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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第二十話:「父子(ふし)にあらねど」

 森与三は、その夜、斎藤道三の元にあって長井隼人の状況もわからぬままに彼に向けての書状を認めていた。どうにかこの釈明の手紙を関城にいる隼人に届けねばならぬ。夜に明かりを灯してほの暗い部屋で、黙考しながら筆を走らせていた。
 与三は、道三に庶務をする仮部屋を与えられた。美濃と尾張の国境・蓮台村の森家として、斎藤家の娘を無事に尾張に送り届けるようその手伝いを命じられた。
しかし、それは与三が従う長井隼人の心に逆らうことである。こうなった今は、どうにか道三と隼人が折り合いのつくように努めねばならない。
 この斎藤道三に与えられた新たな部屋の空間は、隼人の屋敷の部屋とは比較にならないくらいに高級感に満ち、人が住むにふさわしい広がりがある。部屋でどれほど身体を伸ばしても、まだまだ空間が余る。隼人には申し訳ないが、この部屋に居る事が、何と自分らしいと思えることか。以前は、狭い場所に押し込められたゆえに、気持ちまで矮小になっていたのかも知れない。だから、夜な夜な自分の身の上を嘆いていたのかも知れない。ただ気にくわないのは、その隣の部屋には、またあの余語盛種も移ってきたということ、尾張に詳しい彼もまた、与三と同じ任務を道三から受け負ったということ。

 思考に身を任せていたその時、部屋の外から「森どの…」と、押し殺したような声がしたような気がした。与三の筆が止まる。板戸を指先で叩くような、そこにガリガリと爪を立てるような音がする。
「次郎でございます、どうか中へ。」
与三が「開けろ。」とアゴをあげれば、すかさず武藤が部屋の板戸を開く。そこには、見るも痛々しく血に染まった次郎・小次郎兄弟がいた。

次郎が担ぎあげた小次郎の腹から血が出ている。
「おい、腹を切ったのか。」
次郎は泣きそうになって頷く。彼らは道三より小姓ばかりの大部屋に移されたはずであった。与三は息も切れ切れで気絶寸前の小次郎を次郎から引き取って抱えこんで部屋に入れた。
 横たえた小次郎はただ痛みに歯を立てうなる。血糊のべったりとついた着物を開いて腹を見ようとしたところ、ドッと血があふれ出てくる。与三は反射的に小次郎の着物で傷口を強く押さえつけた。小次郎はその瞬間に口から泡を吹き出し、さらに歯をくいしばってガタガタと震え始めた。
その振動が与三の手に伝わってきて与三を恐怖させる。
切腹した者の治療など介錯してやることしか判らぬ、どうすればよいのだ。
「五郎、医師(くすし)を探して連れて来い。」武藤にそう告げれば、武藤は動揺する。
「ど、どこへ行けばよいのでござろうか。儂ら戦場以外で医師に世話になることなどござらぬゆえ、知ってる者がおりませぬ。」
「死らん。誰かに尋ねて早く呼べ。早くせんかっ!」
兄の次郎は涙を流して両膝をついて小次郎を覗きこみ、「小次郎、死なないでおくれ。後生だから死なないでおくれ。」と言って泣く。
その騒ぎに隣から余語盛種とその家来らがやってきた。
余語は暗がりで床に落ちた血を踏んでズルリと足をすべらせそうになって膝をしたたかに床に打ちつけた。
正面を見ると、薄ら灯りの中、血まみれで横たわる小次郎の姿が視界に現れた。
「なんだ、これは!」と仰天するが、与三が怪我人の腹を押さえつけているのを見ると、次の瞬間には家来に「湯を沸かせ。」、「薬と、ありったけの布を持って参れ。」と命じて与三の身体を押しのけるように割って入って小次郎を見た。
「森どの、手を離されよ。そんなに傷口を押さえつけるものでない。」と小十郎の血に濡れた与三の手を押しのけた。与三は血を見て興奮気味であるが、余語は冷静に懐から布を出して小次郎の腹に当てる。
「ああ…血の割には傷は浅い。腹の上面一枚を浅く切っただけだ。臓腑まで届いておらぬ。」
そう言って、小次郎の帯を解いて傷のある腹に巻き直した。
次郎が「助かるのか。」と尋ねれば、余語は次郎を見た。
「それは知らぬ。…そなたまで怪我しておらぬか。」
「私はよい。それよりも弟をお頼み申す。」
次郎は右手に深い傷を負って血を垂れ流しにしていた。弟の小次郎が切腹しようとするのを目撃して、慌てて小次郎が手にしていた白刃を握りこんで切腹を止めようとしたのだろう。その次郎は、腹を切ろうとした弟を案じるあまりに、余語にすべてを任せて祈るような視線を向けた。もはやその視界に与三はいない。
「弟御のことは後は医師に診せるしかない。そなたの右手のほうが深手だ。ここを強く押さえておかれよ。」と、余語は言い、次郎に右脇の付け根を押さえさせ、家来が隣から布や薬を持ってくると余語が布を取って次郎の腕をしばって止血し始めた。

