小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第十三話:「蝶番(一)」

 乾いた朝だ。しばらくご無沙汰だった長井伝九郎が、森与三に会いたさに、またこっそりと与三の部屋の縁側に近づいてゆく。すると、朝っぱらから何やら部屋の中で与三が声を荒げている。まだ完全に開け放たれていない戸板の隙間から声が響く。家来に叱る風でもない。彼はまた、あの虫の好かぬ余語と言いあっているのだ。伝九郎は、外から戸板にはりつき密かに耳を傾けた。
「なぜ、人の本を断りも無く勝手に並べるか。」与三が怒る。
「不作法に積み上げていたものを重ねて順に並べ直したのが何故悪いのだ。」余語が言い返す。
「人の物を勝手に触るその根性が判らぬ。」
「だらしのないのは嫌なのだ。」
「ああ、もう、お前に本は読ませぬ。五郎、これはすべて長持に入れてしまえ。」
 伝九郎は下唇を噛んだ。
 伝九郎は余語盛種の存在がいまいましくてならない。突然にやってきたこの男が、自分と与三のあ間に割って入ったように感じるのだ。戸板越しに話を聞けば聞くほど余語の与三への厚かましい言葉やふてぶてしい態度が癇に障る。
腹立たしい。ああ、嫌だ。
「おい、昨日、韓信をことさら評価しておったが、あれは蕭何が偉かったから世に出たのだぞ。」と、まただ、また何やら余語が与三につっかかっている。
「またその話か。いい加減に…おい、待てよ、儂より先に厠へ行く気か。」
「韓信の才気を見抜いて大将軍にしたのは蕭何さまさま。それでなくては韓信はうだつの上がらぬ男のまま。」
「おい、蕭何が偉いのはいいが、儂より先に厠に立つな。」
伝九郎は眉根を寄せた。
どうして与三は、余語のことを虫の好かぬ奴と思っていながら、こんなにもしつこく余語に構うのだろう。与三と余語の会話は、聞けば聞くほど、親しいもの同士の馴れ合いのように思えてならない。伝九郎はこの二人の関係に底知れぬ不安を覚えた。

「伝九郎様。」
伝九郎はギクリとした。隼人の屋敷の隅にはりついて与三と余語の会話を盗み聞きしていた伝九郎の顔を隼人の近習が覗きこんでいる。明らかに冷やかな目線が伝九郎を見据える。
「伝九郎様。私めが申し上げるのも何ですが、朝の大事なお時間、こうしていらっしゃる間に、弓のお稽古などでもなさってはいかがでしょうか。」
その言葉に伝九郎はふてくされ、近習の手をはじいてその場を逃げ出した。

 余語盛種は与三とケンカしつつ部屋を出て、戸板を開け放って部屋に朝の光を入れ、腰をかがめるように駆け出し、屋外にある厠に向かった。厠そばに隼人の近習が潜んでいたので驚いた。
「ああ、どうなさった。何かござったのか。」
「いや、何もない。登城途中で腹が痛うなってここで厠を借りたのだ。」
「あ、はぁ…。」
余語が用を足し終わると、続いて森与三が部屋を飛び出してきた。厠に入って用を足しているとことへ、物蔭より「おい。」と、声がした。隼人の近習がぬっと顔を出す。
「うわっ!驚いた。手が濡れたではないか。」
「そのままでよい。本日は隼人様ご登城、道三公に美濃国内の一掃をご進言なさる。お供されよ。」
「む。隼人殿はご決断なさったか。」
与三の顔が明るくなった。隼人が自分の意見を採用したことへの喜びも含まれている。
「ところで、あの余語という男の様子はいかが。役に立ちそうか。怪しい気配はないか。」
近習は自分自身の興味本位なのか、あるいは隼人からの問いかけなのか、余語について尋ねた。
「あは、余語…あいつは駄目じゃ。使えぬな。自分の主張ばかりを通して人の話を聞きいれる事を知らぬ。」
「そのように隼人様にお伝えしてよろしいか。」
「おう。そう申し上げておくれ。」
与三は、甕の中の水で手を洗い、満足そうに部屋へ戻った。

