小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第二十二話:「うつろひ菊」

 いつの間にか部屋に女が静かにこの部屋の中にいる___。
余語の驚きに反応して、与三と新右衛門が首を向けると、うつろい菊の着物を着た女が立っていた。
うつろい菊___茶色がかった深い紫の着物だ。恐らくは年配の女が着て初めてしっくりいくような色であろう。しかしそれを押し着せられたかのように身にまとった女は、着物の色にはそぐわない13、4歳の年頃の若い娘であった。娘は顔の両方に垂れる重たげな髪と髪の隙間から両眼を覗かせ、眉間にあらん限りの皺を寄せて、下唇を噛みしめ、細い指に強く数珠を握りこみ、そのまま新右衛門のそばに寄って行った。
「英、他の女子達とはぐれたのか。姫様方と女子達で集まって話をしていたのではないのか。」
新右衛門がその娘の顔を覗きこむ。娘はただ声も出さず、ここに居たくはないように拒絶の表情をみせた。
 与三と余語が口をポカンと開けていると、新右衛門はそれに気づいて肩をすくめ「娘の英でござる。」と紹介した。
「英、このたび我らを尾張へお連れ下さる方々じゃ。ご挨拶いたせよ。」
新右衛門は英というその娘の腕を引いて座らせ、背中を叩く。
英は父親に促されて二人の男の顔を見たが、何の興味もなさそうに視線を落とし、三つ指を立て浅く頭を下げた。
「先に家に帰ります。」
英は蚊の鳴くような声で父親にそう言う。
父親の新右衛門が「何かあったのか。」と尋ねても逃げるように廊下に出て行った。新右衛門は隣の控えの間にいる家来を読んで「善四郎、英を家まで送り届けてくれ。」と言えば、善四郎なる男はすぐに廊下に出て行った。

 森与三も、余語盛種も、人並み以上によい男ぶりの者達である。十代の女が彼らを見ればたいていは頬を赤らめるか、うっとりとした表情をするか、はにかむか、それとも緊張のあまりに声もでないか、そのいづれかであるのに、彼女はそのどれでもなかった。初々しさというものが微塵もない今の娘の態度に二人は心中、愕然としていた。
あれで十代の娘なのか。
 新右衛門は身体を二人に向きなおして「不躾な娘で申し訳ない。」と詫びる。
「本日は、姫様の婚礼の調度品を見るために娘も連れてきたのでござる。拙者は先に退出してきたのでござるが、その後で姫様に叱られるような事でもあったのや知れませぬ。」と新右衛門は説明して首をかしげた。


 そこへ、道三の重臣衆や家老がどっと部屋に入ってきた。
与三は、ハッとする。その中に、長井隼人がいるかも知れないと思ってしまったからだ。思わず顔を見上げて隼人を探した。しかし、どの顔も、どの顔も、待望の隼人ではない。しまいには、与三を嫌う忌々しい家老連中の顔にぶつかった。与三は目を逸らす。家老も「フン!」と鼻から息を抜いて、目を逸らす。しかし、余語に対しては親しげな笑顔をふりまいた。
「おお、余語どのも見えておったか。もっと前へ参られよ。」
「いえ、拙者はここで。」
与三はまったく意識していなかったが、余語は隣の位置といえど与三の下座を選んで座っている。与三はそのことに今、気づいた。家老どもはその序列を快く思っていないのだ。
「それはならぬ、余語どの、そなたがそこまで下座に行くことはない。」と、家老どもが手まねきする。ここにいる誰もが、その言葉は余語への親切というよりも、むしろ与三への当てつけというのははっきりと分かっていた。余語は固持し続け、それでも家老たちは手招きを続ける。本当に面倒臭い奴らだ。「行けよ。」と、ボツリと余語だけにつぶやくと、余語は頷いて与三より上座に席を移った。

 話は夕刻にまで到った。与三は武藤を連れて町まで出て行った。酒屋に入って軒先の椅子に腰かけ武藤と飲む。たった一口酒を飲んだだけで前のめりになり「はぁ、戦がしたい。」と与三がぼやいたので、「は?」と武藤が立ちあがって上から与三を覗きこむ。
「戦がしてぇんだよ。」と、今度は背を反らした。
「また何で。」
このどうしようもない鬱憤といらつきを発散させるために、ただ生き死に事しか考えずに合戦に身を投じたかった。長井隼人はおろか、伝九郎までもが何の便りもよこしてくれない。今、自分はどのようにみなされているのか、気になってどうしようもない。

表通りから、辻説法の声がする。
「この美濃はそもそも土岐氏が守護として土地である。今、あの稲葉山にあるのは偽りの城。そしてその城におるのは偽りの城主。長井家を乗っ取り、ついには斎藤家まで乗っ取った輩。」
それを肩越しに聞きつつ、与三は肩コリをほぐすように首を回した。
「またかよ。…本当に懲りぬな。よほど切られたいのだな。」
与三が杯をグィと飲みほすと、武藤が身を乗り出して、与三の杯に酒を注ぐ。
「そういえば、以前、予見をしてもらいましたなぁ。」
「予見…。ああ。」

”歴史に名を留めるほどの働きをし、やがて社(やしろ)に祀られる。”

神通力とやらで、御師と語るその男が、与三をそう見通した。
「…いっこうにその気配がないのう。その言葉が正しくとも、何がどこにどうつながってそうなるのか、まったく判らぬわ。」
そう言いつつ、杯の中の酒を睨みこむ。
この予見、当たってほしい。だが、そんな事が本当に自分に起こり得るのだろうかという気持ちも胸の奥から湧いて出た。

