小説『森一族』

戦国時代を彗星の如くに生きた森一族の小説です。 SINCE:2008/9/20

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 
 

Information

Date:--/--/--

第四十九話:「焼香(二)」

  「信秀殿の病ご快癒の加持祈祷をなした僧侶どもが、信長殿のお怒りを買って殺されました。」
末盛城から帰っきた美濃の雇われ者から帰蝶になされたその報告を耳にした美濃衆たちはざわめいた。
 信秀が病に陥った時、僧侶たちは加持祈祷をすれば仏のご加護で信秀は助かると信長に保証し、ゆえに信長は父の命を助けんがため一心不乱に神仏にすがったが、その霊験も現れずに信秀は死んでしまった。直後に信長はその僧侶たちを寺院に監禁し「仏に命乞いをして助かるものならそうすればよい。」と叫び、鉄砲を放って殺害してしまったのだった。
 やんごとなき上座で帰蝶は夫の酷い所業に両手のこぶしを握りこんだ。信心深い林新右衛門はその悪行を誰よりも憤って「何と言う罰あたりな。」と震えた。その娘・英も劣らず信心深さを見せて懐から数珠を出してその場で両手を合わせた。

 「今はもっとも慎重に事を運ばねばならぬ時というのに…。」
可成とてため息をついた。信秀死して後の家督相続の話になろうこの時期に、周囲に英知と威厳をよりいっそう示すべきこの時分に、”うつけ”としか言いようのない行為をする者があるものか。

 織田信長の命により、信秀の死はしばらく秘して葬儀もしないという事になっていたが、人の口に戸は立てられず、織田一族の中にも信秀の死を積極的に騒ぎ立てる者が出始め、跡目についてあれこれ論じ始める始末。もはや物言う前から美濃から弔問の使者が訪れて隣国にすら信秀の死が知れ渡ってしまったありさま、宿老らが取り計らって結局、御所にも使者を立て、織田家の菩提寺の万松寺に国中の僧侶三百人を集めて壮大な葬儀を執り行うこととなった。
 その時にまた、信長の「うつけ」騒ぎである。
「喪主」の信長が消え去ったと前田犬千代らのお側衆が大わらわで那古野城に立ち帰り、信長の喪服を抱えたまま、主はいずこと探していた。留守をしていた可成も仰天して馬を出し、清洲城を出て信長を探し回った。那古野城周辺には信長の影も手がかりも無く、もしや入れ違いになっているのではないかと万松寺まで皆で向かったが、到着するなり帰蝶本人が飛び出してきて「信長殿はいずこにおられるのか」と尋ねてくる始末。いよいよ信長の消息不明のこの事態に、可成も血の気が引くほど青ざめて首を振るよりほか無かった。
 「信長殿の行かれるような場所を知らぬのか。」と、可成もつい信長のお側衆につよい語気で焦りをにじませ問い詰めたが、彼らもこのような時に何をひらめく事もなく、まして自分自身にも思い当たる居場所もなく、お側衆とともに「何か大事に巻きこまれたのでしょうか…。」と、ただ顔をしかめているしかなかった。本当に皆、信長の行き先など思いつきようもなかった。

 喪主なくして葬儀が始まり、寺の中から読経の声が響いてくる。
「上様から片時も目を離すべきではなかった。」と、お側衆はますます沈んでゆく。
 この葬儀の場は、父の死を悼む場でもあり、同時に一族皆がその跡目を品定めする場でもある。
跡目相続のライバルとなるであろう信長の弟・信行は肩衣、袴で正装し、折り目正しく威厳のある態度で葬儀に臨んでいる。信行の背後では「信長殿では、駄目よの。やはり信行殿よの。」「親の葬儀を放ってどこに行っておるのやら。」などといった一門衆の落胆するつぶやきがあろうことが、誰にでも想像がついた。

