これは信長自身が使用するためのものではない、合戦時に足軽らを初めとする兵士に貸し与える戦道具一式を保存してある倉庫であった。
「開けろ。」
番をしていた兵士に信長が一言言うと、周辺の番人の数人が駆け寄って倉のカンヌキにかけてあった鎖を解き始める。何を見せられるのだろう。信長の背後にあって与三はまだ見ぬ宝に胸を高鳴らせていた。
重い扉が開くと、その中に収められていたものは、全てがまだ血を吸わぬ真新しい鑓の束であった。
その束がいくつも積み上げられている。
「できたばかりの鑓だ。いくつあるか分かるか。」
信長の問いに、与三はぼんやりと武器庫の中を見ながらも「三百五十。」と即答した。普段より兵の数も、馬の数も、武器の数も、一目でわかるように訓練してある。
ところが信長はニヤリと笑って天井を指差した。
「この上にも同じ鑓が三百ある。」
そして床を指差した。
「あと、地下に三百五十。長さはすべて三間半(6.3m)だ。」
そう言って信長は束になった鑓の一本を持ち上げ与三に手渡した。
与三が見たこともない、長い長い三間半の鑓であった。戦慣れした与三がこの鑓を両手で支えようとするだけでも精一杯である。突くことも叩くことも難しい。与三には長柄の鑓の更に常識を超えた長さに理解しがたいものがあったが、そのことは口に出さず、信長の次の発言を待った。しかし信長は信長で、与三の表情をじっと見つめながらその反応を確かめているようである。
沈黙の時が流れた。二人の息遣いだけが残った。
この空気に我慢できずに先に口を開いたのは与三だった。
「見事ではありますが、長すぎます。この長柄の鑓を戦の場でどう使うおつもりであられるか。」
その一言に信長が食いついた。
「鍛錬しても難しいと思うか。あと二千はそろえようと思っている。」
信長のその答えに与三はぎょっとした。縦長い倉にまっすぐにおさめて飛び出しそうな勢いの鑓が山積みなのである。普通でない鑓のためにあと、武器倉が二つも要るのか。
「持つので精一杯でござる。」
「持てればそれで良い。」
信長は鑓束の上に腰を下ろした。
「そこもとの仕える道三殿は戦場で先方の歩兵どもに三間の鑓を持たせておった。知らぬのか。」
そう言って信長は、与三にあごつき出した。
その仕草の意味がわからず与三は戸惑ったが
「その鑓をヤツに渡してみろ。」
と信長が言葉にして言い直した。
「ヤツ」というのは先ほどこの武器倉の扉を開いた番人のことである。まだ入り口に控えていた。
与三は両手でその鑓を番人に渡すと、番人は右腕一本で鑓をすくうように受け取り、均衡を失った鑓が傾き始めると、今度は左足で鑓の石突を蹴り上げた。三間半の長柄の鑓は、右手の拳の中で回天した後、天に向かってまっすぐに突き立ったまましっかりと制止した。
番人がふたたび鑓の石突を蹴ると、鑓は自らの重みで前に傾いた。鑓の穂先がこちらを向かずとも、与三は切っ先を仰ぎながら、つい身をすくめた。回転した鑓を番人は両手で地面とあやまたず平均に持ち抱えて「エイッ!」とふたたび突き上げた。すごい身のこなしではあろうが、鑓を使うには普通ではない動きだ。
ただ、意味をつかみ損ねて深い息をする与三の背後から、信長は「儂に足りぬのは戦だけだ。」と言い、与三をハッとさせた。信長は立ち上がって番人の方に進み、白い歯をむき出しに笑い「見事だ。」とその肩を叩いた。番人は嬉しそうに頭を下げた。
与三はつい口に出した。
「しかし、道三が三間の鑓を作ったなら、なぜそれを更に半間長くなさったのだ。」
それを聴いた信長はスラリと一直線に立ったまま、与三を見返した。そして黙ったまま与三に視線を合わせて逸らさなかった。
その仕草が『なぜか、わからないのか?』と問い返す意味であったことは、なぜか与三にも伝わった。


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Date:2011/01/03
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