小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第九話:「信長」

  信長が稲葉山城下に率いていたのはたった十余りの騎馬武者ということであった。
放火して、あっと言う間に逃げ出す。そんな、いつものような早業は今日はもう通用しない。時を移さず、斎藤道三の兵が追っているのだから。
「やれ、あれは、本物の”うつけ”じゃ。胴と首とを切り離して尾張に返してやる。」
斎藤道三は、馬上で大きな身体を揺すり、信長の何十倍にも上回る軍団を率いて城下町に信長を追う。 道三だけでなく長井隼人も走った。森与三も走った。信長は間もなく、自分を追う大多数の兵があることに気づくであろう。しかし、それに気づいた時にはもう遅いのだ。信長は自分が本物の合戦に取り込まれてしまうことに、どんなに驚き、どんなに慌てふためくことだろう。その顔が見たい。与三は心がはやる。
 城下町を駆け抜けてゆけば、やがて、松明をふりまわす十三騎の馬がスルスルと美しい動きで城下の町を縫うように進んで行くのが見えてきた。なんという馬の早さだろう。どうやら、先頭を切って行く者が織田信長のように思えた。しかし、彼らを視界に捉えたと言っても、与三からは先を行く彼らの姿がいまだ豆粒ほどの大きさにしか見えていない。
「あきれた男だ。親父の復讐のつもりか。」
マムシの斎藤道三は完全に信長に呆れ口調だ。
 斎藤軍が迫ってきたことを知ると、信長の兵はますます駒を速め、引き潮の様にサァッと一斉に同方向へ勢いづいて軽やかに走り去って行く。そして斎藤軍を瞬く間に引き離した。彼らは、本当に、とんでもなく速い。飛ぶような速さなのだ。しかも、逃げゆく彼らにはまるで動揺した雰囲気もなく、いや、まるで敵が追ってくるのを待ってそれを誘っているかのような__そんな動きなのだ。信長は、慌てふためくどころか、追ってくる我らの事を笑っているのではなかろうかという気分になる。
 与三は、完全に信長に照準を定めていた。この際、もどかしい味方も追い抜いて単騎で馬を速めようと思ったくらいに気持ちがはやっている。
信長は迷わず先頭を切って走る、敵の陣地に入りこんだというのに、その先に何があるのかもまるで気にもとめずに、ためらいもなく走る。

「これは何か含みがある。だとすれば、裏を書いて本当にあやつの首を取れるかも知れない。」
与三は信長の動きを見切ってそう思うと、急に胸の鼓動が激しくなった。信長の首を高々と掲げる自分を思ってほくそ笑んだ。思えば、先日の合戦での運の拙さは、今日のこの日の喜びのためだったのだ。
「よし!儂がその首を獲るまで捕まるなよ、信長!!!」
与三は後方を駆ける隼人に並ぼうと手綱を絞って馬を止めた。


 信長は難所である戸田の砦に向かっているようである。斎藤道三は即座に兵に指示をした。
「馬鹿め、やみくもに走って行きつく先も知らぬな。このまま信長を戸田に追いこめ。」
長井隼人もそれに続こうとするが、与三が隼人の横にピッタリと馬を寄せて制した。
「あなたは直進してはいけませぬ。」
「何?」
「それでは、信長の罠にかかってしまいます。」
「罠とな?」
「はい。味方は遊び心で信長を追っていますが、ここは気を引き締めてかかるべきです。信長の動きには迷いがない。我々を、わざと追わせています。この先で本当の戦をしかける気でしょう。道三殿は、今、戸田に信長を追い込もうとなさっているが、信長は逆に戸田にわれわれを誘いこもうとしているのです。あそこになら伏兵を隠せるはず。もう、何度も美濃に入っている信長が戸田の難所を調べていないはずがございませぬ。我らは回りこんでその伏兵を横合いからつきましょう。」
はや、与三は馬の足を早めようとするが、隼人が引き止める。
「違ったらどうするのじゃ。」
「違ったにせよ、このまま味方の前軍に続いて行っても、我らが後ろになって敵と刃を交えることすらできません。それに…。」
「それに?」
「私が信長なら、今日は必ず戸田に兵を隠します。」
隼人は"私が信長なら"、などという与三の発言をひどく小賢しいものと不快に感じた。ただでさえ、昨日の城下町での御師の予言というのを耳にして不愉快に思った隼人である。しかし、与三の発言は実に明解で迷いがなく、そうかもしれないと思わせるものがあった。その推理に賭けて隼人は兵を旋回させた。馬で道をそれて駆け抜けると、ほどなくして、戸田で織田信長が大軍を擁していると、それを見つけた町の者が駆け寄って隼人に報せた。与三は会心の笑みを放ち、長鑓を両手で大きく頭上に掲げて、馬を急かせ、皆より前に踊り出た。
「参るぞ!!!」
長井軍は、織田軍の横腹ともいえる急所に一気に突っ込んだ。思わぬ所からの兵の出現に、蜘蛛の子を散らすがごとくに、織田の備えが崩れていく。
「ぬるい!手ぬるいぞ信長!!!はははははは!!!!」
与三は、敵を鑓で打ちすえ、なぎ払いながら、大笑いして敵の中に食い込んで行った。うまく行けば、今日の勝利そのものも自分の策略のお蔭だ。更に織田信長の首を討ち取れば、その名は周囲の国へも轟くだろう。そうすれば、斉藤家はよい地位を与えざるを得ない。やがて、御師のお告げ通りになるのかも知れない。なんて愉快なんだ!