 可成らが寺の外でやきもきしているその場に、大きな馬の走る音とともにいななきが聞こえてきたかと思うと、その馬上には息を切らせた信長の姿があった。お側衆は無論、寺の外で警護していた者、主人を外で待つ従者が皆その姿を見た。
しかし、恐ろしいかな、待ち望んだ喪主・信長は、中ばバラバラに茶筅髪を巻き立て、袖をちぎった湯帷子を縄でしばって大小の刀を差しての到着であった。
 それでもお側衆は安堵の表情を湛え喪服の入った箱を抱えて信長に駆け寄ってゆく。それに追いつかぬ勢いで馬から飛び降りた信長、そのまま早足で寺の中に入って行った。どこぞ控の間に入って正装するならまだしも信長は葬儀の最中の本堂の階段を駆け上り、障子を開け放って礼も無く入って行ってしまった。信長を追いかけていたお側衆は凍りついて、そのまま階段の下に膝をついたまま身動きができない。
 
 可成はそのまま寺の外にいて、自分の馬の手綱と信長の馬の手綱を両手に握り、茫然としてそれを見ていた。
なぜかその時は、まるで何か別の世界の絵空事のように信長の所業を目にしていた。
寺の中から三百人の僧侶の読経の声すら波が静まりかえったようにピタリと止み、あとは信長が一人静かに、本堂からスタスタと出てきたのであった。
 その目には涙もなく顔には哀しみの色もない。ただ鼻の頭を泥で汚した顔をひきつらせ、そのまま可成のほうへ歩いてきた。ただ、それは自分の馬を可成から取り戻すためだ。
信長の興奮した息遣いが聞こえるほど今、信長の身体が可成の間近に迫ってきた。日焼けした褐色の顔に反抗心むき出しの相好が見てとれた。
 可成はとっさにその場で頭を下げて「お悔やみを申し上げます。」と、言ったが、信長はその言葉など無視したまま強い力で可成の手から馬の手綱を奪い、そのままひらりと馬にまたがり駆け出した。後からお側衆が必死で馬に取りすがり「上様!」と叫ぶがそれも振りほどいて去ってゆく。
「お待ちくだされ。」可成も馬にまたがり信長を追った。
しかし、信長がまたがるのは世にまたとない駿馬。馬にどんなに鞭をくれても、その全力疾走に追いつけることもなかった。信長はどんどんと可成を引き離し、馬を疾走させたまま川に向かって行った。川の水を目の前にしても、信長は走りを止めようとはしない。しかし、馬のほうは水に落ちてたまるものかと堤のところで踏ん張って止まった。そのはずみで信長だけが馬の背から外れ、前に飛んで川に落ちて行った。
 可成やお側衆が河川敷に追いついてみれば、馬だけ残って草を食んでいる。上様と叫んで探しつつ四半時待ってみても信長の姿はない。「そういえば、水に何か落ちる音がした。」と、皆の視線は川の水面に移る。
澄んだ水であれば川底の姿も見えてはいるが、陽の光が水面全対に反射してきらめくせいで見逃すこともあるかも知れぬ。地上の静謐さに、思わず可成は着物を蹴脱いで我先にと川に飛びこんだ。故郷を流れる木曽川で泳ぎは慣れているものの、春先の川底の冷たさと言えば、水をかくたびに切るような痛みが襲った。だが、それよりも信長がこのような所で何かあっては一大事と必死に潜ってみた。
大きな音がして顔を出せば、お側衆も川下に走り水に飛び込んでいる。彼らがあれほど心配しているというのに信長は…。
可成は再び水に潜った。水の冷たさに身体中の感覚は抜け、手には握る力も無くなり、皮膚が見たこともないような赤い色をしている。
「まさか信長は本当に流されてしまったのか…。」だんだんと恐怖がよぎる中、よろけるように水の中から堤の草に手を伸ばしてはい上がり、上半身を陸にあげた。
「いかん…このままでは死んでしまうわ。」と、川下のお側衆を心配して様子を見ようとすれば、今度は川上のほうからザブンと音がする。可成が見れば、信長が両腕を立てて軽々と川からあがり、何事も無かったかのようにそのままスタスタと馬に向かって歩いてゆくではないか。
 可成は驚いたまま、そのまま川の中から信長を見上げていた。
信長は堤の上を歩きながら川の中の可成を睨み続けていたが、なんぞ言葉を発することもなく、そのまま馬に飛び乗ってまたどこかに駈けだした。


第四十六話:「焼香(一)」    第五十話:『焼香(三)』
 
 

Information

Date:2011/10/09
Comment:0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。