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小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第三十五話:「予兆(二)」

「与三様、お久しゅうございます。長井殿はお留守のようでございますね。」
蓮台村からやって来た近松は森与三に差し向かい、非常にゆったりとした口調で答えた。
与三は驚いた顔をした。
「まさか蓮台にまで隼人殿の話が届いているわけじゃなかろうな。」
「話とは何のことでございますか。何か、あったのでしょうか。」
それよりも与三は近松の顔が曇っているのが気になる。
「判らぬならよいのだ。新五、何か嫌な報せなのか。」
「いえ…あの…。」
その時、武藤が与三と近松の立ち話に近づいてくる。
「与三様、何かよからぬことでもあったのでございますか。」
武藤が近松と与三の顔を交互に覗きこむと、近松は一呼吸置くようにして切りだした。
「…大殿(可行)にお子様が…つまりは、与三様の妹君がお生まれになりました。」
まるで想定外の話をされて与三はつい口に手をやった。
「…親父はいつの間に…。何も知らなんだ。」
三人はしばらく沈黙したが、その後、武藤が高笑いして懐から扇子を出して広げてはしゃいだ。
「いや、いや!何とも何ともおめでたいことではござらぬか。与三様に妹君がお生まれになったとは。蓮台城に花が咲いた。お名前は何とおっしゃるのか。」
「お鍋さまと申されます。」
「おっほ。お鍋さま。与三様がとうとう兄上様になられた!」
 武藤がおどける中、近松は笑いもせずに視線を下に落とす。与三はそれを見逃さない。近松は、与三のことが恐ろしいのか悲しいのか、ただ、この場の武藤の喜びように心が耐えきれぬ様子でようやく唇を開いた。
「申し上げにくいのですが…お立さまが嫁がれました。」
自分に妹ができた話の次にこの話。与三は何かにガツンと頭を打ちのめされた気がした。しかし、今の言葉がよく聴き取れず、いや、聞き取れたのだが、何かの聞き間違いと思い、近松に向かって首を前に突き出した。
「え…。何と申したか。お立がどうしたのだ。お立が嫁いだと言うたか。」
「申し訳ございません。お立さまにはもう、どうしようもなかったのです。」
「お立が…。」
「昨日の事にございます。」

 与三の頭は一瞬で真っ白になった。
お立とは確かに最近は連絡も滞っていたが、愛情を確認しあい、いつか嫁に迎えると約束までして、それを蓮台村の者たちもよく知っていたので…青天の霹靂だった。
「お立さまの父上が…大殿に訴え出られて、お二人が別の方との縁談をお決めになってしまわれました。」
与三の眼球が左右に小刻みに動く。
「親父は儂に何の相談も無しに、お立を嫁に出したのか。」
「お立様はこのままでは二十五におなりです。与三様は蓮台村に戻ることもなく、かと言ってこちらにお招きになることもないので、お立さまのお父君がご心配になって大殿にご相談にあがったのです。」
 自分の事で父親に相談に行かれるなど、与三にとっては屈辱どころではなない。ただでさえ、親父に対しては馬鹿にされたくないという意地がある。
与三は足元がフラついた。
「もう、お立は嫁いでしまった後なのか。もう、どうにもならぬ話なのか。」
「もう…遅いのです。」
近松は頷いた。
「そなた。どうしてそうなる前に儂に報せてくれなかったのだ。お立も、どうして逃げてこなかったのだ。」
 与三の心にフツフツと怒りがこみ上げて来てだんだんと歯ぎしりが激しくなる。関節が白くなるほどに強く拳を握った。
「これは許されぬことだ。今からお立を取り戻しに行くぞ。相手の男にも一太刀浴びせてやる。」
その言葉に、近松も、武藤も仰天した。
次の瞬間には与三は「馬だ、馬だ!」と叫びだす。長井屋敷に居た者達は、長井隼人の身に何かがあったのかと青ざめて飛び出し、与三を取り囲んだ。


 さて、一方、長井隼人は稲葉山城下の斎藤道三の屋敷を訪問した。
道三は隼人に対面するがその顔は眉根にしわを寄せていたく機嫌が悪い。
「隼人。そなた謀ったな。」
突如として言い放ち、道三は隼人を睨んだ。
「何のことかは存じませぬ。」
隼人はサラリと答えた。
道三は歯ぎしりして舌打ちする。
「今や皆が儂の陰口を叩いておるわ。そなたに、そして義龍にまで儂が毒を盛ったと。」

