小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第三十一話:「鴆毒(一)」

 森与三は長井隼人に付き従って久々に稲葉山城を訪れた。
どうも斎藤道三と隼人の間に気まずい雰囲気を感じないでもないが、隼人の尽力で東美濃も随分と落ち着き、隼人は後事を重臣に託して自分は与三を連れて自分の城の関城へ戻った。

それから時を経ずして、隼人は与三を連れて稲葉山に出向いたのだ。
隼人はすこぶる機嫌が悪いのか、道三と再会する緊張感からか、考え事が頭をめぐっているのか、道中あまり口を開くことがなかった。与三も供の者たちも、黙ってついてゆくしかない。沈黙の中、馬の闊歩だけが聞こえる。
 与三は今回の東美濃の始末について、隼人より色々と口止めされることが多かった。その秘密が何かを知っているがゆえに、今の隼人と道三の関係がことさら心配に感じられた。
たとえば「斎藤道三が、土岐三河守に斎藤正義を暗殺させたこと。その三河守を謀反人として長井隼人に討たせようとしたこと。」
与三が土岐三河守と面会した時に知ったのは、それが、真実であったらしいこと___。
 長井隼人が土岐三河守を生かす道を選んだ時、それを道三にどう釈明するのか、与三は気がかりでならなかった。ただでさえ、尾張との和睦のことで行き違いが生じているものを。
 
 稲葉山城に到着して、皆で道三の屋敷に入ってゆく。嫌な予感がしてならないが、隼人が行くのだから、行かない訳にはいかない。
「私と与三だけであとは屋敷で待っていればよい。」と、隼人だけには心の余裕があるのか、稲葉山城下の自分の屋敷に他の従者を返してしまった。
 隼人は道三に会いに行く廊下で、与三には「控えの間で待っていてくれ。」と言ったが「すまんが話が長くなると思う。」と締めくくった。与三はゴクリと音を立てて唾を飲み込み、頷いた。
 道三と隼人とで話す事は山ほどあるかも知れない。織田信秀との和睦のこと。東美濃のこと。土岐三河守のこと。いまだ道三の手元にある西村小次郎のこと。この短期間に色々なことが一気に起きてしまった。

 隼人が道三の元へ行ってしまうと、入れ違いに道三の家老連中がドカドカと屋敷の廊下を歩いてやって来た。与三を大いに嫌う奴らだ、今回の東美濃の話を聞いてますます不愉快になって何か言ってくるに違いない。
ところが、家老連中は与三の姿を認めると扇子で与三の肩をポンと叩き「そなたのように口ほどのことをやれるようならばまだマシだがの。どうして口だけの小生意気な余語めが、老臣と席を並べて座るのか。遠慮を知らぬので困る。」と、大声を張りあげて通り過ぎてゆく。与三は呆然としながら彼らの後姿を見送った。
「な、なんだあれは…。」
しかし自分に喧嘩を吹っかけてこられなかったのは幸いだ。ホゥとため息をついてふり返れば、余語盛種が、家老らを鬼のような形相で睨みすえてワナワナと震えて立っている。
 家老の姿が消えた次の瞬間には突然に余語が「うぁあああああああ!」とその場で吠え立てて、与三はますます仰天してしまった。
「どうしたのだ。気でも狂うたか。」
 与三が声をかけた瞬間、余語はキッと与三を睨みつけて、彼もまた廊下を歩いて出て行った。
「なんだありゃ。相当きとるな。」


 そこへ、大喧嘩する斎藤道三と長井隼人の声が響いてきた。
「まずい。」
与三は、隼人から離れた控えの間で待っておられずに、彼らが対面する客間に足を向けた。屋敷内の他の者たちも閉め切った部屋に続く渡り廊下に近づいて野次馬半分でオロオロとしている。部屋の外で待機している小姓が皆を話の届かぬ遠くに追い払おうとするが、大多数の強みでそのまま皆で部屋に耳を傾けた。
「お屋形様のご勘気はいつもの事なれど、今まで隼人様のことだけはお叱りになられたことなどなかったのに。」
と、女中までもが囁き合う。
小姓は皆が自分の言う事をきかぬので腹を立てて「皆、場を去りなされ。」と、口をパクパクとさせ、さもなくば、と立ちあがったが、それと同時に道三と隼人が対面する部屋の中にいる側近が「誰ぞ!誰ぞ!」と叫び始めたので、その小姓が部屋を開けると、部屋の中では道三の刀持ちをしていた西村小次郎から道三がその刀をもぎとらんとしていた所であった。小次郎は、おののいて、必死で刀を抱きこみ刀を今の主人に渡さなかった。
一方、隼人は逃げることもせず、表情すら変えず、不動のまま道三の前に座していた。
 部屋の外にいた小姓達がその光景に驚いて部屋に飛び込んで行ったので、与三や居合わせた重臣達もすみやかに部屋に駆けこんでいき、与三は隼人をかばうようにして道三との間に立ちふさがった。
 先ほど屋敷を去ったはずの家老や余語もその騒ぎをどう知ったのか、屋敷へ戻ってきていた。
その光景を屋敷中の者たちに見られたことを知って面食らったのは道三だった。怒り心頭に達して全身が真っ赤になっていたが、瞬時に冷静さを取り戻したようで、「大事無い。皆退け。」と命じた。