いざ、信長の首を!!!!!

 けれど、信長はこつぜんと消えて、どこにもいなくなっていた。
将と一目でわかるような目立った姿の男は見当たらない。求める者を見失い、行く先に迷う与三の手綱が緩んで、だんだんと馬の速度が落ちた。
「どこだ…信長はどこだ…。」左右を見まわしたが、それらしき男の姿はない。今は全体が見渡せる場所にいて指揮を取っているはずに違いないのに、どこでそれを眺めているのか…? 
「信長がいるならば、あの上。」
小高い丘に目をやったが、信長の姿はなく、あるのはただ青い空ばかり。もしや、信長、後を誰かに任せて自分は先にさっさと逃げてしまったのだろうか。与三は信長の首しか狙っていなかったものを、乱闘の中に舞い戻るか、このまま信長を探すか、歯をギリギリと鳴らし、馬の進める方向を迷った。
 その時、激しい日の光が与三の両目を襲った。あまりの眩しさに視界を塞がれて、与三は思わず手のひらで目を覆って顔をそむけた。しかし、光を避けようと馬や身体を動かすのに、眩しい光は可成の両目をしつこくついて回る。誰かが鏡やらで故意に目潰ししているとしか思えない。気をとられ、もたついては危険だ。とりあえず、どこかへ逃げよう。
「くそっ!!!」
手綱を思いっきり引いて馬を跳ねさせて光を避けて馬を回した。後ろ目に光の発する方向を見ると、それは先ほどの小高い丘であった。先ほど同じ丘を見た時には、青い空があるだけかと思っていたのに、もう、何もないと思っていたのに、やおら少年が丘の上でスクッと立ちあがってその全身を与三の前に晒した。
 少年は太陽を味方につけて限りなく眩しい白い光を放つ。確かにあの少年が何か細工して与三の目をくらませようとしているに違いない。
何してやがる!こんな馬鹿な戦法があるものか!!!
与三は訳が分からなくなると同時に、瞬時に額や顔が焼けつくようなものを感じた。もう与三の両眼には強烈な光の真白い世界と少年の黒い影しか存在しない。
何なのだこれは。

 与三は馬の手綱を思いっきり引いて馬を止めようとした。馬は急に止まれずに驚き、前の両足を上げて立ち上がらんばかりに後ろにのめった。馬が嘶いた。視界が一気に暗くなり、合戦の音が遠のく。すさまじい動悸が与三を襲って馬から落ちそうになった。
 閃光の後に暗転した世界。与三は何も見えないままに鑓を振りまわした。両目の感覚が戻って見上げると、丘の上には空と同じ青い衣裳に身を固めた少年の姿を今、はっきりと確認した。太陽に照りつけられてシルエットと化した細くてしなやかな少年の姿は、顔すら確認できない黒い影の中にギラギラとした白い両眼だけが目立って光り、とても異様だった。両眼はもはや、完全に与三を獲物としてとらえている。それは、この世の者とは思えない、恐ろしい両眼であった。その眼を持つ生き物が、与三の眼にはどんどんと大きく巨大化しているかのように見えた。


あれが信長だ______。


与三の全身に電流がかけぬけ、得体の知れない激しい恐怖を覚えた。もはや世界が、白と黒の二色だけなのである。
 少年は高い場より与三を見下すように見つめ、与三に向って口を開いた。何かをしゃべっているようである。しかし、あまりに遠く、また、かしましい戦場のことであるから、何を言っているのかまったく判らない。だが、確実に与三に向って何かを言っていた。
______少なくとも、与三はそう思った。
少年は細い首をねじり、馬にまたがると、まるでそれが自分の身体であるかのような馬さばきで坂を降りてゆく。
「退却!!!」
「退却!!!」
乱闘の中を織田軍の伝令がかけぬけてゆく。斎藤の兵は大軍といえども戦場の狭さに後方は既に兵を退け気味であり、そして織田軍も今、波を引くように去って行く。斎藤の兵はいつも退却時には思い思いに逃げるし、織田信秀の兵もそうであった。しかし、信長の兵は退却する姿すら整っていて胸を打つほど美しい。そして、あの美しい物すべてが与三の敵なのである。胸の奥から、訳の分からない悔しい感情がこみあげてくる。
 ようやく、世界が色彩を帯びたものに戻って行った。しかし与三は、あまりの衝撃に身体を動かせなかった。信長が若いことは知っていたが、まだほんの14,5歳と見え、与三の想像を上回って若かった。なのに、その少年に完全に気後れしてしまった。与三にとって、こんな事は生まれて初めてだった。

 敵が去り、後ろから、伝九郎が馬を歩ませやってきた。
「信長を討ち取れずに惜しい事をしたが、また手柄を立てたな。」
そんな伝九郎には目もくれず、与三はただただ信長が去った跡を一点に見据えて興奮して膠着したまま、ブルブルと小刻みに全身を震わせていた。鑓を持つ手は完全に左右に震えている。伝九郎は見たことのない与三の姿に眉根を寄せた。そして与三の見据える方向を見た。



第八話:「冥慮」              第十話:「思い焦がるゝ」
 
 

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Date:2008/12/06
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