 隼人は上座に座る道三に にじり寄った。その顔を道三の右耳に近づけてそっと語り出す。
「そのような根も葉もない噂が立っているとは。しかし、それはお屋形様自らが人を謀って虐げ続けてきたからに他なりませぬ。私はお屋形様の用意した宴で毒を盛られて死にかけたのですぞ。まことに一時は心中お屋形様をお疑いしましたが、今は、そうではないと信じております。少しは私の身体をお気づかいくださいませ。そしてお屋形様自ら下手人を探し出してそやつを捕らえてくださいませ。」
その隼人の言葉に道三はしばらく沈黙していたが、
「隼人、そなた儂がそんなに恨めしいのか。」
とこぼした。隼人は信じられぬという形相で首を振る。
「仰せの意味がまったく判りませぬ。」
「下手人はそなただ。毒を飲んだというのはそなたの狂言に相違あるまい。なにゆえ身体を張ってまでして儂を落としいれたいのか。」
道三のその一言に、隼人はますます驚いた顔をして取り乱し、感情を押し殺しつつ声を振り絞った。
「今日は私を案じての優しいお言葉をかけてもらえると勝手に思うておりました…。それが、まさかこの私をお疑いになるとは夢にも思いませんでした。こんなことなら、いっそあの毒であのまま死んでおればよかった。それがお屋形様の望みと言うなら、死んでおればよかった。」
道三は隼人の言葉に含まれた劣等感を見逃さなかった。
「そなたは一体何がしたいのだ。儂はそなたが一番可愛いし、大事に思っておるからこそ国の半分とも言える東美濃を与えたのだ。それでも満足できぬのか。」
道三は手を伸ばして、隼人の肩を優しくなでた。大きな手だった。
「隼人…。もしやそなた、それでもまだ不服で斎藤家を継ぎたいのか。」
道三のその一言に、隼人は両眼を見開いた。道三に傾けていた身体を真っ直ぐにして居住まいを正す。
「ご冗談を。それこそご冗談を。なぜ、そうお疑いになるのですか。」
隼人は自ら息を落ち着かせようとつとめて話し続けた。
「お屋形様はこの世に生きるどのような生き物も野心満々だと思って、私の事までそのように考えておいでらしいが、私は今の長井隼人佐が好きでございますから。斎藤家を継ぐのは義龍殿以外ありえないとも思っております。」
その隼人の言葉に道三は怒りに身を震わせた。
「やめよ。義龍の一件にそなたが立ち入るでない。」
「今逃げていても、この先遠からずこの事に向き合わねばならなくなるのです。いや、お聞かせしずらいお話ではありますが、私が毒で寝込んでいた間、実に多くの思いがけぬ方々が見舞いにおいでになりました。そこで実にいろいろな話を致しましたぞ。いや、皆口をそろえて言うには、何か些細な事でもあれば自分たちもお屋形様に殺されるのではないかと…皆皆、怯えておいで、ならばいっそ…と…きっと、皆、その足で義龍殿の元にもお見舞いに行かれたはず。」
「何?」
 あまりにも無礼な隼人の言葉に、道三は血走らせた両眼をカッと見開いて憤怒の表情を見せて立ち上がった。隼人はそのまま逃げるように部屋を出て「小次郎!小次郎よ!」と叫び、間もなく現れた西村小次郎の腕をつかんでそのまま急いで道三の屋敷を退出した。

 隼人が再び馬の背にまたがり屋敷への道を戻れば、夕暮れは天いっぱいに黄金色に輝いて、下界をあまねく赤に染めている。隼人は先ほどの興奮が治まらずに息があがり、そして小刻みに唇を震わせていた。小次郎は馬上の隼人の姿を心配そうに見上げていた。

 その帰り道に、与三が棒のようになってどこぞに向かってフラフラと歩いていた。隼人は心中それどころではなかったが、与三が隼人の存在を気にも留めずに横切り、供も連れず、しかも顔がひどく殴られて赤いあざだらけなのを見れば、驚いて馬を回して与三の前に立ちふさがらずにいられなかった。
与三が腫れあがって開かなくなったまぶたを押し上げるようにしてようやく隼人の姿を認めれば、もうどうしてよいのか判らぬという顔つきで、「ご無事でしたか隼人殿…。」と与三は安堵のため息をつきながら前にのめりそうになる。「おお、小次郎殿も戻られてきたのか、よかったの。」与三は小次郎の姿を見てそう言い、一人で納得したかのようにうん、うん、と頷いた。そしてそのまま手綱をつかんだ隼人の拳に手を伸ばす。
「隼人殿、拙者はこの上は、生涯一度のよき敵にめぐり会いたい。ただひたすら、よき敵にめぐり会いたい、今はもうそれのみでござる。今なら、どんなに厳しい合戦でも受けて立ちましょう。」 
何の脈絡もない与三の突然の言葉に、隼人は呆気に取られて首を傾けた。
「そなたらしゅうない。さては女と何かあったのか。」
実にあっさりと隼人に見破られて与三はその場で叫び出しそうになった。
「与三…かような時は、わめかず騒ぎ立てずに、一人でじっと静かに堪えておるのがよい。」
隼人の馬がブルルと鳴いて、生温かくて臭い息が与三の顔にかかって、与三は気持ち悪くて吐きそうになった。隼人は、そのまま小次郎を伴い、屋敷へと戻って行った。

 日没に近づいて、稲葉山の山の端はますます暗くなり、城の周りにはかがり火が灯され始める。
長井隼人の後姿を見送りつつ、与三はどうしようもない自分に滂沱の涙を流した。


第三十四話:「予兆(一)」    第三十六話:「予兆(三)」
 
 

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Date:2009/10/10
Comment:2

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2009/12/05 【】  # [編集]

* 09/12/05にコメントくださった方

 ありがたいコメントありがとうございます。嬉しいです。
森家の別のことでずっと更新が滞っていてすみません。
私自身も続きを書きたくてウズウズしておりますので、近いうちに続きを再開します。
今後ともよろしくお願い申し上げますm(_ _)m


2009/12/07 【うきき(管理人)】 URL #- [編集]

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