小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第四十八話:「焼香(一)」

 美濃衆が事の異変に気づいたのは、その日のうちの夕刻頃であった。
織田信秀が危篤状態に陥り、信長が父の元へ駆けつけてよりどのくらい経ってからだろうか。帰蝶は信長の正室でありながらこの大事を那古野城内の誰にも告げられずに放り置かれた事を心底不満に感じ憤り、かつ、もしも信秀が死に至った場合にこの国と実家の美濃にどの様に変化するのかを案じ、それを実家の父宛の書面に認めんと筆を手にしていた。
「誰ぞにこの事態を訪ねたい。平手がおらぬのなら、別の者をこの部屋に連れて参れ。この大事を私に告げないとは、なんと言う手落ちか。」
美濃衆は帰蝶の部屋に一同で集まって円座になっていた。この城内の者が帰蝶に申し開きに来るより早く、密かに末盛の城の様子を見に行った美濃からの雇われ者が帰蝶に報告に戻ってきた。
それを森可成も林新右衛門も、或いは帰蝶のお側に仕える英など侍女も混じって皆で耳にした。部屋の中は緊張による重い空気がただよい、それが、帰蝶をいっそうピリピリさせた。

「確かなようでございます。信秀殿いよいよご重篤のよし。信長殿の命で数多くの坊主と医師が末盛の城に入り、護摩壇を築き熱心に加持祈祷をなしてその快復を願っておる様子は、もはや普通ではございません。まだ、わが手の者を末盛に残しておりますれば、引き続きご進言べき事ができれば使いもありましょう。」

おお、と、皆が声を漏らした。

信秀が死ぬー。美濃を苦しめた尾張の虎が死ぬ。
いよいよ来るべき時が来るべくして来るのだ。

可成の脳裏に、長井隼人の顔が浮かんだ。
和睦してなお、織田信秀は長井隼人が危惧し、倒したくて殺したくてたまらなかった男だ。信秀さえ亡くなれば、愚息の信長などはひとひねりと思っているだろう。
そしてその為に、可成はこの那古野に来たのだ。
もう、何度、可成は信秀が死ぬ日を思い生活してきたことだろう。ついにそれが現実のものとしてやってくる。織田家という敵中にあって、自分の力が試される時である。それを知ればこそ、精神の昂ぶりが大いなる波のようにうなって身体の中を駆け抜ける。

自分に三左衛門の名を与えてくれた人、信長との、束の間の甘い時間も終息を迎えようとしていた。

 それより五日経ち、まだ、桜の開花を遠くして、織田信秀は病に負けて散った。
猛虎のような勢いを誇り、猛々しく斎藤と今川と刀を交え続けたこの人物はまだ尾張すら統一することなく、旅立った。
若く無防備に等しい息子・信長を、謀略と打算の世界に残して。
 一瞬にして那古野城の警備が固くなった。美濃からの慰問の使者が那古野城に入ろうとし、それを出迎えようと支度した可成らも、外出を差し止められた。
その事で可成と信長のおそば衆が廊下で言い争ううちに、前田犬千代が飛び出てきた。
「平手殿の厳命でございますれば、城の外にお出になること罷りなりません。」
「出迎えさせずに御台所(帰蝶)に恥をかかす気か。」
「それはこちらで致すとのこと。すでに平手様のご命令で手の者が各所の道の入口と砦に至るまでを厳重に固めておりますれば、美濃のご使者にも自然と道案内にもなりましょう。
犬千代が可成に向かって言い争ううちに、二人の背中から廊下に至るまで次々と細い線がさしかかった。可成が犬千代とともにギョツとして表を降り仰ぐに、数百という長い長い三間半の槍が城壁の向こうにぎっしりと立ち並んで可成らの身体にまで、細長い影を描いている。まるで城内が檻と化したかのようである。
不気味すぎて、可成も呆気に取られた。

織田信秀の死。
信長もまた、それが血で血を洗う長い戦の始まりになることを理解していたのだ。
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第四十九話:「焼香(二)」

  「信秀殿の病ご快癒の加持祈祷をなした僧侶どもが、信長殿のお怒りを買って殺されました。」
末盛城から帰っきた美濃の雇われ者から帰蝶になされたその報告を耳にした美濃衆たちはざわめいた。
 信秀が病に陥った時、僧侶たちは加持祈祷をすれば仏のご加護で信秀は助かると信長に保証し、ゆえに信長は父の命を助けんがため一心不乱に神仏にすがったが、その霊験も現れずに信秀は死んでしまった。直後に信長はその僧侶たちを寺院に監禁し「仏に命乞いをして助かるものならそうすればよい。」と叫び、鉄砲を放って殺害してしまったのだった。
 やんごとなき上座で帰蝶は夫の酷い所業に両手のこぶしを握りこんだ。信心深い林新右衛門はその悪行を誰よりも憤って「何と言う罰あたりな。」と震えた。その娘・英も劣らず信心深さを見せて懐から数珠を出してその場で両手を合わせた。

