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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第一話:「与三」

 森可成は若い頃には「与三」と名乗り、浪人分として美濃の斎藤道三の弟である長井隼人道利のもとに転がりこんでいた。

 与三は頭の回転が早くて勝機に対する嗅覚に勝れ、合戦につけても情勢につけても全体を把握して適確な判断ができた。実際に与三が予測した通りの事態になって長井隼人や周囲の者たちを驚かせたことが事が何度あったであろうか。
 その度に、与三は己の知恵が人に優っていることを確信し、この事を斎藤道三にもよく理解してもらうべきだと思った。ゆえに、浪人という身の上であっても、その叡智に満ちあふれた発言を人々の面前で遠慮することは無かった。
 
 しかし与三の正しさを見せつければ見せつけるほど道三の左右にいる家老たちは与三を憎みはじめ、「浪人ふぜいで大口を叩く生意気な奴だ。」と、事あるごとに悪口して、与三を制止するようになった。それに臆して発言を遠慮する与三ではなかったが、あの小うるさき者たちが家老である限り、彼が斎藤家では頭角を現せないのが明らかだ。




 与三は夜ごとゴロリと横になっては天井を見上げたまま、ここは自分のいるべき場所であろうかと自問自答を繰り返していた。
「私が常に何かにいらだちを感じ、どこにいても自分の居場所では無いと感じるのは、ただ自分に我慢が足りないせいであろうか…。」
 戦国の世に乗じた強者たちは、周りをどんどん食い尽くして大きく膨らんでゆく。それなのに、与三は二十を軽く過ぎてもまだひとかどの将にもなりきれていない。何者にもなれていない。
しかし、何をどんなに思いつめてみても、与三の帰る先は、父が陣取る小さな蓮台城があるのみ。
ひとつの小さな足がかりもつかめない己の現実を思うと涙がこみあげてくる。

 それでもなぜだろう、目を閉じれば、与三は大将格の名馬にまたがり、多くの兵を率いて戦場を駆けめぐる己の姿がはっきりと思い浮かぶ。青々とした天には、純白の森家の鶴丸紋の軍旗が翻る。大将の居所を示す大きな馬印が自分のために高々と掲げられ、その場所こそが戦場の中核、戦の大本陣であることを示し、与三は豪奢な具足を身にまとって采配をふるい、合戦そのものを自らの意志で動かしている。
天下を左右する合戦に違いない。
__________これは、自分の未来に関わる予感ではないのだろうか。
それとも、清和源氏の血がもたらす先祖の英霊たちの記憶が与三の心に映し出されているに過ぎないのであろうか。これがただの妄想であるならば、天に浮かぶ月が欲しいと必死に手を伸ばすような、何と悲しい夢であろうか。


 同じ部屋の足元には、故郷より伴ってきた五人に満たない家来達が、衝立(ついたて)を隔ててぐっすりと眠る。与三は戸板と障子を少し開け放って部屋に月の光を入れ、家来たちの寝息を聞きながら物思いに耽っていたが、突然、表から戸板に誰かの手が伸びてきて戸板を開けた。障子越しに見知った男の影が広がる。影の主は長井伝九郎だ。うち沈んでいた与三だったが、その影を見ると心の奥から嬉しさがこみあげてきた。
 伝九郎が障子を軽やかに開けると月明かりとともに、十代ならではの育ち盛りの細い姿を晒した。伝九郎は口角をあげてエクボを見せつつ部屋にトン、と上ってきた。伝九郎とは、長井隼人の甥で今年、十六歳になる。与三よりは随分と年下だが、とりわけ仲がよかった。
「さてはさては、この一大事に何をふて寝しておるのやら。」
伝九郎が言い終わるが早いか、与三は反射的に起きあがった。
「何が起きたのだ。」
「あははっ!また尾張のうつけが城下に忍びこんで火をかけた。」
「合戦か!!!」
両眼を見開いて興奮する与三を見て破顔一笑、伝九郎は他人事のようにおかしげに笑い飛ばす。
二人の声に与三の家来たちも目を覚まして起きだした。
合戦ほど与三の心を弾ませるものはない。この心にかかったモヤも戦場で晴らせばよい。戦場での明確な手柄は誰にも否定できないものである。そしてきっとこの合戦が自分を高い所に押し上げてくれる。与三は伝九郎そっちのけで起きあがって障子を開け放ち、縁側へ出ていった。とたんにこぼれるような月明かりが若々しい与三の姿を照らし出す。
 開け放った外に見える城下はまるで静かである。
合戦など起こっていない。城下の小さな騒ぎで始終したようだ。
与三は再び、心を曇らせて、たちどころに暗い表情に戻った。
「いつものこと。早々と逃げて行ったわ。」
伝九郎はカラカラと笑いながら、どっかと腰を下ろして与三を見た。家来たちも座ったままポカンと与三を見上げている。

 伝九郎のいう”尾張のうつけ”とは、尾張の織田信秀の嫡男・織田信長の事である。
若い少年であるが、ちょくちょく美濃国までやって来て城下に侵入しては、本当に些細な嫌がらせを繰り返した。
「信長とは、まるで小蝿のようだの。大した事もせず、追い払っても追い払ってもまたやって来る。」
伝九郎のこの言葉に、与三の鍛え上げた腕の筋肉がピクリと反応した。外へ向けていた顔をゆっくりと伝九郎に向ける。
「たとえ小うるさい蝿でも、相手は尾張の織田家の嫡男だ。どうにか、我が手であれを討ち取れないものか。」
そうすれば、皆、与三の素晴らしさを認めざるを得ないだろう。与三は、立ちあがったまま唇を噛み、拳をギュッと握りこんだ。
「信長を討ち取ってやる。」
与三はやると言えば、やる男だ。きっと次に織田信長がいたずら心にも美濃に入ってくれば、与三は信長を待ち構え、計略を以てその首をからめ取るだろう。そうだ、それしかない。
伝九郎は膝を立てて座ったまま、にやにやと笑い
「わしも人を驚かせる手柄を立てたいものよのう……。」とつぶやいた。
与三がハッと我に却って、伝九郎に言った。
「そなたが手柄を立てられぬはずかなかろう。」



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Date:2008/09/27
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