 隼人は目の前に立つ与三に言う。
「話は終わっておらぬ。与三、外に出ていろ。」
道三が刀を手にしたのは隼人を切ろうとしたからに違いないのに、隼人は血相一つ変えずにいる。
それどころか隼人は西村小次郎に微笑みかけ「大丈夫だ。そなたも刀を持って部屋から出てくれ。」と命じた。

 全員が人払いされてしまい、皆は小次郎に「どうしてあのようなことに。お二人は何の話をしておられたのだ。」と尋ねたが、小次郎は決して軽々しく口を開くような真似はしなかった。
 与三は控えの間で大人しくじっと待ってもおれずに、屋敷の外に出て、大きく胸を開いて深呼吸していた。そこに余語が寄って来た。
「隼人殿が何を申したのか知らぬが間が悪い。道三殿も家老連中も美濃三人衆が挙動不審なせいで相当頭に血が上っているのだ。」
与三は、身体を動かしつつ余語に目線を合わせはしなかったが、それを聞いてボツリと返事した。
「この美濃は思った以上に敵だらけだな。土岐氏のために道三殿に反発するのか、道三殿に反発するがために土岐氏に味方するのか、これをひとつひとつ見極めて対処せねば、美濃統一には果てがない。」
余語はそれに答えて「それは守護職である土岐氏…」と言いかけたが、道三の屋敷の敷地内である。話題を変えた。
 「それはそうと、家老連中が申しておったが東美濃の土岐氏の鎮圧に森どのの功が大きかったとか何とか…。そなた、どうやって土岐三河を降伏させたのだ。」
「別に。」
「別にということはないだろう。」
「そなたに教える義理はない。」
知らぬ間に与三と余語は激しい口論になって罵りあっていた。そのうちに野次馬が寄ってきて、野次馬に「御前で何事じゃ!」と激しく叱られたので、二人は口を閉じて場を移動した。
 与三は「余語どの、そなたも随分とイラ立っておるな。どうせ家老連中がそなた一人に意地悪しておるのだろう。あいつらは誰か一人を共通の敵にせねば連帯のとれぬ奴らなのだ。」と、言うと余語は嫌気がさしたような顔をして腰に手を当てて「小せぇ。みんな小せぇ…。」と空を見上げた。与三は、伸びきった余語の背中をじっと眺めていた。

その余語の姿が、
『もっともっと上の世界から、この広い世界を見降ろしたい。』
という自分の内なる叫びと重なって見えた。
余語は振り返って、与三の胸をトンと指さした。
「そなたも器が小せぇ。」

 隼人が屋敷から出てきた。隼人の眼に、与三と余語の二人の姿が目に留まる。
「ここにいたのか。与三、帰るぞ。」
隼人は疲れているのか自分の元に帰ってほしいと願っていた余語の姿を見てもそこまで興味を示さず、どうでもよい挨拶がてらに「織田家に変わったことはあったか。」と聞きながら、そのまま余語をやり過ごそうとしていた。
「織田信秀が清洲の織田一族とも和議を結んで以来は、身辺落ち着いているようで特段何もございませぬ。」余語が言った。
「清洲家と和議とな。」隼人は驚いて余語の顔を見直した。余語は隼人も当然知っているかのように語ってしまったが、それに対して隼人は決まり悪い顔をして、そのまま颯爽と歩きだした。
与三も慌ててついてゆく。

 隼人は至極不機嫌のようで黙ったままでいた。道三との話はうまく丸くおさまったのか与三としては気になって仕方がないが、隼人が何も言いたくなさそうなので、尋ねることができない。
 隼人は自分の屋敷へは真っ直ぐに行くべきものを、途中、右に曲がる。その先にあるのは女の屋敷でもない。

「こっちだ。義龍殿のお屋敷へ寄る。」
「え…。」
「先ほど、お屋形様から私とそなたとで夕餉の席に招かれた。それで私は義龍殿もご一緒にと申し出たのよ。」
「さようでございますか。」
義龍の話が急に出てきたのに驚いたが、道三とは仲直りできたのか…与三は内心ホッとした。
「もう随分と息子とまるで顔を合わせておらぬというから、それはよくないと申し上げたのだ。」
 斎藤義龍は道三の嫡男だ。道三がこの義龍と距離を置いているのは誰もが知る話だった。それは…義龍が道三の実の子ではく、本当は守護・土岐頼芸の子であるという理由が噂として添えられていた。

