別に。」
「別にということはないだろう。」
「そなたに教える義理はない。」
知らぬ間に与三と余語は激しい口論になって罵りあっていた。そのうちに野次馬が寄ってきて、野次馬に「御前で何事じゃ!」と激しく叱られたので、二人は口を閉じて場を移動した。
 与三は「余語どの、そなたも随分とイラ立っておるな。どうせ家老連中がそなた一人に意地悪しておるのだろう。あいつらは誰か一人を共通の敵にせねば連帯のとれぬ奴らなのだ。」と、言うと余語は嫌気がさしたような顔をして腰に手を当てて「小せぇ。みんな小せぇ…。」と空を見上げた。与三は、伸びきった余語の背中をじっと眺めていた。

その余語の姿が、
『もっともっと上の世界から、この広い世界を見降ろしたい。』
という自分の内なる叫びと重なって見えた。
余語は振り返って、与三の胸をトンと指さした。
「そなたも器が小せぇ。」

 隼人が屋敷から出てきた。隼人の眼に、与三と余語の二人の姿が目に留まる。
「ここにいたのか。与三、帰るぞ。」
隼人は疲れているのか自分の元に帰ってほしいと願っていた余語の姿を見てもそこまで興味を示さず、どうでもよい挨拶がてらに「織田家に変わったことはあったか。」と聞きながら、そのまま余語をやり過ごそうとしていた。
「織田信秀が清洲の織田一族とも和議を結んで以来は、身辺落ち着いているようで特段何もございませぬ。」余語が言った。
「清洲家と和議とな。」隼人は驚いて余語の顔を見直した。余語は隼人も当然知っているかのように語ってしまったが、それに対して隼人は決まり悪い顔をして、そのまま颯爽と歩きだした。
与三も慌ててついてゆく。

 隼人は至極不機嫌のようで黙ったままでいた。道三との話はうまく丸くおさまったのか与三としては気になって仕方がないが、隼人が何も言いたくなさそうなので、尋ねることができない。
 隼人は自分の屋敷へは真っ直ぐに行くべきものを、途中、右に曲がる。その先にあるのは女の屋敷でもない。

「こっちだ。義龍殿のお屋敷へ寄る。」
「え…。」
「先ほど、お屋形様から私とそなたとで夕餉の席に招かれた。それで私は義龍殿もご一緒にと申し出たのよ。」
「さようでございますか。」
義龍の話が急に出てきたのに驚いたが、道三とは仲直りできたのか…与三は内心ホッとした。
「もう随分と息子とまるで顔を合わせておらぬというから、それはよくないと申し上げたのだ。」
 斎藤義龍は道三の嫡男だ。道三がこの義龍と距離を置いているのは誰もが知る話だった。それは…義龍が道三の実の子ではく、本当は守護・土岐頼芸の子であるという理由が噂として添えられていた。

 与三自身は義龍のことは姿は何度か見たことがあるが、今まで一度も口をきいたことはない。
「よい機会だ。そなたも挨拶しておくがよい。」
「はっ。」
隼人と与三は義龍の屋敷へ伺うと、しばらくしてその男が二人の待つ客間に出てきた。
斎藤義龍___骨太で、部屋をくぐって入るという感じの大きな体躯の男だった。義龍は叔父の隼人の傍に座ろうとしたが、隼人は義龍を上段に座らせた。
「義龍どの、ご無沙汰しておった。息災であられたか。」
隼人は愛想良く義龍に声をかけたが、当の義龍はぶっきらぼうに黙って「はい。」と頷くだけで、隼人にまったく愛想無しである。むしろ、隼人と言葉を交わすのが面倒がっているような印象を受けた。
隼人は「自分も行くから、道三の夕餉に伺うように。」と薦めた。それを聞いた義龍の顔はまったく乗り気でない。あからさまな表情なので、与三は驚いた。そして義龍はむしろ行かなくて済む理由を探して、だらだらと話し始めた。それでも隼人は説得した。表立って「道三と距離を置くのはそなた自身の為に良くない。」とは言わず、「親の屋敷にちょくちょく顔を見せに行くのは当然なこと。」「お屋形様は内心ではそなたを心配しておいでなのだがそれ言葉として口に出すのが苦手なお方なのだ。そなたも難儀よのう。」と、親身になって同行を薦めた。
 義龍は身体の大きさには似合わず、話を聞く間じゅう優柔不断な顔をして指でアゴをコチョコチョと掻いて考えていた。実の父子が一度食事をするのに、かくも深くに悩むものであろうか。
「そなたの身の安全は私が保障する。」といきなり隼人が言ったので、与三はギョッとした。
義龍はずいぶんと考えた上、隼人の説得に応じて「あい判った。」と最後には承諾した。
 
