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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第三十二話:「鴆毒(二)」

 隼人と与三を囲む夕餉の席に着いたのは、斎藤道三と義龍だけではなかった。この日に居合わせた道三の家老らもそのまま宴に加わった。家老たちはは森与三が同席していることが面白くないに違いないが、道三の手前もあってか機嫌良さそうに振舞っていた。

 本膳が運ばれてくる。皆の盃に酒が注がれてゆく。
道三は「さて、今宵は久々に隼人が稲葉山に戻って来たのだ。くつろいで話をするがよい。」と隼人を見た。隼人もニコリと笑って「馳走になりまする。」と言った。
道三も隼人も二人とも今朝の大喧嘩の失態を取り繕わんと努めて笑顔に徹しているのが誰の目にも判った。
 「隼人殿の東美濃でのお話をゆっくりと伺うのを楽しみにしておりまする。」と家老の一人が言うと、その場がシーンと静まり返った。

「ああ。しかしその前に皆に伝えておこう。」道三は手にしていた盃には口をつけず、そのまま膳に置いて語り出した。
「犬山城の織田信清が挙兵して叔父の織田信秀に反旗を翻した。今、あちらは必死に戦っておるわ。」
みな、ざわつく。織田家となると、隼人は過敏に反応した。家老の一人が声高に言う。
「犬山城が。その信清の親父の信康は、以前、信秀と一緒にこの美濃に戦をしかけてきた者ではござらぬか。確か我がほうの者が討ち取ってくれたよのう。はぁ…あの信康の息子が信秀に反旗をひるがえして兵をあげ申したか。」
それにつられて誰ともなく「あちらは、とうとう近しく血を分けた者たちで骨肉の争いを始めたのでございますな。」と、言い放った。
道三は頷いた。

「今のところ、信秀よりこちらには援軍や挟撃の嘆願はない。自分の兵だけで何とかするつもりであろう。」と道三は説明し、「信秀め苦労しておるのぅ。清洲と和睦したかと思えばこのザマか。」と、苦笑いをした。
 隼人は「今は、和睦の折に織田家から迎えた家臣もこの稲葉山内に沢山おります。どこに人の耳があるのかわかりませぬ。そう表立って悪し様に言うのはよろしくないかと。」
隼人の発言で、再びその場がシーンと静まり返った。

 道三は再び盃を手にして「そうだの。今宵はそなたのための宴だ。楽しくやろうぞ。」
みなで盃を汲み交わした。

 与三は、今日挨拶したばかりの斎藤義龍の人となりに興味深々である。
日ごろは接触できぬ義龍をこれほど身近で知る機会が初めてできたのだ。何事もなければ、彼が道三の後に斎藤家を継ぐのであるから、彼がどういう人物であるのか、その器を知っておきたい。
彼の口から語る彼の斎藤家の未来を聞きたい。
思想を知りたい。
与三は横目で義龍だけを伺っていた。宴の座についてからは、口を開いたかどうかわからないほど大人しい義龍。ずっとその義龍を伺っていると食事の前に盃を合わせて飲みほす場で、彼は盃を傾け口をつけるフリをしたが、酒を一滴も飲まず、それをサッと貝汁の中に酒を流しこんだ。
『む。』
義龍ばかりを気にしていた与三はすぐにその事に気づいた。
皆が食事を始めると、義龍は里芋を食べるふりをして袖の中に次々にポコポコと落しこんで隠した。
『は。』
与三は義龍が何をしているのか判らず、その素行に驚いてしまい、自分が食べる事も忘れて皿を手にしたまま義龍の様子を横目で伺い続けた。
 義龍は口はムシャムシャと動かしながら、香の物もご飯も一切口にはせず、サッと自分の懐に落しこんで隠していた。
 皆が長井隼人の話に夢中でそちらを向いている時に、義龍は吸い物を床に下げてゆき、膳の下で何かゴソゴソとやっている。
『ええっ!無理であろう?!その汁はどうやっても無理であろう!!!』
与三は我慢できずに、自分の体を傾けて伸びあがって義龍の膳の下を見ようとした。
「与三。そなた何をしておる。」
ふと気づけば、道三も隼人も、家老達も皆が与三を見ていた。
「いえ、何でもございません。」
「…そなた。烏峰城に籠った土岐三河守とどうやって話をつけたか皆に話して聞かせよ。」
道三自らが、土岐三河守を出してきた。
「拙者は隼人殿のおっしゃる通りにしたまででございます。」
与三は、隼人と前もって打ち合わせていた通りの話をしてきた。
「三河守が人質を差し出して命乞いするものですから。三河守の味方をしていた周囲も彼の臆病ぶりを知って白けて こちらに次々と挨拶してきた事でもあるし、そのまま隼人さまが烏峰山から三河守を蹴り落としました。」
「そなたは三河守を討とうと進言しなかったのか。」
「今、美濃を掌握なさるために何が肝要かと考えると、あの場合に力押しは得策ではないと思います。」
そうして話をしているうちに二の膳が運ばれてきた。
 与三は、義龍がこの後も同様の行動をするのか気になってどうしようもない。しかしこれ以上自分が義龍に視線を向ければ、あの奇妙な行動が他の者にも見つかってしまう。代わりに隼人の顔ばかり見つめた。
家老たちは笑いながらしらじらしく言う。
「森どのも末頼もしい男になってこられたなぁ。」
道三が「そうだの。そなたの処遇をもっと考えねばならぬ。そなたらの中でよい年頃の娘はおらなんだか。」と、急に家老らに話を振った。
『嫁って、そっちかよ!!!』
これには与三も家老らも目を向いて首を振った。
道三は唇を突き出して言い放った。
「そなたには、これからも尾張のことに当たってほしいと思うておるのよ。織田家との間を上手く取り持つ者が必要なのだ。」
隼人は心なしかムッとしている。