ああ、御師はこうも言っていた。
『そなたは主人の為に死ぬが、そなたの子がその主人を殺す。
そなたは主人に従い何万もの人を殺めるが、
そなたの妻はその主人に背いて何百万もの人を助ける。』

 長井隼人よ…儂は、この与三は未来にあなたの為に死ぬ運命にあるかも知れぬのに、何故に一言の言葉もよこしてきてくれぬのか。儂が送った書状には、目を通してくれたのだろうか。

武藤も酒をチビチビ飲みながら、不満をこぼす。
「伝九郎殿も、以前はあれほど与三様にくっついておったのに。書状も何もよこしてくれないのでござるな。」
与三はまた、グィと一気飲みした。そして空の杯を武藤に突き出して、酒を入れよと促した。その時、何気なく外の様子を窺うと、先ほどの辻説法に人々が耳を傾けている。

「え…。」
と、与三は不可思議に思い、のそりと立ち上がった。いや、人は辻説法の場に寄ってはいないが、人々は遠い場所に身を置きつつもじっと耳を傾けているのだ。以前までは、斎藤道三の悪口をいう声があがらば、道を歩く者たちは皆、耳に蓋をするかのように無視を決め込み、そして巻きこまれぬようにそそくさと通り過ぎていた。そして時をおかずに、鑓を持った番人どもが道三の悪口する者をひっ捕らえにやってきていた。なのに…。

「斎藤道三の嫡男・龍興は道三の子にあらず。実は正真正銘に守護職・土岐頼芸公の子。その訳は頼芸公が側室を道三に賜った時、既に懐妊していたのだ。そして…」
そう言っている。以前も同じことを耳にした。
この店を切り盛りしている女は知り合いだ。与三は女を呼んでそれとなく尋ねてみた。
切られても切られても、ああやって繰り返し、繰り返し新たに人が来て、辻説法を繰り返すという。城下町を警備する斉藤家の者たちも、毎度それを捕縛して稲葉山に連行していたが、それがあまりに頻繁なので、警備の者たちは曲者の侵入を許した事そのものについて上の者達から責め立てられるようになり、それでは叶わんということでだんだんと手をゆるめるようになって、よほど手荒な事がない限りは進んで捕縛しなくなってきたというのだ。

「はぁ…。道三の子が実の子でないという話は、もぅよほどの事ではなくなってしまったのか…。」
与三はよろめいた。店の女が肩手で与三の背中を支える。
「森様。腹に何も入れぬままで酒を飲むから酔ってしまわれるのじゃ。何かお出ししましょう。」
「ああ、悪い。」
そして与三は再び腰をかけた。
「フン。儂自身も、道三への非難を聞き慣れてしまって、それをどうこうしようという思いが失せてしまっている。」
こんな乱世のどうしようもない世の中でも、世間には、人の信頼を欺く謀略を重ねて血ぬられた道のりをのし上がってきた斎藤道三を非難する正義が存在するのか。
その道三が娘を織田信長に嫁がせようとしている。この婚姻で子が生れれば織田家の正統な血筋を斎藤道三の家系に混ぜることに成功する。
「本当に、義龍は道三の子ではないのでしょうかねぇ。」
「ううん…。どうなのだろうなぁ…。」
与三は肩を回した。酒の中に月が映りこんでいる。空を見上げると、明るい月が射している。いつか世に出たい。
与三は月ごと酒を飲みほした。

 そして心地よい酔い加減で帰ってゆくと、与三の部屋には次郎がいた。待ち疲れたのか、そのまま壁に寄りかかって眠りこんでいた。「風邪をひくぞ。」と与三が揺すり起せば、次郎は重たい瞼をあげ、だらりと垂らしていた右手で眼をこすった。
「すまぬ…。」
「いかがなさった。小姓部屋から追い出されたのか。」
「隼人様から何のお報せもこないので…森どののほうはいかがかと尋ねたくて。」
「いや、儂のところにも何の報せもない。それよりも最近、小次郎どのをお見受けしないが、息災なのか。」
今朝、隼人の烏峰城相続でおおはしゃぎで来た次郎が、夕方には隼人から何の報せもこないと落ち込んでいる。彼の小さな心には、長井隼人のことしか頭にないようだ。
「ああ…小次郎は私にはまったく口を聞こうとせぬが大丈夫だ。それよりも、隼人様が私どもをどう思っておいでなのか、不安でならぬ。」
「儂もだ。」
それを聞くと、次郎は長いため息をついた。与三は言葉を続けた。
「だが、このままということではあるまい。辛抱強くきっかけを待っておれば、必ずこちらの思いを訴える機会はめぐってくるはずだ。」
次郎は黙っている。
両者の沈黙の末、与三はふと、さきほど城下町で聴いた話を思い出して次郎に語ってきかせた。そして斎藤道三と義龍の本当の関係について何か知っているのか尋ねてみた。とたんに次郎の表情は暗くなり、視線を壁に落した。
「森どのは伝九郎殿と仲良くなさっていたように見受けていたが…そのような話はなさらなかったのか。」
「いや…。」
「そうか。」
次郎は下唇を噛んだ。話すべきか、話さざるべきか、頭の中で考えているようであった。しかし、やがて、与三にしか聞こえぬ声で語り始めた。
「義龍様は道三公の子ではない。頼芸公のお子だ。」

第二十一話:「隼人慕わしや」    第二十三話:「累卵之危」

 
 

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Date:2009/04/25
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