小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第四十一話:「信長の妻(三)」

 ゆったりと腰をおろした帰蝶は、白い指を扇子にからめ、ギュッとそれを握った。
「信秀はもう起き上がれもせぬし、ろくに物も言えぬようじゃ。長くあるまい…。
父親がそんな有様というのに信長はあのように毎日遊び歩く始末。信長が城を開けるものだから、この城の切り盛りもすべて宿老の平手が一人で行い、誰がこの城の主なのかわからぬほど。しかも困ったことにあの平手は私を嫌って、人のすることなすことを鬼か蛇のように見張っておる。私はこの城の北の方というのに…見下したかのようなところがある。」
嫁ぎ先への愚痴にも近い帰蝶の言葉を、与三は新右衛門と並んで黙って聞いていた。
「なぁ森殿。もし信秀が亡くなれば、その先、織田家はどうなると思われるか。」
帰蝶が顎をあげて不意に与三に訪ねてきた。
「有無を言わせぬ力で織田家を一つにつなぎとめていた屋台骨が折れれば、嫡男の信長がどのような出来であっても、まず、この機会に誰もが織田弾正家の主を一斉に潰しにかかるは必至。」
与三の答えを半ばに、帰蝶が口を挟む。
「その弾正家の中がそもそも危ういのじゃ。信長には信行という弟がおる。信長とは打って変わって、まるで気の小さい弟だが、母親はむしろ信行のほうを好いていて、殊勝にも周りを信行の味方に取り込もまんと夫の死ぬ前から早々に動いておる。信長とて…実の子であるのに。どうなるであろうか。」
それには「いやいや…。」と与三は右手を振り、首を振る。
「ならば、それを何とかいたすために拙者どもがここへ参ったのです。まずはお方様のためにも、信長殿にお味方して盛り上げねばなりませぬな。」

与三の言葉に、帰蝶は頷いた。
「ならば、ならば、まずは森殿が信長に気に入られることじゃ。しかし、ここは敵地じゃ。特に平手は怖い。森殿もどこで何をどう見られておるのかわからぬから気をつけられよ、私同様にの。もし今後、何か私に伝えたいことあらば、英に言うておくれ。」

 英に言うておくれ…女主人の言葉を予想していなかったのか、英は、ビクリと反応した。そして困惑の色をなして帰蝶を見上げていた。与三もとまどい「何ぞあらば、拙者は新右衛門殿にお伝えし、新右衛門殿が英どのにお伝えし、英どのがお方さまにお伝え申し上げればよろしい。」と答える。
帰蝶は、その切り返しがつまらないのか、嬉しいのか、意味ありげにフッと笑った。

その時である。
部屋の外に控えていた侍女が「あ!お方様!上様のおなりです!」と慌てて叫びをあげた瞬間に、気配の無かった襖がいきなりパーンと開け放たれて、当の織田信長が部屋に現われたのである。