 そのうちに三の膳が運ばれてきた。笹の葉を敷き詰めた皿の上に焼き魚がドンと載せてある。
隼人は目の前の立派な魚にはお構いなしで「与三には関城下に屋敷を与える約束をいたしました。常々の労に報いてそれなりの事をしてやらねばなりませぬ。」とムキになりはじめた。「今、与三に東美濃でやらせてみせたき事が…」
 隼人は、そう言いながら、先ほどから全く発言のない義龍のほうを見ると、義龍は汗をかきながら引きつけを起こしたように歯を食いしばり懸命に魚の身を箸先でグチャグチャにしている。
 それを見て呆気に取られた隼人が静止してしまったので、皆は隼人の視線の先にある義龍を見る。
義龍の姿を見れば、着物のそで口にも茶色い汁がべっとりとついている上に、床の上もビチャビチャに濡れている。道三が低い声で怒りを含めるように言った。
「義龍。何をしておる。」
そう言われてようやく義龍は皆の視線が自分一人に注がれていることに気づいた。息が苦しそうになり、脂汗がじとりと顔に浮かんでいる。
「そなた、この席が楽しくなくて、あてつけに魚をかき回しておるのか。」
道三がそう言うのを隼人が盃を突き出して制した。
「まぁ、お屋形様、そうおっしゃらずに。せっかく、このように皆で顔を突き合わせて仲良く食事できるのですからよいではございませぬか。」
道三は義龍を睨みつける。義龍は目線を反らして黙っている。隼人はなお、助け船を入れるが、彼もまた道三に対して怒り口調になっていた。
「魚をどのように食うてもよいではございませぬか。」
「あれは食べておるとは言わぬ。義龍の行儀は儂へのあてつけじゃ。」
道三と隼人の会話に、どんどん義龍の血色が変わってゆく。皆が彼を凝視している。
ダンッ!
義龍は跳ねあがるように席を立った。
そして何も言わずに膳を蹴ってズカズカと出て行った。
皆、言葉が出ずに呆けている…。
道三はそれこそ頭に来て爆発前だったが、隼人が道三の前に出て詫びる。
「私がこの場に無理に誘ったのがよくなかったのでしょう。体調が悪かったのかも知れませぬ。後日、よく説得しますから、ここはこらえてくださいませ。」
 与三は、もう魚が咽を通らなかった。いや、与三だけではなくこの気まずい雰囲気に誰も食べ物に手を伸ばさなかった。
 隼人は「ここらでお開きにしたほうがよろしいでしょうな。明日、宴の礼に参上いたします。」と、席を立った。与三は道三や重臣達に頭をさげて挨拶をすませて隼人を追った。道三も黙っている。
 

 隼人は皆の見送りを断り、与三がまだ追って来ぬうちに玄関先の暗がりで、懐から薬を一服取り出した。
「南無三。」と言って、それを手のひらに移し替えて一気に口に含んだ。