 「今はもっとも慎重に事を運ばねばならぬ時というのに…。」
可成とてため息をついた。信秀死して後の家督相続の話になろうこの時期に、周囲に英知と威厳をよりいっそう示すべきこの時分に、”うつけ”としか言いようのない行為をする者があるものか。

 織田信長の命により、信秀の死はしばらく秘して葬儀もしないという事になっていたが、人の口に戸は立てられず、織田一族の中にも信秀の死を積極的に騒ぎ立てる者が出始め、跡目についてあれこれ論じ始める始末。もはや物言う前から美濃から弔問の使者が訪れて隣国にすら信秀の死が知れ渡ってしまったありさま、宿老らが取り計らって結局、御所にも使者を立て、織田家の菩提寺の万松寺に国中の僧侶三百人を集めて壮大な葬儀を執り行うこととなった。
 その時にまた、信長の「うつけ」騒ぎである。
「喪主」の信長が消え去ったと前田犬千代らのお側衆が大わらわで那古野城に立ち帰り、信長の喪服を抱えたまま、主はいずこと探していた。留守をしていた可成も仰天して馬を出し、清洲城を出て信長を探し回った。那古野城周辺には信長の影も手がかりも無く、もしや入れ違いになっているのではないかと万松寺まで皆で向かったが、到着するなり帰蝶本人が飛び出してきて「信長殿はいずこにおられるのか」と尋ねてくる始末。いよいよ信長の消息不明のこの事態に、可成も血の気が引くほど青ざめて首を振るよりほか無かった。
 「信長殿の行かれるような場所を知らぬのか。」と、可成もつい信長のお側衆につよい語気で焦りをにじませ問い詰めたが、彼らもこのような時に何をひらめく事もなく、まして自分自身にも思い当たる居場所もなく、お側衆とともに「何か大事に巻きこまれたのでしょうか…。」と、ただ顔をしかめているしかなかった。本当に皆、信長の行き先など思いつきようもなかった。

 喪主なくして葬儀が始まり、寺の中から読経の声が響いてくる。
「上様から片時も目を離すべきではなかった。」と、お側衆はますます沈んでゆく。
 この葬儀の場は、父の死を悼む場でもあり、同時に一族皆がその跡目を品定めする場でもある。
跡目相続のライバルとなるであろう信長の弟・信行は肩衣、袴で正装し、折り目正しく威厳のある態度で葬儀に臨んでいる。信行の背後では「信長殿では、駄目よの。やはり信行殿よの。」「親の葬儀を放ってどこに行っておるのやら。」などといった一門衆の落胆するつぶやきがあろうことが、誰にでも想像がついた。

 可成らが寺の外でやきもきしているその場に、大きな馬の走る音とともにいななきが聞こえてきたかと思うと、その馬上には息を切らせた信長の姿があった。お側衆は無論、寺の外で警護していた者、主人を外で待つ従者が皆その姿を見た。
しかし、恐ろしいかな、待ち望んだ喪主・信長は、中ばバラバラに茶筅髪を巻き立て、袖をちぎった湯帷子を縄でしばって大小の刀を差しての到着であった。
 それでもお側衆は安堵の表情を湛え喪服の入った箱を抱えて信長に駆け寄ってゆく。それに追いつかぬ勢いで馬から飛び降りた信長、そのまま早足で寺の中に入って行った。どこぞ控の間に入って正装するならまだしも信長は葬儀の最中の本堂の階段を駆け上り、障子を開け放って礼も無く入って行ってしまった。信長を追いかけていたお側衆は凍りついて、そのまま階段の下に膝をついたまま身動きができない。
 