与三は、初めて面と向かって義龍に挨拶した。
隼人もそれを微笑ましく見ていた。
この時は、三者ともが、この先それぞれに押し寄せる運命に気づいていなかった。
いや、この場にいる長井隼人だけは、薄々判っていたのかも知れない。
その引き金を自ら引いたのは、隼人なのだから___。


 夕刻になって、長井隼人と与三は早めに道三の屋敷へ向かった。迎えてくれた小姓はあの「西村小次郎」であった。朝の出来事で心配していたが、隼人も与三も、小次郎の元気そうな姿を見て安堵した。
隼人が小次郎に「少々話がしたい、よいか。」と与三を残し、小次郎の肩を抱えて部屋に入った。

 隼人は部屋の暗がりで立ったまま、小次郎に「そなたの忠誠嬉しく思うぞ。」と喜び、その頬をなでた。そして懐から小さな紙を取り出す。
「小次郎よ。間もなくこの屋敷に斎藤義龍殿が来る。その時これを誰にも見られぬように義龍殿に渡すことができるか。」
小次郎は「はい。私がお出迎えすることになっておりますので、お渡しできます。」と頷いた。隼人はホゥと安堵のため息を漏らした。

 与三の待つ廊下へ、隼人と小次郎が戻ってくる。
「では、小次郎、また明日にでも話の続きをしようぞ。兄の話もしてやる。」と明るく言い、隼人は小次郎の背中をポンと叩いた。
「与三、行くぞ。」
与三は隼人と小次郎の表情を伺ったが、隼人はご機嫌であるし、隼人に会えてそれは嬉しそうに頬を赤らめていた。


 しばらくして、斎藤義龍が道三の屋敷を訪問した。
西村小次郎が「ようこそ参られました。お腰のものをこちらへ。」と両手を差し出した。義龍はちょっと険しい顔になって腰の刀の大小を抜いて小次郎に差し出した。彼の一つ一つの所作が緊張している。小次郎はその刀を受け取る瞬間に、義龍の手の中に紙片をキュッと差しこんだ。
「さぁ、こちらへ。お供の方々は宴が終わるまで控えの間でお食事くだされ。」

義龍は小次郎に伴われて後ろを歩きつつ、さりげなく手元でその紙片を開いてみた。

『今宵の食事には決してお手をつけ申すまじき事。』

今から出される食事には決してお手をつけられてはなりません___。

 前を歩いていた西村小次郎が振り向き、いかにも心配そうな顔つきで義龍を見た。義龍は瞳孔が開いたかのように落ち着きなくただただ敵か味方か分からぬ小次郎の顔を覗きこむ。
「私めは、以前まで長井隼人さまにお仕えしておりましたが、今は事情があってこちらにおりまする。」
小次郎はそう自己紹介した。そして、「こちらの広間にお入りください。既に皆さま方もお集まりです。間もなくお屋形様もおいでになります。」
義龍はハッとして、大きな拳でその紙片を握り締めた。

第三十二話:「鴆毒(二)」

 隼人と与三を囲む夕餉の席に着いたのは、斎藤道三と義龍だけではなかった。この日に居合わせた道三の家老らもそのまま宴に加わった。家老たちはは森与三が同席していることが面白くないに違いないが、道三の手前もあってか機嫌良さそうに振舞っていた。

 本膳が運ばれてくる。皆の盃に酒が注がれてゆく。
道三は「さて、今宵は久々に隼人が稲葉山に戻って来たのだ。くつろいで話をするがよい。」と隼人を見た。隼人もニコリと笑って「馳走になりまする。」と言った。
道三も隼人も二人とも今朝の大喧嘩の失態を取り繕わんと努めて笑顔に徹しているのが誰の目にも判った。
 「隼人殿の東美濃でのお話をゆっくりと伺うのを楽しみにしておりまする。」と家老の一人が言うと、その場がシーンと静まり返った。