「隼人殿…。」
帰途に与三が声をかけても、隼人はもう興ざめした様子のまま沈黙を守って何も話そうとしない。馬にも乗りたくないらしく、そのまま歩きだした。状況を何も知らぬ他のお供の者たちは、何があったかを知るはずの与三に目くばせする。与三は隼人に見えぬ位置で、小さく横に首を振って他の供に、隼人が今は機嫌が悪いことを示した。
隼人は道三と義龍の仲を取り持とうとした親切が徒となって痛恨の思いらしく、重々しい空気を背負ったまま帰途についた。
 与三は、義龍の食事を口に入れようとしない行動のほぼ一部始終を見ていたが、それを隼人に告げるべきかどうか悩んだ。あの行動は実に不可解である。義龍は、あの料理に毒でも盛ってあると思ったのだろうか。そう思うのならば、なぜわざわざ夕餉の席に出たのだ。

 隼人は歩いていた足をピタリと止めた。
「ああ…やはり今のうちに義龍殿にひとこと話して帰ろう。」
とまたしても踵を返して義龍の屋敷に向かい始めた。しかし、隼人はその場で急に立ちつくしてうめき声をあげ、差し込みのあたりを押さえてかがみ込んだ。与三が覗きこむ。
「隼人殿。どうなさいましたか。」
隼人は顔を歪めたまま口が開けない。与三は「大丈夫でございますか。」と身体ごと隼人に近づいていったが、隼人は「く…苦しい…胃の腑が焼けるように…」と言った瞬間に、顔を紫色に変え、地面に叩きつけるように胃の中の物を一気に嘔吐し始めた。
与三は驚いて倒れそうになる隼人を背中から抱え込んで、背中をさすった。
 武藤がすかさず「屋敷から人を呼んでまいります。」と長井屋敷に向かって走り出すが、武藤が走り去った後に、「必要ない…。」と隼人がうめく「義龍様の屋敷に…薬師がおる」。
「ああ、ならば今は一刻も早く義龍様の屋敷に参りましょう。」と与三は隼人を背負った。隼人は苦しみを訴えて言葉にならない声をあげ始めたからもう、皆、気が気でない。隼人は与三の身体に全体重を傾けてもたれかかる。与三は意識が遠のく隼人のあまりの重さに地面に膝を落としそうになるが、義龍の屋敷に向かって踏ん張って歩く。もう自分の背中の上でこのまま隼人が死ぬのではないかと恐怖におののいた。隼人が背中で荒く吐く息に、死の匂いを感じた。
与三に先立って隼人の従者が「頼もう!」と義龍の屋敷に駆け込むと、間も無く薬師を連れて隼人の元へ戻ってきた。
 義龍の屋敷へ行くと、皆、担ぎ込まれた隼人のただならぬ苦しみの様子に仰天する。
屋敷の者達は「草履のままでよい。早くこちらへお運びしておくれ。誰か床をのべよ!」と、叫んで屋敷へあげる。
 薬師が「とにかくありったけの水を飲ませて吐かせよ。」というので、与三は隼人に随分と背中を汚されたままなのもそっちのけで、苦しむ隼人を横たえさせて水を飲ませるが、隼人は咽へ水が落ちる前に、白目をむきだして水をグヘッと吐き出した。その勢いで隼人の目からは涙がこぼれ、鼻からは血が垂れるが、それでも与三は隼人の口をこじあけて水を流しこんだ。
 伝九郎の死に対する恐怖が与三の中で大きくよみがえって広がってゆく。伝九郎もまた、このようにして死んでいったのではないのだろうか。
油断をすれば、どんどんと大事な人達が死んでゆく。
死なせてはならない、長井隼人まで死なせてはならない。

 しばらくすると家の主である義龍が血相を抱えて出てきた。
「なんと言う事だ。」
与三は目の前に義龍が立とうがそれどころではなかった。とにかく隼人を苦しみから救おうと、必至で隼人に水を飲まようとした。隼人は歯を食いしばって口を開かない。咽を必死に押さえている。
「おい、今は吐かせるでない。叔父上の咽が焼けて死んでしまう。」
義龍は薬師とはまったく別の事を言うと、懐から薬袋を出してきて与三の間に割って入った。薬師が「そのお薬は義龍様の大事な犀の角なのでは。」と驚くと、義龍は「このような時に使わずにいつ使うのだ。」と自ら隼人に薬を飲ませようとした。
隼人は正気を取り戻し「やめてくれ。胸や胃が焼けて苦しい。」と叫ぶが、義龍は「それは毒を口になさったせいだ。この解毒剤を飲めば楽になる。」と隼人を説得して口を開かせる。毒に対して何と冷静で手慣れたことか。
隼人がガクリを気を失うと、皆が仰天した。


 二刻も経てば、隼人の顔はだんだんと血色が戻り、生気を取り戻した。
その代り、義龍は我を失なわんばかりに怒り狂っていた。



第三十一話:「鴆毒(一)」    第三十三話:「鴆毒(三)」
 
 

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Date:2009/08/15
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