小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第四十六話:「三左衛門(二)」


 森与三、いや、森三左衛門可成はドキリとして信長を見あげた。
「能楽…で、ございますか。」
信長が言うからには一流の能楽…甘美な響きに可成の心拍数があがってゆく。
「そうだ。京からわざわざ招いたのだ。」
信長は、可成が返答する前にフッと笑った。  
「では犬、その着物をサンザ殿に差し上げよ。」
信長の言う『犬』、とは前田犬千代のことである。
「サンザ(三左)」とは、森三左衛門可成のことであった。
いつの間にやら…いや、今日が初めてだが、信長は他家の家臣である可成を親しげにそう呼んだ。

 この部屋の隅にあった漆塗りの箱には真新しい着物が一式納められており、犬千代はそれを可成の前に披露した。
「三左殿、それを着てこられよ。」
可成は信長の用意周到さにとまどった。
「私めに、このようなことまでしていただくには…。」
本心からそう思った、信長にここまでされる謂われはない。
「よいではないか。犬、三左殿に着せてやれ。」
「ハイ!森殿。こちらへ参りましょう。」
信長の御前を退出して、犬千代に押し出されるままに控えの間に入った。
可成の傍にかがんで、犬千代は箱から着物を取り出して「おお!立派なものですなぁ。」と何やら着物の柄がすごいと感心していた。そして犬千代が可成の方へ身体を向けると、可成は焦って「着物くらい自分で召しますれば。」と自分の胸ぐらをつかんだ。
犬千代は「これも私の稽古でございますれば。さぁ。」と、楽しそうに可成の前に着物を持って座す。
「よくはござらぬ。」
と、犬千代の手から着物を取り部屋を出て行こうとすれば、犬千代は慌てて可成に背後から話しかけた。
「え…私めは森殿に対して何か粗相をしましたか。」
「違う。ただそなたの御手をわずらわせずとも、自分でするというのだ。」
犬千代が腰をあげつつ言う。
「ならばお待ちくだされ。ここで着替えてから出て行ってくだされ。私は殿に森殿の着替えを仰せつかったのですから私が着せたことにしてくだされ。」
可成が襖に手をかけようとした時に犬千代が背後から身を乗り出して言った。
「…そうだな。そなたは今日より仕え始めたばかりであられたな。」
「私にそのような言葉遣いは御無用です。荒子村にいた時は畑仕事も手伝って質素で粗野な生活をしておりましたから。」
「しかし今日より正式に織田家のお方じゃ。礼儀を欠く訳にはまいらぬ。」
 可成はその場で帯を解き、真新しい着物に袖を通しはじめた。犬千代は顔を右手で抑え、床に腰を落とている。袖に焚き染められた香の馨りが部屋に広がった瞬間、犬千代はクン!と鼻を鳴らした。
「私はただ、鑓を使える腕一本で信長様にお仕えできればそれでよいとばかり思ってこの城にあがりましたが、何だか、勝手が違ってとまどっております。本当は人に着物を着せるなど、どうやっていいのやら判りませぬ。」
犬千代は開き直ったような感じでそれを言い、可成は、犬千代から帯を受け取って自分で締めた。
「さようか、落ち着いて何とも器用にこなしそうだが…。」
最後に襟元をシュッと伸ばして可成は着替えを終えた。
犬千代はその姿を見上げて笑った。
「しかし、信長様はご自分のお着替えはご自分でなさるのです。」
「それは…あの瓢箪やら菓子がくくりつけてある荒縄の帯は本人の好むように結びたいであろうからな。」
二人でカラカラと笑った。
可成は部屋を出ようと襖に手をかけると、真新しい絹の袖がスルリと腕の上をすべって降りてくる。物につられるような可成ではないが、信長の心憎くて上品な贈り物に密かに高揚させられていた。

 能楽の始まる夜までは部屋に戻っていることにした。今日は帰蝶のお呼びたてもない。
美濃の長井隼人に文を書こう。それにしても美濃はどうなっているのか。何かよからぬことがなければよいが、蓮台村を初めとする時勢にしごく敏感な国境の領主達が騒いでいるのだから、きっと何かあるのだ。それを早く知りたい。それは、先日近松に会った時に、もっとよく聞いておくべきだった。