 可成はそのまま寺の外にいて、自分の馬の手綱と信長の馬の手綱を両手に握り、茫然としてそれを見ていた。
なぜかその時は、まるで何か別の世界の絵空事のように信長の所業を目にしていた。
寺の中から三百人の僧侶の読経の声すら波が静まりかえったようにピタリと止み、あとは信長が一人静かに、本堂からスタスタと出てきたのであった。
 その目には涙もなく顔には哀しみの色もない。ただ鼻の頭を泥で汚した顔をひきつらせ、そのまま可成のほうへ歩いてきた。ただ、それは自分の馬を可成から取り戻すためだ。
信長の興奮した息遣いが聞こえるほど今、信長の身体が可成の間近に迫ってきた。日焼けした褐色の顔に反抗心むき出しの相好が見てとれた。
 可成はとっさにその場で頭を下げて「お悔やみを申し上げます。」と、言ったが、信長はその言葉など無視したまま強い力で可成の手から馬の手綱を奪い、そのままひらりと馬にまたがり駆け出した。後からお側衆が必死で馬に取りすがり「上様!」と叫ぶがそれも振りほどいて去ってゆく。
「お待ちくだされ。」可成も馬にまたがり信長を追った。
しかし、信長がまたがるのは世にまたとない駿馬。馬にどんなに鞭をくれても、その全力疾走に追いつけることもなかった。信長はどんどんと可成を引き離し、馬を疾走させたまま川に向かって行った。川の水を目の前にしても、信長は走りを止めようとはしない。しかし、馬のほうは水に落ちてたまるものかと堤のところで踏ん張って止まった。そのはずみで信長だけが馬の背から外れ、前に飛んで川に落ちて行った。
 可成やお側衆が河川敷に追いついてみれば、馬だけ残って草を食んでいる。上様と叫んで探しつつ四半時待ってみても信長の姿はない。「そういえば、水に何か落ちる音がした。」と、皆の視線は川の水面に移る。
澄んだ水であれば川底の姿も見えてはいるが、陽の光が水面全対に反射してきらめくせいで見逃すこともあるかも知れぬ。地上の静謐さに、思わず可成は着物を蹴脱いで我先にと川に飛びこんだ。故郷を流れる木曽川で泳ぎは慣れているものの、春先の川底の冷たさと言えば、水をかくたびに切るような痛みが襲った。だが、それよりも信長がこのような所で何かあっては一大事と必死に潜ってみた。
大きな音がして顔を出せば、お側衆も川下に走り水に飛び込んでいる。彼らがあれほど心配しているというのに信長は…。
可成は再び水に潜った。水の冷たさに身体中の感覚は抜け、手には握る力も無くなり、皮膚が見たこともないような赤い色をしている。
「まさか信長は本当に流されてしまったのか…。」だんだんと恐怖がよぎる中、よろけるように水の中から堤の草に手を伸ばしてはい上がり、上半身を陸にあげた。
「いかん…このままでは死んでしまうわ。」と、川下のお側衆を心配して様子を見ようとすれば、今度は川上のほうからザブンと音がする。可成が見れば、信長が両腕を立てて軽々と川からあがり、何事も無かったかのようにそのままスタスタと馬に向かって歩いてゆくではないか。
 可成は驚いたまま、そのまま川の中から信長を見上げていた。
信長は堤の上を歩きながら川の中の可成を睨み続けていたが、なんぞ言葉を発することもなく、そのまま馬に飛び乗ってまたどこかに駈けだした。

第五十話:「焼香(三)」

 
 父・信秀の死後、末盛城は弟の信行に譲られ、信長は居城・那古野城に戻っていた。
今に始まったことではないが、那古野城の政務のすべては宿老の平手が取り仕切っていた。信長が幼少のみぎりにこの城の城主となってより、ずっとそうだった。美濃から嫁いできた帰蝶には一切、城内のことに口出しをさせない。帰蝶はただ座っているだけでよい、信長の子も産む必要はない、という威圧的空気すら漂わせていた。
 織田信秀の逝去に合わせて平手は美濃国の動きにいよいよ目を光らせ、帰蝶やその周辺の美濃衆の動きを封じて斎藤道三との連絡を取りにくくした。
 織田信秀が斎藤道三との和睦をなすことに一役買ったのもこの平手であるが、平手個人としては、それほど帰蝶をよい嫁と思っていない風もあった。

 その帰蝶もまた、織田信長が留守の時には尾張の者達を避け、美濃衆に囲まれて時を過ごした。
「葬儀のみぎり、信長殿はお父上の仏前に抹香を投げつけたそうですな。」
「どうやらまことの話のようですな。」
そんな林新右衛門たち大人のボヤきに、帰蝶はいよいよいらだちを見せた。帰蝶もまた、そのことに心を痛めていた。
「あれでは跡目にふさわしくないと敵味方すべてに公言したようなもの。わが夫ながら情けのうて、情けのうて…。私でも恥ずかしい気持ちでいっぱいだというに、平手どのは、信長殿の養育者として恥ずかしくはないのか反省する様子が微塵もない。」
 同じ席にいた森可成は、違う感情でいた。信長は確かに、野遊びのいでたちで葬儀の場に現れ父の仏前に向かって抹香を投げたらしい。しかし、皆が信長をあれが例の大うつけよという中、ただ一人、筑紫から来た僧が「あれこそ国を持つべき人よ。」と言ったと聞く。
可成自身がその僧侶の根拠も真意も理解できないが、なぜかその僧侶の意見に立ちたい気持ちが強かった。
なぜだろう、信長をただの"うつけ"ではないと、自分の中の何者かが解釈したがっている。信長が”うつけ”と認めたがらない自分がいる。しかし、実際には信長は父が死んでも相変わらず湯帷子姿で馬を駆って野に遊んでいた。彼がうつけでないことを確信させるものがなかった。