 午後に至り、与三は長井隼人のお供で斎藤道三の館におもむかんとしていた。
「与三、そなたの弁舌で道三の気持ちを美濃国内の事に切り替えさせよ。期待しておるぞ。」
与三はコクリとうなずく。
しかし道三の館に行けば、何やら別件で騒がしい。隼人の姿を目にした者たちが寄ってくる。
「今、ちょうど…いえ、先ずはお部屋へお入りください。」
隼人が奥の部屋に入っているところを与三も従えば、道三の小姓が与三の入室のみを遮った。その小姓は扇を開き、隼人に顔を近づけて、隼人だけにしか聞こえぬ小声で何かを隼人に伝える。
隼人は瞳孔が開かんばかりに目を見開いた。
「それは…私は何も聞かされておらぬぞ。」
いきなり隼人の目が怒っている。
「道三との二人きりの話が長引きそうじゃ。与三、先に帰っておれ。」
「しかし…お出になるのを、お待ち申し上げます。」
「帰りは一人で構わぬ。よいから帰れ。」
何も知らされぬままに、与三は追いだされてしまった。
「何だあれは…。肝心な所で儂を追い出して…。」
与三は訳の分からぬままに道三の館を出てゆくが、厩の腰かけには見慣れぬ男が多数腰をおろしている。与三は門番に誰か来たのか尋ねると「つい先ほど、織田家からの使者が突然にやって来た。」というではないか。
「その使者は今、館におるのか。」
「いえ、何でも今から織田家のお偉い方がお見えになるとかで、今はその打診の者が来ておるだけのようで。」
「は。織田家って、どの織田家だ。」
「織田家…先年、加納口から美濃に攻め込んできたあの大将の織田家ですよ。その宿老の平手なる者が参るとのことです。」
与三は考えた。織田家が重臣を使者に立てて何かを申しに来るとして、その話について隼人は何を聴かされて怒ったのか。
「もしや今さら織田家は和平など都合のよい事を言ってきたのではあるまいか。」
「拙者どもは、そこまでは…知りやしませぬ。ただ、この後で、織田家の重臣が来ると聴かされておるだけで…。」
「そう言って、また道三をだまし討ちにでもする気ではないのか。」
「森どの、もう、ここで滅相なことをおっしゃらないで下され。」 
 与三は隼人に帰れと言われたので素直に長井家の屋敷部屋に戻ろうとして、ふと思い出した。部屋には余語がいるかもしれない。日中まで狭い部屋に顔を突き合わせていることもあるまい。やはり、隼人が道三との話を終えて館から出てきた時にすぐに立ち会えるように、この近所にいよう。与三は迷わず厩に近づいた。館に入れてもらえぬ身分の低い織田家の家来の幾人かが待機しているそのすぐ傍に、与三は座った。そして視界の端に彼らの様子を伺いつつ、自分の思案に戻りつつ、隼人が出てくるのを待った。
「織田信秀はもう駿河の今川との敗北でもはや、どうしようもない状況。やはりこれは和平の話かも知れない。しかし、今さら織田家と斎藤家が手を組む話などになっては…。」
 与三が目を閉じれば、織田信長の姿が浮かぶ。

信長、お前さんはどうして再び儂の目の前に現れない。
儂は繰り返し、繰り返し、お前の事を夢に見るのに____。

与三は、足を逆向きに組み直した。また思考にふける。
「和平だとすれば、斎藤道三はその話に乗るだろうか。乗るかも知れない。織田側が美濃の定まらぬ情勢の痛いところを突きまくれば、つい話に乗るかも知れない。…一方で隼人殿の一番の気がかりは織田信秀だ。信秀をやたら警戒し、必ずこれを退治せんと心に誓う隼人には、織田家との和解など思いもよらぬこと。」
急に世界が静けさを取り戻した。与三が何か異様な視線を感じて物思いを止めて顔をあげれば、外で待機している織田家の鑓持ちや馬子の奴らが、固まりになって、じっと与三の様子を伺っていたのだ。こんなところで、一人でじっと動かずにいて、一体この男は何をしているかと思ったのかも知れない。
「ああ、そのほうらは、織田家の者か。」与三は笑顔で語りかけた。
「はぁ。さようにございます。織田信長様にお仕えしております。」
「あ…。」
 織田信長という言葉に与三の動きが止まった。
信長…たしかに今、信長と聞こえた。この名を聞くと、心の奥底より不思議な喜びがこみあげてくる。
「信長殿という名は知らぬな、それは織田家のどなたの事じゃ。」
「どなた…かと尋ねられても、どう言うたものか。」
織田家の彼ら固まりになって、信長をどう説明しようかと相談を始める。与三はなかばあきれ返った。信秀の子だ、御曹司だ、などと、一口で言えばいいものを何を相談する必要があるのか。これでは話が続かない。与三は、ポンと膝を叩いた。
「ああ、思いだした、思いだした。信長殿とは先日、数騎でこの城下に攻め入ってきたあの若武者のことだな。」
与三は笑って見せた。織田家の者たちは警戒してまったく笑わない。
「あの信長殿は、今、どうしておられるか。」
するとまた彼ら、固まりになってどう説明しようかと相談を始める。いちいち面倒くさい。武藤の寄せ集めのような男たちだ。
「毎日、武芸と学問にいそしんでおります。」
どうやら、彼らは信長について無難な話しか教えてくれぬものらしい。いや、信長自身と直接に関わる機会がほとんど無いのかもしれぬ。しかし、どうせ隼人が館から出てくるまで時間はある、彼らの警戒を解いて、ゆっくりと織田信長の話を聞き出そう。



第十二話:「酷肖(ニ)」第十四話:「蝶番(二)」
 
 

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Date:2009/01/10
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