与三は何も手出しできずに、ただそれを眺めて呼吸していた。
小次郎は、きっと、長井隼人を裏切ったという良心の呵責に堪えきれずに腹を切ろうとしたに違いない。

 そのうち、屋敷の者たちが異変に気づいて鑓や刀を持って部屋に寄って来て何事だと怒った。
余語は怪我人がいると軽く説明すると、きっと森どのが朝に事情を申し上げるはず、と言って自分の部屋に戻って行こうとした。
与三は慌てて余語を引きとめる。
「余語どの…医師が参るまでこの子らについて居てくれぬか。」
「もう、これ以上の事は拙者にも判らぬ。」
と余語が言い返しても、与三はブンブンと首をふって頼みこんだ。
「頼む。彼らに何かあっては隼人どのに申し訳がたたぬ。」
余語は黙って次郎に寄って座り、再び右手に手当を続けた。
次郎の細くて白い少年の腕がまくりあげた袖からのび、その先にある小さな手は余語の大きくて褐色の手につかまれていた。
次郎は自分の手当の時にも、弟のことを気にしてずっと見ていたが、右手から多くの血を流し過ぎたせいで、やがて意識を失うように昏倒した。
また、屋敷の者たちがやってきて医師を連れてきた。
そして「森殿、明朝、この一件をご報告なさるように。」と命じて去った。
医師が傷口を見ると、早くもその頃には小次郎の腹の血は止まっていた。彼の傷は浅く、むしろ、次郎の右手のほうがより酷いと言い、痛みを止める薬を与えた。

 武藤が何とも怪しげな医師を引っ張って来たのは二刻過ぎてからだったが、医師があまりに怪しげで二人とも屋敷の門衛に追い払われた。
与三は、血の臭う部屋の中、苦々しい思いでこの兄弟を見つめて夜を過ごした。命の心配はないというのに、今は計り知れぬ心配と不安で胸が張り裂けそうでどうしようもなかった。
「そうか…儂も、本来ならこの年頃の子の父となっていてもおかしくない年なのだ。」
そう思うと、次郎・小次郎に対して我が子を思う父のような、何とも複雑な気持ちが湧いてきた。
「儂は最初の妻とも他の女達との間にもまったく子ができなかった。お立とはどうなるか分からぬが、今のこの二人との巡り合わせは何かの縁かもしれぬ。」
とにかく、次郎・小次郎がこういうことになったのには責任がある。この二人のことは、儂が考えて何とかせねばなるまい。
与三はやがて、自身も疲れを感じ、少年たちに添い寝して川の字で横たわっていつの間にか眠りこんだ。

 次に与三が目覚めた瞬間はもう朝であった。看病の身を思い出して焦って起きあがった。
ただ、次郎一人が起きていて、小次郎の枕元に座っていた。与三が背後から見る彼の背中は微動だにしない。
与三が寄って行くと、次郎はひどく落ち着き払った表情をしていた。昨日、泣くばかりでどうにもならないほど華奢に見えた少年が、しっかりと、どっしりとして見えた。
「小次郎が目覚めれば、切腹をやりそこなったことを恥じて再び自害しようとするであろう。こやつは世にあるたった一人の肉親、失ってはならないと思い隼人様を裏切ってまでしてここへ来たのに、こんなことなら…。」
その言葉に与三はしばし黙りこんだが、次郎の隣に座って言った。
「次郎どの、道三の元に儂らがいてこそ長井家の役に立てることもあるかも知れぬ、それを共に考えよう。そして、我らのその意志をどうにかして隼人殿にお伝えしよう。」
その言葉に次郎は黙ってうなずいた。
与三は、用を足しに部屋を出た。その時ふと余語の事を思い出して、礼を言わねばと思い出し、余語のいる部屋の前で足を止めた。
「部屋の中で物音がせぬ。まだ寝ているのであろうか。」と与三がためらっていた時に、部屋の戸が開いて長身の余語が現れた。
「起きておったか。」
与三がそう一言言ったまま、仁王立ちして静止する二人の間に沈黙が流れた。
「昨日はお蔭で助かった…。礼を申す。」
と、与三は重い唇をこじ開けてたどたどしく謝意を言葉にした。余語はそれを受けてコクリと頷いた。聴きたがりの余語が昨夜の一件について何も事情を尋ねてこないのは、はや推量で一人何らかの結論にたどり着いたのかも知れない。
それはどうでもよいというように、余語は大きく息を吸った。
「森どののことで、今、思い出したことがある。」
「何であろうか。」

 余語は息を吸い、胸をパンパンにして息を止めたかと思うと、与三の頬を拳で思いっきり殴りつけた。与三は一瞬気が遠のき、勢いよくガツンと壁に叩きつけられた。
余語は、それでもすっきりとしないような顔をしたまま、廊下を歩いて去って行った。




第十九話:「信長へ続く道」      第二十一話:「隼人慕わしや」
 
 

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Date:2009/04/04
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