「ああ。しかしその前に皆に伝えておこう。」道三は手にしていた盃には口をつけず、そのまま膳に置いて語り出した。
「犬山城の織田信清が挙兵して叔父の織田信秀に反旗を翻した。今、あちらは必死に戦っておるわ。」
みな、ざわつく。織田家となると、隼人は過敏に反応した。家老の一人が声高に言う。
「犬山城が。その信清の親父の信康は、以前、信秀と一緒にこの美濃に戦をしかけてきた者ではござらぬか。確か我がほうの者が討ち取ってくれたよのう。はぁ…あの信康の息子が信秀に反旗をひるがえして兵をあげ申したか。」
それにつられて誰ともなく「あちらは、とうとう近しく血を分けた者たちで骨肉の争いを始めたのでございますな。」と、言い放った。
道三は頷いた。

「今のところ、信秀よりこちらには援軍や挟撃の嘆願はない。自分の兵だけで何とかするつもりであろう。」と道三は説明し、「信秀め苦労しておるのぅ。清洲と和睦したかと思えばこのザマか。」と、苦笑いをした。
 隼人は「今は、和睦の折に織田家から迎えた家臣もこの稲葉山内に沢山おります。どこに人の耳があるのかわかりませぬ。そう表立って悪し様に言うのはよろしくないかと。」
隼人の発言で、再びその場がシーンと静まり返った。

 道三は再び盃を手にして「そうだの。今宵はそなたのための宴だ。楽しくやろうぞ。」
みなで盃を汲み交わした。

 与三は、今日挨拶したばかりの斎藤義龍の人となりに興味深々である。
日ごろは接触できぬ義龍をこれほど身近で知る機会が初めてできたのだ。何事もなければ、彼が道三の後に斎藤家を継ぐのであるから、彼がどういう人物であるのか、その器を知っておきたい。
彼の口から語る彼の斎藤家の未来を聞きたい。
思想を知りたい。
与三は横目で義龍だけを伺っていた。宴の座についてからは、口を開いたかどうかわからないほど大人しい義龍。ずっとその義龍を伺っていると食事の前に盃を合わせて飲みほす場で、彼は盃を傾け口をつけるフリをしたが、酒を一滴も飲まず、それをサッと貝汁の中に酒を流しこんだ。
『む。』
義龍ばかりを気にしていた与三はすぐにその事に気づいた。
皆が食事を始めると、義龍は里芋を食べるふりをして袖の中に次々にポコポコと落しこんで隠した。
『は。』
与三は義龍が何をしているのか判らず、その素行に驚いてしまい、自分が食べる事も忘れて皿を手にしたまま義龍の様子を横目で伺い続けた。
 義龍は口はムシャムシャと動かしながら、香の物もご飯も一切口にはせず、サッと自分の懐に落しこんで隠していた。
 皆が長井隼人の話に夢中でそちらを向いている時に、義龍は吸い物を床に下げてゆき、膳の下で何かゴソゴソとやっている。
『ええっ!無理であろう?!その汁はどうやっても無理であろう!!!』
与三は我慢できずに、自分の体を傾けて伸びあがって義龍の膳の下を見ようとした。
「与三。そなた何をしておる。」
ふと気づけば、道三も隼人も、家老達も皆が与三を見ていた。
「いえ、何でもございません。」
「…そなた。烏峰城に籠った土岐三河守とどうやって話をつけたか皆に話して聞かせよ。」
道三自らが、土岐三河守を出してきた。
「拙者は隼人殿のおっしゃる通りにしたまででございます。」
与三は、隼人と前もって打ち合わせていた通りの話をしてきた。
「三河守が人質を差し出して命乞いするものですから。三河守の味方をしていた周囲も彼の臆病ぶりを知って白けて こちらに次々と挨拶してきた事でもあるし、そのまま隼人さまが烏峰山から三河守を蹴り落としました。」
「そなたは三河守を討とうと進言しなかったのか。」
「今、美濃を掌握なさるために何が肝要かと考えると、あの場合に力押しは得策ではないと思います。」
そうして話をしているうちに二の膳が運ばれてきた。
 与三は、義龍がこの後も同様の行動をするのか気になってどうしようもない。しかしこれ以上自分が義龍に視線を向ければ、あの奇妙な行動が他の者にも見つかってしまう。代わりに隼人の顔ばかり見つめた。
家老たちは笑いながらしらじらしく言う。
「森どのも末頼もしい男になってこられたなぁ。」
道三が「そうだの。そなたの処遇をもっと考えねばならぬ。そなたらの中でよい年頃の娘はおらなんだか。」と、急に家老らに話を振った。
『嫁って、そっちかよ!!!』
これには与三も家老らも目を向いて首を振った。
道三は唇を突き出して言い放った。
「そなたには、これからも尾張のことに当たってほしいと思うておるのよ。織田家との間を上手く取り持つ者が必要なのだ。」
隼人は心なしかムッとしている。

