小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

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第四十七話:「三左衛門(三)」

 能楽の演じられる間、森可成はじっと沈黙していた。
芸能の幽玄も華美も今の可成の頭には入らなかった。ただ、笑顔もみせずに怯える英の面影が脳裏に浮かび、可成の心の出口を遮った。

 小姓達はただ漠然とそれを眺めるといった面持ちで能楽を眺め、信長だけは、能楽にのめりこんでいるようでたった。ただ、これほどまでにか、と思うほどにひっきりなしに菓子を口に詰めていた。

 可成の答えは既に決まっている。
可成は長井隼人の意思を汲み、あるいは戦を起こし、あるいは織田家を乗っ取りにこの尾張にやって来たのだ。織田信秀の死とともに始まる混乱を目の前にして、この尾張で誰かを妻に持つ気など毛頭ない。何より可成はいずれは、美濃へ帰る身だ。信長の妻となるべく尾張に嫁いだ姫に付き従って来た林家の娘と一緒になることはできない。ここは、仕方が無いと思える理由を何か一言言って断わるべきなのだ。
しかし、あれきり能楽に入りこんで黙る信長にそれを切り返す隙がない。

可成は信長の横顔を見た。
父の織田信秀が亡くなったら、彼は自分自身がどれほど厳しい荒海に投げ込まれるか、手のひらを返してどれほどの新たな敵が湧いてくるのか、きちんとそれを判っているのだろうか。心細くはないのだろうか。
 信長は可成のさりげない視線に気づいたのか、わざとそれを避けるように反対側に振り向き、身体もやや斜めにして自分の小姓達を見て言う。
「舞台の上の話についていけておるのか。そなたら『平家物語』は読んだことはあるか。」
小姓の1人が「有名なくだりだけは存じておりますけれども。」と言い、もう一人もそれに頷く。前田犬千代においても、一緒に誤魔化し笑いをしている。
舞台の上では修羅道に落ちて苦しむ武士の物語が切々と語られ、舞が舞われる。
信長はボツリと言った。
「敵も味方も、勝ち負けも究極には天の采配するところ。しかし、たとえどこかで負け死んでも名を惜しまれればいつまでも語り継いでもらえ、後世の涙を得ることもあろう。そのためには底の浅い粗野な人間だけにはなるべきではない。鑓を振り回すだけではならぬと言っておるのだ。荒みきったこの世の景色と同じになるな。」
可成も小姓達と同様にかしこまってそれを聴いた。
そして、信長はチラリと可成を見た。
「あの舞台のごとく、敵も味方も心ある者ならば、あの世では同じ蓮に生まれ変わろうぞ。」
信長はそう言ったきり、扇子をまとめるように閉じ、また静かに能を見た。

 信長の元を退出した可成を、林新右衛門が待ち構えていて、それはもうギクリとさせられた。
「やはり信長殿は、森殿をご家臣にお加えになりたいとのお話しだったのでしょうか。」
新右衛門が心配で仕方ない様子で可成のしぐさを目で追った。
「それはない…が、どのような話であろうと拙者はお断りを入れねばなりませぬ。いずれは美濃に帰る身でござれば。」
可成はそうして新右衛門の好奇心をかわそうとしていたが、
「そう早くにお答えを急がれなくてもよろしいではござらぬか。このまま織田家に残るのも一つの道ではございます。」
と、背後で不意に新右衛門がつぶやいて可成を驚かせた。
「森殿。手狭な拙宅ではござるが酒の用意もござる。どうか家に寄り召しあがっていかれぬか。」
可成は遠慮した。信長との先ほどの話を聴きだされても答えに窮することは目に見えている。この様子では新右衛門は自分の娘の縁談があがったとは知りもしないのだろう。
「さようでござるか、いつでも拙宅に遊びに来てくだされ。」
新右衛門は寂しそうに踵を返し、可成に背中を向けて廊下を歩き那古野城を退出していった。

 翌日、明け方に美濃の長井隼人から可成に書状がもたらされた。
その内容といえば可成が先日、送り届けた書状が織田家の事情を伝えるに精密さを欠くことを指摘したものだった。帰蝶が織田家になびいていないか、その動きもつぶさに教えろという。そして驚くべきには余語盛種が織田家の家臣になった事を怒りあの男を許すまじ、と書いてあった。それを止めない可成のことも落ち度としていた。余語が信長の家臣になった件は、お屋形(道三)より正式に許された事実を差し置いて、隼人は怒り心頭に達しているようであった。
「余語がどれほどの者というのか…。捨て置けばよいものを。」長井隼人が自分ではなく余語を気にかけていることに、不快感を覚えた。
その瞬間に自分の心臓の鼓動とともに能楽の鼓を打つ音の余韻が蘇る。
「儂とて後世にも誰かに語り起こされるような人間になりたい。隼人にしたがって行けば、その先にそれがあるのだろうか。」
また、さらに林新右衛門のあの言葉が思い起こされた。
『身分があがらぬのは森殿のせいではなく、長井殿のせいではござらぬか。』


 さて、この日に那古野城では新年の祝いとして織田家の一族を招いて能楽の本番が催されるはずなのに、城内には何の調えもなかった。可成は書物を抱えて廊下を過ぎる前田犬千代を引き留め事情を尋ねた。
「ああ、結局はお取りやめになったようですよ。雪道でお越しになれない方も多いのではございませぬか。」
犬千代は『平家物語』を抱えていた。
「それは、前田殿が読まれるのか。」
犬千代は「私だけではなく、小姓部屋の皆が読まねばならなくなりました。この先、こうして学ぶことばかりなのでしょうか。」
どことなく、面倒くさそうな、それでいて嬉しそうな表情をした。
「森殿は能楽の内容もご存知のようでございましたね。」

 実際には、信長の父・織田信秀が夜中より危篤状態に陥り、信長はすでにこの城を開けて末盛城に入っていた。
そのことを前田犬千代は知っていたが、それを森可成に告げる事はなかった。
さらには信長の室・帰蝶にすらその事を教える尾張者がなく、那古野城内の美濃衆にとってはそれがいつもと同じ朝のように思われた。




第四十六話:「三左衛門(二)」    第四十八話:焼香(二)
 
 

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Date:2011/02/26
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