小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第三十八話:「別れ路(二)」

 尾張に出向く前に、森与三は長井隼人に挨拶に行き、束の間ながら二人きりで話をした。この時、隼人は織田家に入っても恥ずかしくない着物と刀や長櫃に道具の一式を与三に用意していた。中でも与三は目の前に差し出された刀に目を見張った。その刀には見覚えがある。
「あ…これは…”雁が音”…。」
与三がつぶやくと、隼人がゆっくりと口を開く。
「そうだ。これは伝九郎の所持していた刀だ。伝九郎はいつもそなたについて回っていた。慕っていたのだろう。伝九郎のその気持ちを思えばそなたに渡すべきと思う。その刀と共に尾張へ行ってくれ。」
その刀がどれほど立派なものか、伝九郎がどれほど気に入っていたか、そして伝九郎がかつて加納口の織田信秀との戦いにおいて身につけていた事も、与三はすべて知っている。
カチリと鍔をひねって音を鳴らし、半分ほどその刀を鞘から抜いてみた。 うす暗い部屋でも、白く浮きあがるような光が白刃につきまとい、まるで刀そのものから光が発せられているようだった。
与三の鋭い両眼が、その白刃の上に鏡のように映りこんでいる。
隼人の前で刀に心奪われたままの与三をとがめるわけでもなく、隼人は右手で自分の左腕をさすりつつ言った。 フ…と笑いを漏らした。
「帰蝶が織田信長に嫁ぐ前…お屋形様(道三)が短刀を贈ったのだ。『信長が評判通りのうつけであればこの刀でヤツを刺せ。』と申し添えたらしい。しかし帰蝶は…『この刀は父上を刺す刃となるやも知れませぬ。』と答えたそうだ。」
与三はその話を聞いて、目線を刀から隼人に移した。じっと隼人を見た。それの視線に隼人は優しい笑みをこぼした。
「与三。もしも織田信長がまことに評判通りの”うつけ”であれば、儂は手のひらの上で奴を飼い慣らせばよいと思う。しかし、あれがもしも信秀ほどの将たる器の男であれば…この美濃を害す恐れのある男であれば、そなたその刀で信長の首を獲れるか。」

 その一言が解き放たれた後の部屋は何よりも静かだった。
与三はチン、と刀を元の鞘に納めた。

「あれは…拙者は信長を一度見受けただけでござれど、あれは”うつけ”ではないと存じます。」
「さらば、その刀でヤツを刺せ。」
隼人はそう言ってアゴを突き出した。
与三はゴクリと唾を飲んだ。
「ならば先ずは拙者は織田信長の信用を勝ち取らねばなりませぬ。その為に拙者が信長に有利になるように働いても、隼人殿は私を裏切り者とは思わずに、必ず信じ続けてくださいますか。必ず…。」
それを聞いて隼人は黙りこんだ。即答しない隼人に与三は内心驚いた。
「与三。…そなたも、私を最後まで信じてくれようか。」
「それこそ聞くに及ばず。」
与三は両拳を床にのせて隼人の前で頭を垂れた。
「しかし隼人どの。拙者がご身内のことを申し上げるべきでもないでしょうが、道三殿に対して強引な真似はなさらないでください。従容としたお姿のいつもの隼人殿をこそ、皆が慕っているものと拙者には思えます。ひとえに隼人殿の身を案じて申し上げるのです。それに信秀の力が削げたこの今が好機と尾張にばかり気を取られては、背後の六角や朝倉がこのままじっとしているはずもございません。私のくだらぬ心配など無用とは存じておりますが…。」
隼人は、今一度、与三に向かって口角をあげてほほ笑んだ。
慈愛に満ちた、与三の慕う長井隼人だった。
「与三息災でな。」

与三は更に深く礼をした。
「隼人殿こそ、どうかご息災で。では、尾張まで行ってまいりまする。」

 与三が部屋を退こうとすると、隼人は右手をあげて「待て。」と止めた。
「与三…前々より不思議であったのだが。私は以前そなたに織田家の戦利品をこの部屋に並べて、そなたに好きな物を選ばせた。あの時なぜそなたは茶道具を選んだのか。他にも武具が沢山あった。何でも選んでよいと言うたのに何故よりにもよってそのような物を持って行ったのだ。」
与三は当の本人でさえ忘れ去っていたような話を別れ際のこの時に隼人に出されてポカンとした。
「あの時…ああ、織田信秀が加納口に攻めこんできた時の戦利品でございますか…理由は…覚えておりませぬが、その時はそれがよいと思ったのでしょう。それが何か。」
「そなたは常々戦で功をあげたいと豪語しておったのに、どうしてヒョイと茶道具を持って行ったのかと思うて、疑問に思えてならなかった。」
なぜ今このような時に隼人がそのような事を尋ねてくるのかも不思議であったが、与三は少し困った顔で笑ってみせた。
「別に嫌いではございませぬぞ、茶の湯も、和歌も。ただ、隼人殿にご披露する機会が一度も無かっただけでございます。」
それを聞いて隼人は「そうか。知らなかった…。」と答えた。

 与三が隼人の屋敷を退けば、武藤がしょんぼりしてうなだれている。目には涙、鼻には鼻水の筋が幾重にもあった。仲良く連れ添ったこの主従だが、与三は尾張の信長の元に去り、武藤は稲葉山の道三の元に残る。今日で別れとなる。それが一時的なものなのか、永遠のものなのか、不安が交差する。
「五郎、残念だが仕方のないことだ。そなたも息災での。」
「蓮台村からお供してより今日まで一日たりとて与三さまのお傍を離れたことがなかったのに。拙者だけがここに残っては、もう生き甲斐がござらぬ。何とか筋を曲げてお供させてくだされ。」
与三はハハ、と白い歯を出して笑い首を振った。
「もし斎藤家が嫌になれば、そなたの判断で稲葉山を抜け出せばよいぞ。」
「え。いや、拙者は与三様が尾張にいらっしゃる間の人質でござれば、そのようなことできませぬ。」
与三は噴き出した。
「人質とは、誰が、誰の人質なのだ。そなたが一人稲葉山から逃げ出たところで誰も気にせぬわ。」
「そんな、与三様…。」
「五郎、どうか関城に居る西村次郎のことも気にかけてやってくれ。頼むぞ。」

 森与三は心の奥で何かフツフツと湧く喜びや幸福に似た感情があるのを感じていた。
ともすれば、それは斎藤家の複雑怪奇な人間関係から束の間でも解放される歓びだったのかも知れない。
或いは運命の人・織田信長の懐に入る喜びに無意識に与三の魂が歓喜の叫びをあげていたのかも知れない。
 尾張に行くとあらば、死を覚悟しておかねばならぬほどのものを、与三は不思議なほどに心が軽かった。

 しかし、同行者の集団の中に虫の好かぬ余語盛種の姿があるのを見て、これからずっとこの男と行動を共にせねばならぬ事を思い出し、一気に興覚めさせられ、心が重くなり、与三は思わずチッと舌打ちした。




第三十七話:「別れ路(一)」    第三十九話:「信長の妻」
 
 

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Date:2009/12/31
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