 そのうちに三の膳が運ばれてきた。笹の葉を敷き詰めた皿の上に焼き魚がドンと載せてある。
隼人は目の前の立派な魚にはお構いなしで「与三には関城下に屋敷を与える約束をいたしました。常々の労に報いてそれなりの事をしてやらねばなりませぬ。」とムキになりはじめた。「今、与三に東美濃でやらせてみせたき事が…」
 隼人は、そう言いながら、先ほどから全く発言のない義龍のほうを見ると、義龍は汗をかきながら引きつけを起こしたように歯を食いしばり懸命に魚の身を箸先でグチャグチャにしている。
 それを見て呆気に取られた隼人が静止してしまったので、皆は隼人の視線の先にある義龍を見る。
義龍の姿を見れば、着物のそで口にも茶色い汁がべっとりとついている上に、床の上もビチャビチャに濡れている。道三が低い声で怒りを含めるように言った。
「義龍。何をしておる。」
そう言われてようやく義龍は皆の視線が自分一人に注がれていることに気づいた。息が苦しそうになり、脂汗がじとりと顔に浮かんでいる。
「そなた、この席が楽しくなくて、あてつけに魚をかき回しておるのか。」
道三がそう言うのを隼人が盃を突き出して制した。
「まぁ、お屋形様、そうおっしゃらずに。せっかく、このように皆で顔を突き合わせて仲良く食事できるのですからよいではございませぬか。」
道三は義龍を睨みつける。義龍は目線を反らして黙っている。隼人はなお、助け船を入れるが、彼もまた道三に対して怒り口調になっていた。
「魚をどのように食うてもよいではございませぬか。」
「あれは食べておるとは言わぬ。義龍の行儀は儂へのあてつけじゃ。」
道三と隼人の会話に、どんどん義龍の血色が変わってゆく。皆が彼を凝視している。
ダンッ!
義龍は跳ねあがるように席を立った。
そして何も言わずに膳を蹴ってズカズカと出て行った。
皆、言葉が出ずに呆けている…。
道三はそれこそ頭に来て爆発前だったが、隼人が道三の前に出て詫びる。
「私がこの場に無理に誘ったのがよくなかったのでしょう。体調が悪かったのかも知れませぬ。後日、よく説得しますから、ここはこらえてくださいませ。」
 与三は、もう魚が咽を通らなかった。いや、与三だけではなくこの気まずい雰囲気に誰も食べ物に手を伸ばさなかった。
 隼人は「ここらでお開きにしたほうがよろしいでしょうな。明日、宴の礼に参上いたします。」と、席を立った。与三は道三や重臣達に頭をさげて挨拶をすませて隼人を追った。道三も黙っている。
 

 隼人は皆の見送りを断り、与三がまだ追って来ぬうちに玄関先の暗がりで、懐から薬を一服取り出した。
「南無三。」と言って、それを手のひらに移し替えて一気に口に含んだ。


「隼人殿…。」
帰途に与三が声をかけても、隼人はもう興ざめした様子のまま沈黙を守って何も話そうとしない。馬にも乗りたくないらしく、そのまま歩きだした。状況を何も知らぬ他のお供の者たちは、何があったかを知るはずの与三に目くばせする。与三は隼人に見えぬ位置で、小さく横に首を振って他の供に、隼人が今は機嫌が悪いことを示した。
隼人は道三と義龍の仲を取り持とうとした親切が徒となって痛恨の思いらしく、重々しい空気を背負ったまま帰途についた。
 与三は、義龍の食事を口に入れようとしない行動のほぼ一部始終を見ていたが、それを隼人に告げるべきかどうか悩んだ。あの行動は実に不可解である。義龍は、あの料理に毒でも盛ってあると思ったのだろうか。そう思うのならば、なぜわざわざ夕餉の席に出たのだ。