 部屋に戻る廊下で林新右衛門と英の父娘にばったりとはち合わせた。
林新右衛門は可成が上等の着物に身を包んでいるのを見て「これは、これは。どうなさいましたか。」とまたたく間に喜び顔になった。が、その隣に立っていた英は驚愕した様子で両眼をあらん限りに見開き、目を白黒させながら可成の姿を上から下から舐めまわすように見つめ始めた。
 そんな失礼にも気付かずに新右衛門のほうは、「三左衛門の名もいただき、一段と立派になられましたなぁ。こうしておりますと、大身の大名のようですぞ。」と、可成に吸い寄せられるようにトントンと近づいて行った。
背後で英は、わなわなと震えて唇をかんだ。目にはうっすらと涙がたまっている。確実に可成の姿に反応した感情である。
「どこぞご気分でもお悪いのか。」
可成がそう言うと、新右衛門は振り返って娘を見た。
「英、なんぞあったか。」
英は、可成にそっぽを向いて逃げ去るように立ち去った。
「最近、英はどうも様子がおかしゅうて。いやはや、何がどうなんだか男親にはまったく理解できませぬ。」
お前の娘は最近に限らず四六時中いつも様子がおかしいじゃないか!…可成はそう言いたくなるのをグッとこらえて我慢した。
新右衛門は、今一度、可成を見た。そしてうっすらと寂しそうに笑った。
「そのお着物は拝領なさったのですか。」
「あ、先ほど、信長殿からいただいたのだ。」
「どうやら、森殿も信長様に気に入られたのでしょうな。信長様は、また余語殿のように織田家の家臣になさりたいと言いだされるかも知れませんな…。」
可成は胸がドキリとした。
内心は自分もそのような気がしはじめていたからだ。信長が自分に関心を持ち始めている気がする。
「ないとは思うが、しかし、そのような事があってもご辞退申し上げる。第一、今の余語を見ればそれがよかったとは申しがたい。」
「あい…。」
そう言って、新右衛門は再び目を細めた。
「しかし、そのお着物、森殿によう似合うておりますなぁ…。我が家にも森殿のような立派な男子が生まれておれば、拙者も何の心配もないものを。」
可成は、目を丸くした。ちょっと引き気味の表情になり、新右衛門が我に返って謝った。
「これはこれは、失礼なことを…申し訳ございませぬ。」
可成は手を振り、首を振る。
「いや、そうではございませぬ。拙者は実の父親にもそのようなことを言われたことがないので。その…拙者、いつまで経っても浪人の身で、里の者達に顔向けができぬ身で…。」
それには新右衛門が首を振った。
「身分があがらぬのは森殿のせいではなく、長井殿のせいではござらぬか。」
「それは…。」
「長井殿もそれなりの器とご器量がおありなら…、いや、このような場所で話すことではございませぬな。」
林新右衛門は、首を振った。
「本物はいつまでも世の中に見捨てられるものではござらぬ。今、目の前にあるお役目を果たしておられれば、そのうちきっとよいことがございましょう。」
可成の方をポンと叩いて廊下を横切って行った。

 夕方。能楽の席に外にかがり火がたかれているが、その場には信長と小姓たち3名しかいない。犬千代もそこに座っていた。先ほどあった時はほがらかだった犬千代も、他の小姓と並んだせいか緊張しているようだった。
可成が「まだ皆さまはお揃いではないのですか。」不思議がって質問してみると、
「皆で揃って見るなどとは一言も申してはおらぬ。今日はこの五人だけだ。」と、信長は自分の真横に座をすすめた。言われるがままに、可成は信長の隣に腰を降ろした。
さすがに寒いのか、信長も今はかなり厚手の着物を羽織っている。横に干菓子がたくさん積みあげており、その一つを手づかみして可成に渡した。さらにもう一つを取ってそのまま自分の口に頬張った。
『何なのだ、信長と自分と小姓たちだけのこの構成は。やはり信長は儂に何か言い出してくるな。』可成は菓子を手にしたまま、そう確信した。家臣にしようというのならば、怒らせぬような言葉で断らねば。
信長は、後ろにいる小姓たちにも菓子の入った器を回した。
「明日は一族の者も含めて皆を能の席に招いておるゆえ、今日はその下稽古を見物いたすのよ。親父が病の折に不謹慎と言って半分は招待を断られたが…だからこそ演るものを。」
能舞台は本番さながらの準備がなされていた。可成は左右を見れば本当に自分たち五人だけだ。
「これはこれで、贅沢なものでございますな。」
信長は頷いて、さらに小姓たちに「そなたらもよく見よ。意味がわからずとも眺めておればよい。死んだ者が現れて、生前を語りおこしておるのよ。」そう語り、「初めてよいぞ。悪ければ半ばであっても止めるからな。明日やってくる伊勢守は能楽狂いぞ。」と、信長が合図すると、能楽が始まった。
その所作のついでに信長はチラリと可成を見て「着物の着心地はどうだ。」とつぶやいた。
「それは、もう何ともいえぬよき心地です。ありがたい。」
可成が礼を述べると、「そうか。」と、信長は笑った。
かがり火の薪の一本が燃え尽きてゴトリと音を立てて、一瞬炎が高くなった。
「その着物は、英に縫わせたのよ。」
「え。」
可成が聴き返そうとした時には、能舞台のシテは扇を広げ、はや中央で舞っていた。
可成はまっすぐに信長を見ていた。
かがり火が信長の半身を明るく照らしている。
「腰入れの時にヨメが美濃から伴ってきた若い者達は皆すぐに尾張者と婚姻させたが、英だけにはよい相手を見つけてやれなかった。儂はずっと…そのことが気になっておるのだ。」
信長は手にした扇子を左手でポンポンと受けながら、視線は能楽のゆっくりとした動きを見ていた。なのに、可成に向けて、はっきりと語った。
「三左殿。そなたが英をもらってくれるというならば、儂もありがたい。英も幸せになれよう。」




第四十五話:「三左衛門(一)」    第四十七話:『三左衛門(三)』
 
 

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Date:2011/02/14
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