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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第三十九話:「信長の妻(一)」

 帰蝶はまだ少女と言って良いほど若い。
しかし、父・斎藤道三の元を離れて尾張の織田信長の元へ嫁いでより、自分の中に野心的な女がある事を感じていた。
 侍女に丁寧に髪を梳らせながら自分に見とれるように鏡を覗きこむ。唇に紅をさす。自然と口角があがってゆく。自信と誇りに満ちている女の顔がこんなに美しいとは…美しい…帰蝶は自らをそう思う。信長は自分に惚れこんでいる。それが判っているから、まるで自分がこの尾張の主のように誇らしいのだ。
 その顔をさらに横からも見たいと手鏡を手にとれば、自分の背後に控える英の影が映った。
英…この女はいつもうつむき加減で顔を逸らし、帰蝶に声をかけられることを常に怯えているのだ。たとえ声をかけてもおどおどして言葉がつながらない。つかの間の話し相手にもならない、つまらぬ娘。
 その帰蝶のいる部屋へ近づく足音がする。あの荒々しさは、帰蝶の部屋に待ちきれぬほどの速さで音をたててやって来るあの慌ただしさは、夫君に違いないのだ。
ザッ、と廊下の障子を開け放つと、織田信長は、昨日の雨が乾かぬ道で馬を走らせ泥にまみれたか、素足は洗ってはいるが、袖や首筋に泥がはねたままであった。その出で立ちは、人々にうつけと呼ばれるに相応しい湯帷子姿。腰は荒縄でしばって袋やら瓢箪をぶら下げている。

「あらまぁ。」と帰蝶は笑ってみせた。笑って、三つ指を立てて信長に頭を垂れた。決して私は、こんな夫を馬鹿にはしておりませんよ、と主張するように。

 信長がドカリと帰蝶の目の前に腰をおろすと、帰蝶は手ぬぐいを出して水に浸し、信長の首に手を伸ばして乾いた泥を落としはじめた。
「ねぇ。殿。殿をお助けしたいと美濃から父上が人数をよこしてくれております。つい先程、到着したばかりなのです。どうか私と一緒にご挨拶にお出になってくださいませ。」
帰蝶の真っ赤な唇が信長の目の前で可愛らしく動く。
信長は、うっとりしたようにそれを眺めた。
「はは。よいよい。全て、じいがよいように取り計らっておるわ。」
いえいえ、と首を振って帰蝶は信長の頬をなでた。
「平手様は、殿をいまだ子供扱いなさっていらっしゃるようですが、殿こそがこの城の主ですよ。そろそろ、平手様ではなく殿が皆を采配なさってよろしいのでは。このままではどちらが城主かわかりませぬ。美濃の衆はきっと殿の意を汲んで殿の思うままに動いてくれることでしょうとも。…それに平手様は心の底では道三の娘である私をお嫌いでいらっしゃる。美濃の者たちをどう扱うのか心配でなりませぬゆえ、どうか殿がご挨拶してくださいませ。ね。」
信長は日焼けしたその褐色色の肌に白い歯をちらつかせた。
「そなたとの縁談を進めたのは、その平手のじいぞ。そなたを嫌ってなどおるものか。しかし、そなたの面子もあろうから、儂が美濃の者どもと直々に会ってやろう。」
そしてすくと立ち上がって部屋を出た。
「殿。わたくしも参ります。」と、帰蝶が慌てて立ち上がって夫の後をついて行く。

 大広間には織田信長の宿老・平手政秀と、彼に面会中の美濃の衆が七人ほど腰かけて話をしていた。その間をとりなすように林新右衛門も入っている。その場にズカズカと信長が乗りこんでゆく。大広間の廊下で控えていた小姓が、アッと驚き”殿のおなり”を告げるが早いか、信長は美濃衆の目の前に立ちはだかった。興味深々の目つきである。斎藤道三より寄越された美濃の衆においては七名のうち二名のみ、若い男である。
そのうちの一名を信長が指さした。白い歯を出して笑いながら。
「そなた名は何という。」
 若い男二人は、一瞬どちらに話しかけられたかとまどったが、信長がその伸ばした指を一方に指し示し直せば、指さされた若い男は上体を前に出し、「拙者は余語盛種と申しまする。以後、お見知りおきを。」と挨拶をする。
 「そなたが一番賢そうだ。こちらへ。」と、信長は、余語を手招きした後には、はや広間を出て外に歩き出した。余語は何か訳の分からぬうちに立ち上がって信長の後を追った。信長は裸足のままで庭へ下りた。余語もそのまま裸足で庭に下りた。大広間へ入ろうと信長を追うようにして廊下を歩いていた帰蝶は、ポカンとしたまま、二人の後ろ姿を眺めた。

 大広間にいた平手の爺こそは、美濃衆の前であっても怒りの血色を滲み出させていた。
 織田弾正家の当主・信秀は末盛の城にあって病篤く、それに乗じてなだれ込んできた美濃衆に寸分の隙も見せまいとするこの宿老の姿。その緊張の中に”うつけ”と自己紹介せんばかりに信長がヒョイと飛び込んで、余語をつまむようにして出て行った。
 この時の爺の表情は、困惑というより怒りでもって表現されていた。帰蝶はそれを見て、鼻でフンとせせら笑うようにし、遅ればせながら悠々として大広間に入り、稲葉山からやって来た者たちをねぎらった。
「よく来たな、そなた達。なんと頼もしいことじゃ。どうぞ若い殿を助けてやっておくれ。」
帰蝶は誰よりも艷やかな笑顔をしたが、ただ一人知らぬ顔の男の存在に首をかしげた。
「そなたは。」
帰蝶は先程のやり取りで信長が連れて行かなかったほうの若い男の残りの一人に声をかけた。
若い男は、ちょっとひるんだ顔をしたが、
「拙者は、長井隼人殿の元で世話になっておりました。蓮台村の森与三と申しまする。」と挨拶した。





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