 隼人は歩いていた足をピタリと止めた。
「ああ…やはり今のうちに義龍殿にひとこと話して帰ろう。」
とまたしても踵を返して義龍の屋敷に向かい始めた。しかし、隼人はその場で急に立ちつくしてうめき声をあげ、差し込みのあたりを押さえてかがみ込んだ。与三が覗きこむ。
「隼人殿。どうなさいましたか。」
隼人は顔を歪めたまま口が開けない。与三は「大丈夫でございますか。」と身体ごと隼人に近づいていったが、隼人は「く…苦しい…胃の腑が焼けるように…」と言った瞬間に、顔を紫色に変え、地面に叩きつけるように胃の中の物を一気に嘔吐し始めた。
与三は驚いて倒れそうになる隼人を背中から抱え込んで、背中をさすった。
 武藤がすかさず「屋敷から人を呼んでまいります。」と長井屋敷に向かって走り出すが、武藤が走り去った後に、「必要ない…。」と隼人がうめく「義龍様の屋敷に…薬師がおる」。
「ああ、ならば今は一刻も早く義龍様の屋敷に参りましょう。」と与三は隼人を背負った。隼人は苦しみを訴えて言葉にならない声をあげ始めたからもう、皆、気が気でない。隼人は与三の身体に全体重を傾けてもたれかかる。与三は意識が遠のく隼人のあまりの重さに地面に膝を落としそうになるが、義龍の屋敷に向かって踏ん張って歩く。もう自分の背中の上でこのまま隼人が死ぬのではないかと恐怖におののいた。隼人が背中で荒く吐く息に、死の匂いを感じた。
与三に先立って隼人の従者が「頼もう!」と義龍の屋敷に駆け込むと、間も無く薬師を連れて隼人の元へ戻ってきた。
 義龍の屋敷へ行くと、皆、担ぎ込まれた隼人のただならぬ苦しみの様子に仰天する。
屋敷の者達は「草履のままでよい。早くこちらへお運びしておくれ。誰か床をのべよ!」と、叫んで屋敷へあげる。
 薬師が「とにかくありったけの水を飲ませて吐かせよ。」というので、与三は隼人に随分と背中を汚されたままなのもそっちのけで、苦しむ隼人を横たえさせて水を飲ませるが、隼人は咽へ水が落ちる前に、白目をむきだして水をグヘッと吐き出した。その勢いで隼人の目からは涙がこぼれ、鼻からは血が垂れるが、それでも与三は隼人の口をこじあけて水を流しこんだ。
 伝九郎の死に対する恐怖が与三の中で大きくよみがえって広がってゆく。伝九郎もまた、このようにして死んでいったのではないのだろうか。
油断をすれば、どんどんと大事な人達が死んでゆく。
死なせてはならない、長井隼人まで死なせてはならない。

 しばらくすると家の主である義龍が血相を抱えて出てきた。
「なんと言う事だ。」
与三は目の前に義龍が立とうがそれどころではなかった。とにかく隼人を苦しみから救おうと、必至で隼人に水を飲まようとした。隼人は歯を食いしばって口を開かない。咽を必死に押さえている。
「おい、今は吐かせるでない。叔父上の咽が焼けて死んでしまう。」
義龍は薬師とはまったく別の事を言うと、懐から薬袋を出してきて与三の間に割って入った。薬師が「そのお薬は義龍様の大事な犀の角なのでは。」と驚くと、義龍は「このような時に使わずにいつ使うのだ。」と自ら隼人に薬を飲ませようとした。
隼人は正気を取り戻し「やめてくれ。胸や胃が焼けて苦しい。」と叫ぶが、義龍は「それは毒を口になさったせいだ。この解毒剤を飲めば楽になる。」と隼人を説得して口を開かせる。毒に対して何と冷静で手慣れたことか。
隼人がガクリを気を失うと、皆が仰天した。


 二刻も経てば、隼人の顔はだんだんと血色が戻り、生気を取り戻した。
その代り、義龍は我を失なわんばかりに怒り狂っていた。
 

プロフィール

うきき

Author:うきき
森一族の小説を書こうとしています。

ブログ内検索

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。