 与三自身は義龍のことは姿は何度か見たことがあるが、今まで一度も口をきいたことはない。
「よい機会だ。そなたも挨拶しておくがよい。」
「はっ。」
隼人と与三は義龍の屋敷へ伺うと、しばらくしてその男が二人の待つ客間に出てきた。
斎藤義龍___骨太で、部屋をくぐって入るという感じの大きな体躯の男だった。義龍は叔父の隼人の傍に座ろうとしたが、隼人は義龍を上段に座らせた。
「義龍どの、ご無沙汰しておった。息災であられたか。」
隼人は愛想良く義龍に声をかけたが、当の義龍はぶっきらぼうに黙って「はい。」と頷くだけで、隼人にまったく愛想無しである。むしろ、隼人と言葉を交わすのが面倒がっているような印象を受けた。
隼人は「自分も行くから、道三の夕餉に伺うように。」と薦めた。それを聞いた義龍の顔はまったく乗り気でない。あからさまな表情なので、与三は驚いた。そして義龍はむしろ行かなくて済む理由を探して、だらだらと話し始めた。それでも隼人は説得した。表立って「道三と距離を置くのはそなた自身の為に良くない。」とは言わず、「親の屋敷にちょくちょく顔を見せに行くのは当然なこと。」「お屋形様は内心ではそなたを心配しておいでなのだがそれ言葉として口に出すのが苦手なお方なのだ。そなたも難儀よのう。」と、親身になって同行を薦めた。
 義龍は身体の大きさには似合わず、話を聞く間じゅう優柔不断な顔をして指でアゴをコチョコチョと掻いて考えていた。実の父子が一度食事をするのに、かくも深くに悩むものであろうか。
「そなたの身の安全は私が保障する。」といきなり隼人が言ったので、与三はギョッとした。
義龍はずいぶんと考えた上、隼人の説得に応じて「あい判った。」と最後には承諾した。
 
与三は、初めて面と向かって義龍に挨拶した。
隼人もそれを微笑ましく見ていた。
この時は、三者ともが、この先それぞれに押し寄せる運命に気づいていなかった。
いや、この場にいる長井隼人だけは、薄々判っていたのかも知れない。
その引き金を自ら引いたのは、隼人なのだから___。


 夕刻になって、長井隼人と与三は早めに道三の屋敷へ向かった。迎えてくれた小姓はあの「西村小次郎」であった。朝の出来事で心配していたが、隼人も与三も、小次郎の元気そうな姿を見て安堵した。
隼人が小次郎に「少々話がしたい、よいか。」と与三を残し、小次郎の肩を抱えて部屋に入った。

 隼人は部屋の暗がりで立ったまま、小次郎に「そなたの忠誠嬉しく思うぞ。」と喜び、その頬をなでた。そして懐から小さな紙を取り出す。
「小次郎よ。間もなくこの屋敷に斎藤義龍殿が来る。その時これを誰にも見られぬように義龍殿に渡すことができるか。」
小次郎は「はい。私がお出迎えすることになっておりますので、お渡しできます。」と頷いた。隼人はホゥと安堵のため息を漏らした。

 与三の待つ廊下へ、隼人と小次郎が戻ってくる。
「では、小次郎、また明日にでも話の続きをしようぞ。兄の話もしてやる。」と明るく言い、隼人は小次郎の背中をポンと叩いた。
「与三、行くぞ。」
与三は隼人と小次郎の表情を伺ったが、隼人はご機嫌であるし、隼人に会えてそれは嬉しそうに頬を赤らめていた。


 しばらくして、斎藤義龍が道三の屋敷を訪問した。
西村小次郎が「ようこそ参られました。お腰のものをこちらへ。」と両手を差し出した。義龍はちょっと険しい顔になって腰の刀の大小を抜いて小次郎に差し出した。彼の一つ一つの所作が緊張している。小次郎はその刀を受け取る瞬間に、義龍の手の中に紙片をキュッと差しこんだ。
「さぁ、こちらへ。お供の方々は宴が終わるまで控えの間でお食事くだされ。」

義龍は小次郎に伴われて後ろを歩きつつ、さりげなく手元でその紙片を開いてみた。

『今宵の食事には決してお手をつけ申すまじき事。』

今から出される食事には決してお手をつけられてはなりません___。

 前を歩いていた西村小次郎が振り向き、いかにも心配そうな顔つきで義龍を見た。義龍は瞳孔が開いたかのように落ち着きなくただただ敵か味方か分からぬ小次郎の顔を覗きこむ。
「私めは、以前まで長井隼人さまにお仕えしておりましたが、今は事情があってこちらにおりまする。」
小次郎はそう自己紹介した。そして、「こちらの広間にお入りください。既に皆さま方もお集まりです。間もなくお屋形様もおいでになります。」
義龍はハッとして、大きな拳でその紙片を握り締めた。




第三十話:「かりそめの城主」    第三十二話:「鴆毒(二)」
 
 

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Date:2009/08/08
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