部屋の中には、帰蝶と英、森与三と林新右衛門の四人がいる。
開け放たれた襖からは一気にまばゆい陽の光が差し込み、それに背を向けて仁王立ちした織田信長は、真っ黒い影となり、白い両眼だけが目立っている。与三はその両眼の恐ろしさに、なぜか肝が冷えた。
一方、帰蝶とくれば、先ほどのたくらみは何事も無かったかのように悠然とほほ笑む。いや、次の瞬間にはプゥと頬を膨らませて拗ねた表情をした。
「まぁ、殿。いつお戻りでございましたか。朝からまったく私にお声もかけてくだされなくて、とてもお寂しゅうございました。」
信長はそれには答えず、足を鳴らしてズカズカと部屋に入ってきて、帰蝶の横に足を投げ出すようにして座った。そして帰蝶の腰をポンと叩いた。信長は手には瓜か何かを持っていて食っている。与三は信長に対して頭をさげた。それにつられて帰蝶が口を開く。
「殿、こちらは尾張蓮台村の森与三と申す者です。しかし、この年にもなり、ましてや殿の御前にもあがるようになったのに、名乗るべき名がこのままではどうかと話していたのですよ。どう思われますか。」
帰蝶が何食わぬ顔で言ってのけると、信長は口から漏れる瓜の果汁を袖なしの帷子の肩でぬぐった。そして健康的な粒ぞろいの歯を立てて、また口にかぶりつく。ムシャムシャムシャ。
「朝廷に申し入れてそれらしい肩書をもらってやる。下の名は親の名でも使って好きに名乗ればいい。」
信長はたったそれだけ言って、再び口の周りをぬぐった。。
与三は驚いて顔をあげた。信長は瓜を頬張れるだけ頬張ったまま一心不乱に与三の顔を見ていたので、目が合った。
朝廷…。
 嘘か誠かわからぬが、多くの武士がそうであるように仮名を勝手に名乗るのではなく、信長は織田家と気脈を通じた貴族にでも相図って本来あるべき形で朝廷から正式に役職名を貰えるように打診してくれるというのか、与三に対して。確かに織田家は信秀による朝廷への貢献も大きく交わりも深く、それだけの配慮ができるであろう。
しかし、与三は、これは嘘だろうと思った。
信長の軽々しく適当な発言だろうと思った。
なぜなら、与三は斎藤道三の弟・長井隼人の浪人分にすぎないのである。
このような身に、そのような厚遇があるはずもない。
その時、信長は喰い終わった瓜の皮を、さきほど自分が開いた障子の隙間より表に向かって腕を振り、ポイと投げ飛ばした。ハッと我に返った与三は、自分が礼を忘れていた事を思い出した。信長は、与三を真正面から睨んですかさず口をきいた。
「で、そなたは儂に何をしてくれるのか。」
信長の両眼がぶれない視線でジッと与三を見ている。与三は不意を突かれたような言葉に息が止まった。咄嗟に言葉が返せなかった。何だろうか、この年下の少年から醸し出される威圧感は。
 信長は立ち上がった。与三が間近で見た信長の身体は、驚くほど華奢で細い。与三の腕力で以てすれば、必ずねじ伏せてしまえるであろう。それなのになぜ、先ほどはあれほどに圧倒されたのかと疑わしいほどだ。
 信長はアゴと指とを動かして、与三について来いと促した。いつも余語を連れ出す時と同じような仕種だ。
与三は、帰蝶の顔を見ると、帰蝶も緊張した面持ちで、ついて行けと目配せする。
信長の細い背中、信長が一生見ることのない信長自身のうなじまでもを真後ろで間近に見つめながら、与三は従順そうに信長について歩いた。

『これほどの近さなら、今なら、信長を殺せる。』
と、ふと脳裏をよぎり、美濃にいるときは遠い存在であった信長が腕の伸ばせる距離にいることに、自然に興奮し、つい胸が早鐘をつくように高鳴った。
信長は縁側から、裸足のまま白い小石の上にジャンと飛び降り、さらに速足で歩いて行った。








第四十話:「信長の妻(一)」    第四十二話:「三間半」
 
 

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Date:2010/04/04
Comment:2

Comment

* お疲れ様です

じっくり読んでいます。書く作業は本当に大変でしょうが、頑張ってください。気長に待っていますので^^私の好きな蘭丸くんが出てくるのを楽しみに…
2010/10/14 【】 URL #9oGXYbzA [編集]

*

 なかなか更新に手がまわらず、すみません。頭の中でストーリーはできあがってはいるのですが、と言い訳してみる。
 こうして今も気にしてくださるなんて、ありがたいです、和さま。
まだ、可成がお嫁さんすらもらってないので蘭丸が生まれるのはもっと先になりますが(^_^;)、本編のサイトの旅行記が終わったらこちらを更新しますね。ご高覧のほど、よろしくお願いします。
2010/10/18 【うきき(管理人)】 URL #RFphBmaY [編集]

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