「それにしても、平手め。何につけても自分の思うように動かし信長と私をないがしろにしてばかりではないか。父に思うように手紙も届けられぬようになってしもうた。信長殿はああだし、この先どうなるか心元ない。何ぞよい手だてはないかのう。」
帰蝶は平手に認められぬ悔しさも半分で、そのようなとりともない話が一刻近くも続いていた。

 皆、こうしている間に信長がこの城に戻っていていることは、部屋の外で見張る者が知らせるまで気づかぬほどであった。

 織田信長は、城の門を通って帰城し、そのまま玄関に入らずに庭を抜けて北の方に直行し、帰蝶のいる部屋をいきなり開け放ってきた。
 さらには円座していた美濃衆が「わっ」と声を立てる間もなく、首を縄で縛った鴨の死骸を投げ込み、皆を驚愕させた。信長の怒れる姿を目の当たりにして、美濃衆は一斉に凍りつく。

「どうした、皆で俺の悪口か。それとも尾張へ攻め入らせる算段か。」

信長は半笑いでそう口をきいた。
美濃衆は首を振って平伏した。帰蝶だけが、まっすぐに座ったまま凛として信長を睨んでいた。信長は死んだ鴨を今一度拾って帰蝶の前に落として「土産だ」とつぶやいたが、帰蝶の周囲一面に羽毛が散っても、彼女は動揺しなかった。
「殿、父君亡き今、このような毎日をお改めくださいませ。ご自分がどのように危うい立場かご存知ないのですか。まずは衣服を調え、髪を結い、城主らしくなさってくだされ。」

信長は「ほう。皆の前で夫に説教か。」と、口角をあげて、帰蝶の前にゆっくりと膝を立てて腰を下ろした。
「お前こそ、どのように危うい立場かわかっておるのか。このまま美濃がいつまでも安泰と思うておるのか。そなたの親父(道三)どのに何かあれば、お前もこの信長にとって役立たずの用なしになり、ここにおる家臣はお前のことを見向きもしなくなる。」
 帰蝶はいぶかしげにした。
可成も皆も傍で話を聴いて信長の発言が理解できなかった。ひねくれた脅しのようにしか聞こえない。
「どういうことでございましょう。」
「どういうことであろうな。楽しみにしておれ。」
信長の発言に、帰蝶は瞳孔を開かんばかりであった。振り返って美濃衆のほうを見てまた信長が言う。
「女の愚痴につき合うのは、大の男どもがすることではないな。そなたらの刀は既に鞘の中で錆びておるのではないか。」
そうして帰蝶の袖を振り払うように立ち上がって信長は部屋を去っていく。
帰蝶が「誰ぞ、殿をお引き留めなさい。」と言うと可成はつい、自分が立ち上がって信長を追った。信長は可成に気づいても構わずに早足で廊下を歩く。
「お待ちくだされ。さしでがましい口を聴き申すが、御台所様のお気持ちもお察しくだされ。誰もが今後を案じる時期、まだお父上の四十九日も過ぎておらぬのに信長様はかくのように毎日、野に出歩き殺生をいたし、喪に服してもおられぬ事に周囲がいぶかしく思うのは無理からぬこと。ご真意があるならどうぞ拙者にお聞かせくださいませ。」
 信長は一向に構わず廊下を突き進んでゆく。
そうした所、廊下の曲がり角で出会いがしらに信長と前田犬千代がぶつかりそうになってしまい、信長は立ち止まらざるを得なかった。犬千代は「ああっ、これは上様。粗相をお許しください。」と、腰を引いて信長に詫びようとするが、信長が不意に犬千代の腕をとったので、目をチカチカとさせつつ、目の前に立つ信長と可成を見た。

「わが父の四十九日を終えたら、森殿は林新右衛門の娘と祝言をなさるがよい。」信長は可成を見てそうつぶやいた。
「そのお話は…。」可成は英の話を出されてひるんでしまい、今度は可成の瞳孔が開かんばかりであった。
この話を蒸し返されるとは…動作の止まって返事に困る可成を、信長は黙って見ていたが、次の瞬間には「来い。」と犬千代に言い、その腕を引いて歩きはじめた。
犬千代は可成の事を気にして振り返りつつ、信長に連れられて歩いて行った。
 

プロフィール

うきき

Author:うきき
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